【近刊・乗代雄介『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』の起源とその展開】本書「序」および収録書き下ろし小説『虫麻呂雑記』の冒頭部分公開

来月7月16日に刊行となる乗代雄介著『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』より、本書の原作であるブログの起源と、それを長年書き継いできた「彼」が取り組んだ「ワル」=ラッダイトの姿が語られる「序」、そして『十七八より』から『最高の任務』までの作品とは一味違う書き下ろし小説、『虫麻呂雑記』の冒頭部分を先行公開致します。

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ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ「序」

この本に収められた文章のほとんどは、タイトルと同じ「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」という名のブログに書かれたものだ。膨大な量なので、収めるものを選ぶために閲覧していると、なんだか他人のような気がしてきた。「のりしろ」を名乗る彼は、テクノロジーを前提とする現代社会にそれでも抗あらがう者たちへのトマス・ピンチョンの賛歌的エッセイ『ラッダイトをやってもいいのか?』がニューヨーク・タイムスに掲載された二年後に生まれ、生徒一人一人にノートパソコンの購入・使用を義務づける私立中学に入って、ブログを開設してはせっせと書いた。二十年近くの時を経て、そのごく一部がこうして厚い本になった。
ラッダイトというのは、十九世紀初頭のイギリスで、産業革命による機械の普及に不安を煽られた手工業者たちが起こした機械破壊運動のことだ。ネッド・ラッドという若者がまず初めに二台のニット製造器をぶっ壊したことが名の由来ということになっている。 ピンチョンは、彼の行動は 「筋金入りのワルが見せた、完璧にコントロールされた武術のようなタイプの怒り」だとして、「ぼくらを圧倒してしまうかのような力にも、立ち向かうことのできるようなワル」こそラッダイトの本質と考え、その系譜に連なるヴィクター・フランケンシュタイン、『重力の虹』にも出ていたキング・コングなどについて書いた上で、時代はますますラッダイトにとって複雑になっていくようだが、いずれまた時が来るとばかりに楽しそうである。
これを読んで「ラッダイトをやってもいいんだ」と思わないでいるのは難しい。村上春樹がエルサレム賞のスピーチで語った「壁と卵」同様、この類の二者択一は文脈上の答えなんて決まっているわけだけれど、そんなことは大した問題ではない。それを見聞きした人々がラッダイトをやったり卵の側に立つようになるかどうかは、ネッド・ラッドの例からもわかるように、人がその人物をどれほどの「ワル」と認めたかにかかっているのだ。
さて、今現在、文章を書く者としてラッダイトをやるとは、「ワル」であるとは、一体どういうことであろうか。
IT化によるネオ・ラッダイトと言われた二〇〇〇年代からさらに時代は流れ、こういう話が一見ややこしくなってくるのは、例えば『フランケンシュタイン』を書いたメアリー・シェリーのその「書く」という営みすら、テクノロジーの領域に入りかけているということだ。今まで不可侵と暢気に考えられていた芸術的領域に難なく入ってきた彼らはもうすでに、ある選考基準に照らせば、人間の書く良くない小説よりは良い小説を書き始めているという。その状況を小説に仕立てることでラッダイトをやってきた立派なSF作家もいたわけだけれど、その作家の行為自体をテクノロジーが行いつつある今、それをラッダイトだと自信を持って言うのは、フォークト= カンプフ感情移入度検査法も確立していないこの状況ではどうも難しい。それを重く見て、何が「ワル」なのかを表現するという客観的立場すら危うくなった人間がどう「ワル」たるべきかというのが、今を生きるラッダイトたちの悩みどころとなっていると言うこともできるだろう。
と、現状を長々書いておいてなんだが、こんなことは悩む必要まったくなしと答えざるを得ない。ネッド・ラッドが悩むような奴なら、二台のニット製造器は無事に天寿を全うしたはずだ。人々が悩んでいることについて、悩む前に見極め、やってしまうのが「ワル」である。人目なんて気にしない。どうなるかなんて考えない。行為を手段とせず、目的としてしまう。
それは実を言えば、完璧なテクノロジーの姿なのである。つまり、真のラッダイトの振舞いは、逆説的に、刹那的に、事前的に、テクノロジーの理想を体現してしまうのだ。「筋金入りのワル」は、自分の行為の純粋さでもってテクノロジーを凌駕する。「完璧にコントロールされた」「怒り」。それを手段とするのは、後に続く人々だ。
一方、今日も大賑わいのSNSに「ワル」の姿を見つけるのは難しい。半可通たちが、ささやかな反抗のつもりでテクノロジーの中に人間らしさとでも呼ぶべきものを刻印しようとするあまり、逆にせっせと似たようなニットを生産してほくそ笑んでいる有様だ。
ブログが熱心に書かれていたのはその黎明期だった。読み返してみて、一つ一つに誇るものなど何もないし、読むに堪えないものも山ほどあったが、そういう態度だけはとるまいとワルぶる姿勢だけは認めてもいいように思えた。彼はちゃんとラッダイトをやろうとしていたのだと。

