「死ね」という生徒と向き合ったとき
「死ね」……
と、視線を横にそらしながらそう言うから、
「ううん、私は死なないよ。」
と、そう答えた。
すると今度は、
「オレは死ぬから」
「死んでもいいと思っているから」
と、また視線をそらしながら言うので
「でも、私は、あなたが死んだらすごく悲しいな」
と、そう言ったら、それまで機関銃のように口からあふれ出てきた思いつく限りの悪口が、すっと止まった。
だからもう一度、
「私は、あなたが死んだら、すごく悲しい」
と、心を込めて、ことばを重ねた。
学校の廊下で、1人の男の子とのやりとり。
「手を離せ」
「いや、ちゃんと話が出来るまで、離さないよ」
「じゃぁ、勝手にしろ」
「うん、じゃぁこのまま握っているからね」
「なにも聞こえない」
「そうか、でもちゃんと反応してくれているから、聞いてくれてんだよね」
「うるさい、バカ、死ね」
……そんなやりとりをしながら、数十分。
でも、あなたは私の手を、ふりほどこうともしないよね。
そうして、そこから立って逃げようともしないよね。
「先生なんかいらない、みんな死ねと思ってる」
「うん、あなたがそう思うのはあなたの勝手、でも私は、死なないよ。あなたがどう思おうと、この先も生きていくよ」
「オレは今死んでも構わない」
「そうか。そう思うのもあなたの勝手。でも、私はやっぱり、あなたには死んで欲しくない。生きて欲しい。まだまだこの先、いっぱいあるんだから。」
横を向いていた彼が、ふと下を向いたら、ひとつぶこぼれ落ちたものが、膝の上を濡らした。
握った場所を、手首から両手に持ち替えた。
持ち替えた両手を、ちょっと力を入れて握りしめた。
やっぱり彼は、口ではやめろと言うけれど、ふりほどこうとはしなかった。
次第に出て来る言葉が少なくなり、代わりにでっかい目から、流れるものが増えて来た。
一生懸命に、汚いののしり言葉で、自分を守っているんだろう。
その奥に、ちっちゃくなって縮こまっている自分の姿があることなんか、気がついていないんだろうね。
廊下に出てから20分ほど。
「そろそろ冷えちゃうよ、教室入ろうか。」
そう言うと、しばらく座ったまま涙をふいて、小さく息をしてから黙って教室に入った。
わたしの持っている石の中に、アメジストを中に含んだ水晶がある。
「愛情の石」アメジスト(紫水晶)を覆う透明な水晶は、一見冷たく固くとんがっている。
けれど、光に透かせてみると、それはとても……悲しいほどに美しい。涙が出るほど、美しい。
それはまるで、子ども達のようだ。
愛にあふれ、愛を欲し、温かく優しい輝きを持つ心。
それを含んで、誰もが輝きたいと思っている。
外を覆う水晶を磨いて、透明感が増せばますほど、中のアメジストもより温かく強く輝くのだけれど。今は、外側の水晶を曇らせたままで、磨くことをあきらめてしまう子ども達が何と多いことか。内に含んだ愛の石の存在を見つけられずに、自らの愛の光を曇らせてしまっている子ども達の、何と多いことか。
自分がかけて欲しくない言葉を発して、身を守るしかない子ども達。
心の奥では「誰か私を見つけて、助けて、愛して、生きたい!」と叫んでいる子ども達。
その1人1人が内に持つ、優しい愛の光りに気付かせてあげたい。
どんなに素晴らしい光を、自分の中に持っているのか。
「あなたがいて、うれしいよ」
「あなたが生きていて、うれしいよ」
たったそのひとことを、欲している子ども達に。
心からの想いを乗せて、その言葉を伝えたい。
……1人でも多くの子どもたちに。
この記事は、今から3年前のちょうど今ごろ、小学校の支援員としてサポートに入っていたクラスの男の子とのやりとりです。
担任の先生が都合でいない時間に、まわりの子を攻撃して暴れ出したので、落ちつかせるために廊下に手を引いて連れ出しました。
その時のその子の様子から、心の奥から声にならない叫びを感じました。
先日、Twitterでアップしたコメントに、とても多くの反応を頂いたので、Facebookに記録してあった記事をここに再掲しました。
あの頃から、やっぱり学校の中でも外でも、子ども達の声にならない声がきこえてきます。出来ること、出会える子どもには限りがあるのですが、だからこそ、目の前にいる子ども達、つながりが出来た子ども達やその親御さんたちには心を込めて向き合っていきたいと思っています。
いろいろな人たちが笑顔で過ごせる世の中めざして、これからも発信続けていきます!是非サポートお願いします。😊