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【映画noteNo.2『男女残酷物語 サソリ決戦』(1966年)】
監督:ピエロ・スキヴァザッパ
出演:フィリップ・ルロワ、ダグマー・ラッサンダー
上映時間:90分
新宿武蔵野館にて鑑賞
ここまで、男は情けない生き物なのか…
この映画を観終わった後に抱いた感想です。
そもそも、この映画の存在すら知りませんでした。
こちらの記事を読んで、この映画を知りました。予告編を観て、これは観たい!と思い、観てきた感想が、冒頭の感想です。
綾野さんの記事も引用しながら、この映画の魅力に迫っていきましょう。
まずは、簡単なあらすじを。
慈善財団の幹部であるセイヤー(フィリップ・ルロワ)。彼には、拷問技術の達人という裏の顔があります。そんな彼の前に、ジャーナリストのメアリー(ダグマー・ラッサンダー)が現れます。セイヤーは、メアリーを拉致。拉致したメアリーを監禁して、拷問を行っていく……。
その後の物語の展開は、なぜそうなる?という感じ。拉致した女性を、散々いたぶっておきながら、その女性に徐々に恋心を抱いてしまう、という展開になるからです。
綾野さんの記事を引用します。
ハッキリ言って、展開は粗いし、心理変化はめちゃくちゃだし、そうはならんやろの連続だし、肝心のSM描写はかなり雑。それでは興奮しないだろうってお粗末なもの。
まさしく、その通りでした。展開も粗いだけでなく、登場人物の心理描写は適当。SM描写もありますが、描写が雑なのか、リアリティが感じられず、全く興奮しません。
ここまで書いておくと、この映画は、観る価値のない映画なのか?と思われるかもしれません。
しかし、決してそうではありません。
むしろ、観る価値はあります。
そう断言できる理由は、映画の後半に出てくる美術のビジュアルの素晴らしさにあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1718336069744-OZ29Cutd5M.jpg)
この映画を観て初めて、フランスの女性芸術家、ニキ・ド・サンファル(1930年~2002年)。の存在を知りました。
![](https://assets.st-note.com/img/1718425031620-gZcAPU3sPr.jpg)
劇中に出てくるのは、1966年にストックホルム近代美術館で制作した『ホーン』という作品。スウェーデン語で彼女という意味です。
ニキの言葉を引用します。
『ホーン』は、私にとって初めての建築制作でした。ホーンは、巨大なる女神を表していました。母なる大地、あらゆる売春婦の母、鯨、大聖堂(カテドラル)であり、全能の善き母でした。
「女性は、結婚して夫に仕え、子供を生む」という伝統的な価値観の中で育ったニキは、作品の制作を通して、女性の役割と自分の人生を見つめ直していったそうです。娼婦や魔女など、迫害されてきた女性たちの姿を表現し、男性社会を糾弾していきました。
そんな彼女だからこそ、『ホーン』という作品を生み出せたと思います。
再び、映画に戻りましょう。
劇中の後半から、セイヤーはメアリーに恋心を抱きはじめます。「恋は盲目」といった状態で、メアリーに夢中になります。自分に優しくしてくれるメアリーにうつつを抜かすんですね。再び綾野さんの記事を引用します。
いざ、自分に優しい女が現れたとき、あっさりメロメロになってしまうのだから、どうしようもない。TPOをわきまえず、キスをしたがり、応じてもらえないと不機嫌になる。結局、彼にとっての「愛」は、自分を受け入れてくれるか否かでしかなく、相手のことなど、少しも考えないのである。とどのつまり、子供がお母さんに求める愛情と変わらない。
劇中で、セイヤーがメアリーとイチャイチャする場面がありますが、綾野さんが指摘されているように、イチャイチャに応じてくれないと、子供のように不機嫌になります。
いい歳して見苦しいぞ、オッサン。観ているこっちが恥ずかしくなりました。
お母さんのような愛情(母性愛)を求める行動の象徴として、『ホーン』の中に、セイヤーは入っていきます。
メアリーを監禁し始めたあたりでは、「俺様は主人で、お前は奴隷だ」と強気に出ていた彼が、「自分に優しい女性だ!」と認識すると、メロメロになる。
メアリーは、自分にメロメロになり、恋の奴隷となった彼を弄びます。ここから、復讐が始まります……。
この主従関係の逆転は、谷崎潤一郎の『痴人の愛』(1924年に大阪朝日新聞紙上で連載が開始。)に通ずるものがあります。
この作品は、河合譲治という28歳のサラリーマンが、浅草のカフェで女給として働いている15歳のナオミという少女を自分好みの女性に育てようと目論む作品です。
作品冒頭部分では、譲治が主人で、ナオミが奴隷のような印象を受けます。しかし、この作品の最後の方では、ナオミの美しさの虜となってしまい、譲治はナオミの奴隷へと変わっていきます。
両作品に言えることは、男って本当に情けない生き物ってことです。自分に優しい女性が現れると、なぜ男ってその女性に恋心を抱いてしまうのでしょうか。
もちろん、私も例外ではありません。
女性に母性愛を求めてはいけない、そんな無償の愛なんかあるはずない、目を覚ませ自分よ、と教訓を与えられた気がします。
綾野さん、素敵な映画をご紹介頂きありがとうございました。
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