『虫麻呂雑記』冒頭「序」

私がこれから書こうとしているのは、二〇一八年の冬に野間文芸新人賞を受賞する頃までの半年間についてだ。説明は困難を極めるが、人間といえば私と一人のデリヘル嬢と数人の小説家しか出て来ない自然や古人にまつわる小説で、芥川の『芭蕉雑記』に倣って『虫麻呂雑記』とでも題されるものになると思う。
このいささか古風な題名は、その時期の私の考え事の真ん中にいつもいた高橋虫麻呂という万葉歌人に由来する。読者諸兄姉がいかなる古典教育を経てそこにいるのか私には知る由もないが、先日、私は別の『最高の任務』という小説でこの人物について書いたことがあるので、数多の同業者同様に読者の少なさを自認するとて、その数をよもや片手ではおさまらないのではないかと不安になりもする。
これはお耳汚しになるかも知れないが、私は阿佐美景子という一人の女性とその叔母を巡る小説によってデビューし、それ以前からの予定通り、微に入り細を穿った破片が破片を呼ぶといった具合に書き継いできている。一番新しい、さっきタイトルを書いたものは芥川賞候補になったところだが、今この時点では結果を知らないし、どうなったところで何の影響もないだろうし、それはいいだろう。
こんなことは作者である以上ぺらぺらと書き散らすことではないが、この連作の小憎らしさは、主人公の女性の回想している時制が、筆者である私の現在だという点にある。つまり、彼女のやることなすことはその大半が私の経験の拡大で、彼女がその時に読む本は私が読んでいる本であろうし、彼女が訪れたと回想する場所は私がつい最近訪れた場所である。私たちは、性別的な倒錯をたびたび引き起こすことをむしろ是としつつ、互いの休暇中に得た情報と意見を共用の可微分多様体へ書き残し合う関係性にあるのであり、高橋虫麻呂だってむべなるかなというわけだ。
虫麻呂を初めて知ったのはいつだったか、万葉集の中では多少は名のある歌人だから大学に入った頃には名前ぐらいは知っていたが、人はほとんど全ての場合、気にかけつつも名前だけ知りながら通り過ぎるものだ。恥を忍んで告白すると、私にとってそれが中高六年間で一度も同じクラスになれなかった佐原弘美でありヘミングウェイであり高橋虫麻呂なのである。
それが二〇一八年の五月、茨城県石岡市を一人訪れて筑波連山に誘われてあてもなく歩いていた際、田圃に囲まれた史跡を見つけて一変するのだから人生はわからない。そこは防風林に囲まれた田が一面に広がる素晴らしい景観の一角で、古くから師付づくの田居と呼ばれていたという。看板には万葉集からとった歌があった。

