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こんにちは【黒糖焼酎飲もうでぃ!】前田“まえぴょん”秀樹です。

前回は『黒糖焼酎に合うおつまみ』の1回目として「トビンニャ」をご紹介しました。


そして今回も新シリーズ(?)『奄美の文化』の1回目、〜奄美と相撲〜についてお伝えします。

日本一土俵の多い島

奄美を訪れたことのない方はピンと来ないと思いますが、奄美の島々には多くの土俵があり相撲が盛んなことがよくわかります。

島内で行われる相撲大会(三太郎まつり、奄美社会人相撲など)はとても人気があり、大相撲にも奄美出身の力士がたくさんおられます。

奄美の相撲史を研究する琉球大学の津波高志名誉教授は「奄美大島と喜界島は集落の数だけあると思っていい」と話されています。奄美大島の集落は170。土俵は各集落の公民館や神社にもあるので奄美大島は「日本一、土俵の多い島」と言っていいと思います。

奄美の相撲の歴史

相撲の歴史を紐解くと、(諸説ありますが)相撲には最初から組み合って技を掛け合う「組み相撲」と、最初は対戦相手と離れて立ち合い 組み手の駆け引きをしつつ技を掛け合う「立ち合い相撲」の2種類あったと言われています。
前者は沖縄相撲に見られる様式で相手の両肩を完全に地面につけてようやく勝ちとなります。奄美ではかつて「シマジマ(島相撲)」と呼ばれていたそうです。そして後者は大相撲をはじめ国内で一般的に行われている「大和相撲」と呼ばれる形式です。

奄美の島々は1609年、薩摩藩に支配されるまでは琉球王国の支配下にあり、当然「シマジマ」一色だったはずですが、薩摩藩の支配に伴い、大和相撲が持ち込まれ1800年代の前半および中頃には間違いなく大島において大和相撲が行われていたことが文献からも確認できるそうです。

しかしながら奄美諸島全体が大和相撲一色になったのはさほど古い時代ではく、ロシア文学研究者でもあ昇曙夢(のぼり・しょむ)(本名・直隆)著の初の奄美通史「大奄美史」には

「大島(奄美)の相撲には二種あって、琉球風は専ら徳之島、沖永良部、与論島に行はれ、大島本島(奄美大島)や加計呂麻島では専ら内地風の相撲が行はれる」

と書かれています。

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シマジマと大和相撲の統一

大和相撲と島相撲が混在した時代には、シマジマと大和相撲の“似て異なる”異種格闘技のような取り組みもあったようです。
シマジマを取る者が相手を倒してひっくり返し、なお両肩を地面につけようとすることに対して、負けた方(大和相撲を取る側)は怒り「勝負はついているのに、そこまでするか」とけんかになることもあったと言われています。
このようなトラブルが増え、ルールが統一されるまでしばらく相撲大会は中止となったそうです。

奄美大島全体の規模で大和相撲の大会が本格的に行われるようになったのは大正時代に海軍帰りの人々が広めたことがきっかけだそうです。
大正9年(1920年)、大島角力協会が発足し、昭和7年(1932年)まで続きました。

相撲の普及

大和相撲は戦後、急速に普及することになるのですが、転機となったのが本土との行政分離でした。
奄美の島々は昭和21〜28年(1946〜53年)の8年間、米軍政下に置かれ本土との行き来も制限されていました。

戦後の混乱と、貧困で疲弊しきっていた人々。

そんな中「人々の生活にに活を入れ復興へ立ち上がらせるために、まずスポーツを取り入れよう」という動きが興り、大衆の好む相撲から始めようとなったそうです。

三本勝負から一本勝負へ

戦後間もない頃まで奄美での相撲大会は三本勝負で勝敗を決していました。
三本勝負は一度の取組で3回取り、2回相手を倒せば勝ち。連勝した場合は「二バンウチ」と言い圧勝との意味。「中を入れる」とは一矢報いる、一番は勝つとの意味。「互角の戦いをした」「健闘した」と敗者も称えていました。

三本勝負から一本勝負への転機となったのが昭和33年(1958年)の第3回祭典相撲。
大会に先立って主催者の奄美連合青年団は相撲関係者を招いて座談会を企画。昭和33年10月20日付の南海日日新聞によると、

「三本勝負を取っているのは奄美だけで、なるべく早く一本勝負に改めるべきだ。三本も取っては体力の消耗が激しく、いい相撲は取れない。年寄りたちの反対もあり、すぐには無理だろうが、若人の祭典では個人戦だけでも、一本勝負にした方がよかろう」

という意見が出され、大会は団体戦も個人戦も一本勝負が採用され、以後 奄美の広域相撲は一本勝負に変わっていきました。

そして現在

令和3年7月現在、大相撲には12名の奄美出身力士が日々鍛錬を重ねています。

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コロナ禍で相撲大会も開催が困難な状況が続いていますが、島を歩くと今も多くの土俵を見つけることができます。

海や山、森などの自然に注目が行きがちですが、人々の生活に密着した土俵を探す旅もまた奄美の魅力の一つかもしれません。

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そして、そんな土俵での練習・大会後の集まりの中心にあるのは、もちろん黒糖焼酎なのです。


いかがでしたでしょうか?
最後に無理やり黒糖焼酎と繋げた感はありますが(笑)人々が集まるところに必ずあるのが黒糖焼酎。
そんな視点から『奄美の文化』についてご紹介できればと思っています。

今回はこの辺で、次回もお楽しみに!

初心者から長年の黒糖焼酎好きまで、黒糖焼酎飲ファンが集う【奄美しまさけ ふぁん倶楽部】の第一期会員も募集中です!よろしくお願いします。


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