#20 治らない病名なんて捨てる
息子が不登校になったとき、私は息子の「起立性調節障害」という病名を捨てた。
お医者さんでも治せないんだったら、そんな病名なんていらない。
お医者さんでも治せないなら、私が必ず治してみせる。
「息子は起立性調節障害です」
「僕は起立性調節障害だから…」
なんで、こんな病名を息子のアイデンティティにしなきゃいけないんだろう。
私は、すごく自分勝手な親だった。
息子の身体症状の原因を特定しようと、嫌がる息子を連れて、結果的に病名をつけるために転々と病院巡りをしてしまった。
病名をつけられたら私が安心しただけだ。
病名をつけられた息子の気持ちなんて考えてもいなかった。
治りもしない、治す方法もない病気の病名をつけられた息子はどれほど傷付いただろう…。
病名がわかって安心したのは一瞬だけ。
それからは、辛い日々だった。
「病気だから」と諦め続ける毎日。
息子が不登校になって、治りもしない病名に囚われ続けることの危険性を理解することがやっとできた。
だから、息子が「僕は起立性調節障害だから」っていうたびに、「薬ももう飲んでないし、そんな病気なんて既に治ってるよ」って笑って答えるようにした。
ずーっと何年もその病名に苦しめられてきた。
思い切って病名を捨てたら、すごく気持ちが楽になった。
もうこれからは、「私は○○です」の○○に入る言葉は、もっとワクワク楽しめる言葉にしよう。
「私はお母さんです。」
これに、“世界で一番幸せな”を付けただけで、子育てがビックリするほど楽しくなり本当に幸せになれました。
言葉の持つ力って本当にすごい。
言葉には魔法があるみたい。
「息子は起立性調節障害です」
よりも
「息子はヒーローです。」
の方が息子にピッタリ!
「私は○○です」という部分は、脳幹に働きかけ、深いセルフイメージに繋がっています。
早い段階で、息子に植え付けてしまったネガティブな言葉とセルフイメージを切り離せることができて良かったなと思います。
息子が教室登校をはじめると、身体症状は日に日に悪化していきました。
毎日疲れ果てて、かなり辛そうでした。
特に酷い症状だったのが、過眠でした。
朝、一度起きたとしても登校するまでに何度も意識を失ってしまうみたいに眠ってしまう。
朝食を食べながらも寝ちゃうし、朝食後にも気付くと眠ってしまいました。
帰宅後も疲れ果てて帰宅し、玄関で倒れ込んだり、ベッドに直行して朝まで眠り続けることも度々ありました。
息子の過眠の症状はなかなか改善されず、再登校後も長期間続きます。
息子の朝のルーティンはこんな感じでした。
朝、立ち上がろうとすると眩暈と立ちくらみが起こる。
立っていられないから、再び座り込むか寝っ転がる。
眩暈で気持ち悪くなってしまうので、吐き気が治まるまで待つ。
これを何度も繰り返します。
起き上がるだけでも大変。
朝食を用意する間に再び眠ってしまったり、食べながらも眠ってしまったり、食べた後にも眠ることがありました。
朝食を食べ終え立ち上がろうとすると、また立ちくらみと眩暈に悩まされる。
それから、トイレに入ると今度は腹痛で長時間出てこれない。
気持ちを切り替えるためにシャワーを浴びて、やっとの思いで制服に着替え、登校しようとすると、また体調が悪くなってソファに座り、眠ってしまう。
それでも頑張って、何とか玄関までたどり着いても、そこでもしばらく座り込む。
やっとの思いで玄関から出られても、なかなか足が進まず、足を引きずるようにして歩き出す。
息子は、何度諦めそうになっても、何度でも気持ちを切り替えてチャレンジをする。
息子が教室登校をしてから、昨日よりも1分でも早く登校することを目標にしていました。
最初に教室登校できたときは6時間目だったから、少しずつ、少しずつ、毎日時間を早めていきました。
「登校してからが本番。」
不登校から再登校させるまでに、かなり頑張ったつもりだったけど、安定登校まで導くためには、時間もかかるし遥かに道のりは険しく大変でした。
息子が眠り続ける姿をみると、すごく不安にもなりました。
こんなに眠り続けて大丈夫かなって…。
そして、
息子の寝顔をずっと見ていると、何だかサナギみたいだなって思うようになりました。
サナギは、チョウに大変身するための準備をしている。
幼虫の体のさまざまな部分を溶かしクリーム状になっている。
サナギはじっとして動かないけど、殻の中では体の中身を作り替えている。
すごいな。
大変身するためには、準備が必要なんだ。
息子の身体の中も、これくらい大がかりに作り替えている最中なんだな。
眠っていて動かないけど、息子の中では大きな変化が起きている、そんな風に思えるようになったら、息子の眠り続ける姿をみても不安になることはなくなりました。
息子の寝顔を見ながら、息子がチョウに変身したらどんなチョウになるんだろうなって想像するのも楽しかったし、息子の未来へ羽ばたく姿を思い浮かべると息子の未来がすごく楽しみになったし、スヤスヤ眠る息子の寝息から息子の生命力を感じられて…。
息子がとっても愛おしく、とっても幸せな気持ちになれました。
「起立性調節障害」という病名を捨てたことで、息子の行動と症状を結びつけて考える必要がなくなり、「病気だから仕方ない」と諦めずに行動することができるようになりました。
それらの症状は、「自信の水不足」の身体症状と考えられるようになると、息子の言動で今の状態がバロメーターのようにわかるようになりました。
息子の状態がレベルでわかるようになると、その時に必要な対応が出来るようになり、ドンと構えて息子と接する事が出来るようになりました。
病名というフィルターを通して息子を見てしまうと、本来の息子の姿が何も見えなくなってしまうんですね。
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