報道と幸せな職場は両立できるのか|元新聞記者・辻 和洋|私が学ぶ「私的」な理由
國學院大學経済学部の助教として組織の人材育成、マネジメントを研究する辻和洋さん。全学部の教員を対象に学生が選ぶ「ベストティーチング賞」を2度受賞するなど、指導に定評があり、NPO法人「Tansa」でジャーナリストの育成事業にも携っています。
もともとは新聞記者という異色の経歴を持ち、全国を揺るがす大きなスクープの実績も。そのまま志高く報道の道を歩むはずだった辻さんが5年で記者を辞め、再び学びの道に足を踏み入れたのは、報道の現場でぶつかったある課題がきっかけでした。
記者がやりがいをもって働くには
——もともと新聞記者だった辻さんが大学院で学び直したきっかけは?
新卒で読売新聞社に入り、事件記者として丸5年間、現場を走り回りました。記者は入社するとまず地方支局に配属されるのですが、そこでそれなりに大きなスクープを書くことができ、大阪本社の社会部に引っ張られました。本社の社会部と言えば会社の中枢。「読売の中枢に行けたんだ」と嬉しくなり、さらに頑張ろうと思いました。
ところが、異動して最初に感じたのは職場の雰囲気の悪さ。一人一人で見れば特別人柄が悪いわけではない。なのに職場全体で見るととても殺伐としていたんです。
——どんな職場環境だったんですか?
記者の仕事はただでさえ激務です。それに加えて減点方式、体育会系の風土がありました。いま思えば、あれは軍隊のようなものです。上司に言われたことには「はい」か「いますぐ調べます」で答えろ、「できません」、「わかりません」はないと教わりました。
体系立てて教えられることは先に教えた方が早いと思うのですが、とりあえず現場に放り込むのが新聞社の文化です。新人記者は最初、「署回り」といって警察担当になります。でも「お前の担当はこの署だ」とだけ言われて、後はほとんど何も教えてもらえない。何を聞けば記事になるかもわからないから、署に電話をしてはデスクにダメ出しをされ、また電話をしてを繰り返す。そんな調子で毎日いろいろなところで怒られながら学んでいきます。
僕は学生時代に体育会で鍛えられていたので大丈夫でしたが、そのタフネスを全員が持っているわけではありません。情熱を持って入社した若手がモチベーションを失ったり、場合によっては心身を病んだりということが起きていました。
いつしか「もう少しうまい育て方があるのではないか」と疑問を抱くようになりました。記者は社会的意義のある素晴らしい仕事だし、集まってくる一人一人は情熱を持った優秀な人たち。彼ら・彼女らがもっとやりがいを持って、幸せに仕事ができる環境に変えていきたいと思いました。
読売に居続けて偉くなり、中から変える選択肢もありました。ですが当時の自分は29歳。権力闘争を勝ち抜き、管理職になるまでには最低でも10年はかかります。それよりは外へ出て、自ら知見を生み出し、多くの人に届ける方がいい。ゼロスタートの茨の道ではありますが、その方が自分の人生としても面白いと思って、退職しました。
すぐに役立つ学びは廃れるのも早い
——それで学び直すべく大学院へ?
いえ、まずは産業能率大学 総合研究所に転職し、研究職ではなく、大学の職員になりました。企業向け研修の老舗で、社会人のための教材の開発などをしている研究所です。ここなら培ってきたスキルを生かしつつ、職場における育成や学び、マネジメントに関する仕事ができると思ったんです。
けれども、同僚は皆ひと回り以上年上のベテランばかり。この職場で貢献しようと思ったら、経験値や知識では勝てませんから、何かしらの専門性がいる。それで働きながら大学院へ通うことにしました。幸い職場がスーパーフレックスタイムを採用していたので、出社時間は柔軟に変えられました。
職場内でのプレゼンスを高めるような専門性を身に付けることと、もともとの関心事である「新聞社の職場」の研究、その二つを両立できる大学院を探しました。すると、東京大学大学院の学際情報学府に、ちょうどジャーナリズムと人材育成の授業があったんです。
ジャーナリズムの先生か人材育成の先生か、どちらに師事するかで迷いましたが、後者の方が職場で生きるし、人材育成の目線でジャーナリズムを見た方が研究としても新規性がある。総合的に考えて中原淳先生の研究室に入ることにしました。
——働きながら研究活動も行うのは大変だったのでは?