草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日 に 思ひ積み来し 憂へは息みぬ

私が地に貼りついて見ているこの風景を、千三百年前におそらく一人、旅に憂えて筑波山の上から見下ろした人間。それが高橋虫麻呂なのであった。
どうしてこの「筑波山に登れる歌」にそんなに惹かれたんだかわからないが、似たような目的で自然の中へ足を運んだ物故の同志と視線が交わるのは、三十二歳のすることと言えば書くことの人間にとってはこれ以上の慰めはないという出来事にも思われる。私は自然を信頼しているし、その信頼が滲んで取れない人間を書物の中に見つけるとついにこにこしてしまうのだ。これについては、小説家はあまり当てにならず、生物学者の素朴な本を読み漁るのが一番手っ取り早い。私がこの時に持っていたのは『サボテンと捕虫網』という燦然と輝く題名を持つ本で、文明社会から身を剝がしたい著者ジョン・アルコックは、 たびたび足を運ぶ山の頂上にて 「人間が残したみにくい痕跡に」気を滅入らせながら、町が朝もやに隠れるのをたいそう喜んでいる。自然自体はいくらひいきしても引き倒されることがなく、私はそれを信頼と呼んでいるのかも知れない。
そんないくつもの巡り合わせがつくった複雑な地形が分水嶺を動かし、師付の田居という一点から私のそれからの一年を思いも寄らぬ方へ流していったというのが事の発端である。
取り急ぎ、私は高橋虫麻呂に言及されている十数冊程度の書を全て買い求めた。読者の誰もがこんなことに数十時間と数万円を躊躇無くはたけるわけでもないことは請け合いだから、ここは数年ほど交際費を計上していない私めが責任をもって、なるべく無駄のないように、つまり読者がうんざりしないように、許容範囲を超えない字数と表現でもって紹介に努めようと思う。
高橋虫麻呂は奈良時代の歌人である。生まれも育ちも死についても記録がなく、その歌ばかりが万葉集に十八編三十六首残った。藤原不比等の第三子である藤原宇合の下僚だったと推定され、常陸国の国司とその隣国数カ国を統括する按察使に任じられた宇合に付き従って、七二〇年頃の三年ほど関東に在任し、各地で歌を残したらしい。その後、任を解かれた宇合とともに都に戻ってからもその関係は続いたようで、宇合が難波宮造営の責任者であった時代に、虫麻呂も難波に赴いてその地の伝説を素材とした歌をつくっている。宇合が節度使として九州に派遣される際に、壮行の献歌を詠じたということは万葉集の記述からはっきりしているが、その際、これまで宇合に付き従う中で詠んだ歌を集めた『虫麻呂歌集』を贈り、それが宇合によって保管され、後に万葉集に収められたという風に考えられる。というのが、諸説を管見して私の考えたところである。
読者のことを考えて書くというのは妙なもので、巷で言われる「簡潔な表現」とやらが、平易な言葉を断定的に用いることと同義であると感づくとき、私は襟足が一気に白髪に変わっていくような悪寒を催すことがある。そういえば、編集者が原稿に書き込んでくれる言葉で一番多いのは「もっとかみくだいて」(多忙な編集者に八画以上の漢字を書く暇などあるはずがない)だし、なるほど「かんでふくめるように」やらなければならないというのがこの仕事の趨勢ではあるようだし、それはしばしば正しい結果に終わることもある。しかし、それがせいぜい五人しかいないとされる素晴らしい顎や歯の持ち主に歯ぎしりをさせるぐらいなら、私は犬に与える牛皮ガムのような文章だって書きたい者だし、許されるならそれをなるべく遠くの草陰に放るようにして発表することを夢見る者である。
さて、師付の田居を訪れて以来、虫麻呂と同じく晩秋の筑波山に登ることを目当てに、私は関東のゆかりの地を片っ端から訪れるようになった。たいていそれらは東京から電車で数時間の範囲に散らばり、暇があれば出歩き幾度も再訪した。当地でモレスキンのハードノートに描写を書き留めたものもたまっていき、日々の読書や、日課の本からの書き写しも続く。頼まれた小説や書評もある。それらが招く断続的な考え事の渦の中で野間文芸新人賞を受けた。
そういう半年——と書くことの容易さと罪深さに対し、私はまるで眼圧検査のようにびくびくしっぱなしで自室の椅子に座っているのだが、その背中を後方上部、例えば本棚の天井際で横倒しになっている日本地名大百科の辺りから小一時間も緩く見下ろすと、案外、落ち着き払った堂々たる姿に映るかもしれないと考えないでもない。ただし、作家がそのような姿を見せることは一部の世間知らずのあらぬ誤解を助長するし、そもそもそこからでは肝心のものが私の体で見えないのである。私の体の陰にあるその肝心のものとは、その座り姿に似つかわしくない、ただしその真顔にはぴったりの、回想と引用と自己言及と比喩の詰め込まれた雑囊を〇・一ミリ幅に切って表れた腐りかけの黒々とした固い断面図たる文章である。その斑模様は全て旅の準備として、あるいは道中の拾いものとして、あらゆる感覚や手段を通してこの一年を書かんとする今へ一堂に会したものだ。一堂に会するというのは、それを詰めた時の私の高揚を少しでも表現できればと選んだ言葉だけれど、それらはやはり、更なる今の実感としては、三々五々に散っていく運命にある文章どもでしかなく、この潜在的な発声だったものが(私を含む)誰かの口を通して空気に触れる可能性が出てきたこのうちに、早くも腐りかけたように見える。だとしても、その腐敗を感得しているのはやはり私、この私だけなのである。私は、文章を次々に腐らせたくて書いているような気さえするのだ。

『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』
著者:乗代雄介
装画:ポテチ光秀
装丁:川名潤

定価:本体3,300円+税
四六判・総648頁

7月下旬刊

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東都西北、様々な意味において辺疆に位置する特殊版元です。新刊・近刊について編集・営業担当者が綴ります。