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スティーブンソン『ジキルとハイド』感想と簡単な考察

スティーブンソン『ジキルとハイド』 (田口俊樹 訳、新潮文庫:"The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde")

まず、新潮のこの表紙、かなりネタバレだと思う。ジキルとハイドが同一人物であることは小説終盤で明らかになるが、表紙がその全てを物語ってしまっている。少し残念というか、ホラー味が失せるというか。

私は、人間は善悪両方あっての存在だと考えている(ここで言う「悪」は道理から外れたことをしたいという衝動、もしくはその行動を意味する)。これを読んでこの考えがさらに補強された気がする。

善悪両方あるジキルが悪しかないハイドに食われていく、ハイドはもはや人間じゃない(と私は思ってる)から怪物が人間を潰しにかかっているという構図だが、まあ読んでいられなかった。人間の善悪の葛藤が半ば可視化された形ではあるが。真に正しく述べると、ジキルの場合は善悪の葛藤というより善悪と悪の葛藤になる。一般的な人間が抱えているものとは異なる葛藤をひとりで抱え込んでいたのである。しかし、こんなにも悪が勝つことってあるのか。彼の場合は善悪の比率が1:2だった。そりゃあ勝つか。ただ、現実でもあるんだろうなあと。だから世の中殺人が起こりまくっている。加えてもうひとつ。記憶が残るっていうことも残酷である。ジキルは可哀想とも思わなくはないが、自分で選んだ道だから自分で処理してくれと思う。自己責任である。

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