何より時間が足りなかったです。ビジネスは問題解決や成果に向けて最短距離で考えるじゃないですか。目標が「売上金額●千万円」なのであれば、それをいかに早く達成するかを考えるのがビジネスです。一方、研究はまっすぐではなく「蛇行」します。
たとえば自分が新聞社の人材育成に関して何かしら明らかにしたいと思ったとして、「新聞記者 職場」で検索して先行研究を参照するだけではうまくいかない。他の業界の職場も見た方がいいかもしれないし、専門職全般を調べた方がいいかもしれない。さまざまな角度から問う必要があります。それによって新しい視点が生まれる。蛇行することに意味があるんです。
蛇行するとはつまり、ものすごく時間がかかるということです。それまで1分1秒を争う仕事をしてきましたが、これからは年単位の活動になる。ここが研究とビジネスの大きな違いだと感じました。
ここから職場と大学を行ったり来たりする生活が2年続きました。時間的な制約がある中で一つの論文にまとめなければならない苦しさはありました。
——研究とはすなわち蛇行すること。とはいえ、近年はわかりやすく役に立つ内容でなければ研究しづらくなっているという声も聞きます。
目先の「役に立つ」を追う感覚で学ぶ知識と、もっと中長期的に本質的なものを明らかにして得る知識とでは、やはり毛色が違うと思います。もちろん「コスパ」「タイパ」「役に立つ」という学びも否定はしません。自分の人生を豊かにするため、あるいは仕事をよくしていくために、そういうことを学ぶのもそれはそれでありです。
けれども、効率性とか目先のことを考えて学んだものは、廃れるのも早いと思います。中長期的に見て、物事の本質を考えるような学びを併せてやっていく方がいいのではないでしょうか。それはきっと自分の人生の軸になったり考え方の基盤になったりする。何をもって「役に立つ」と考えるのかで、学ぶ内容も変わるのではないかと思います。
学びの方法は本来多様
——大学院での2年間の学びの体験はどんなものでしたか?
全ての研究室に当てはまるかはわかりませんが、中原研究室に入って最初に思ったのは、本当の一流は能力の高さと同時に人格も備えているということでした。中原先生は人材開発・組織開発研究の第一人者。ですが、すごく若いんです。僕と10歳も離れていない。それでいて本当に素晴らしい人間性を持った先生でした。
自分の利益にならないのに、本当に懇切丁寧に指導してくれました。先生自身は忙しいので細かいところまで直接見てもらえるわけではないですが、先輩たちがいろいろと教えてくれて。学びをすごくサポートしてくれたんです。
——新聞社時代とは大きく違いますね。
真逆の世界でした。学びのコミュニティが確立していて、それが一つの文化になっていた。研究発表一つとっても、必ず先輩に相談して、そのフィードバックをもとに磨き上げてから発表するルールになっていました。僕にはそれがありがたかった。
——新聞社では「とりあえず現場に放り込む」教育を受けている辻さんにあえて聞くのですが、どちらの学びが良いと感じましたか?
どちらがいいとは言えないです。「学ぶ」と言うと、書籍などを使って勉強するイメージがあるかもしれませんが、学びは本来もっと多様です。最初に新聞社で体験したのは「経験から学ぶ」こと。一方、研究者コミュニティで体験したのは「関わり合いから学ぶ」こと。それぞれに特性があります。どちらも学びとして成立していると思います。
もちろん経験によってしか学べないものはあります。ですがその前提として、先に学べるものは吸収しておいた方が、成長スピードは速くなる。重要なのは、学ぶ対象や状況に応じて適切に環境を設計し、学び方を変えることではないでしょうか。
——それには教える側の技術も問われますね。
職人的な世界には「暗黙知」といってまだ言語化できていないスキルが多いです。必要なのは、それを言語化し、体系化する努力だと思います。取材の方法、インタビューのスキル……こうしたものを全て「感覚的なものだ」と言ったら、それ以上の進化はありません。それこそ一対一で職人的に学ぶしかなくなってしまいます。
実際は、言語化する必要があれば、ある程度はできると思うんです。僕はそこにアプローチしています。「Tansa」でジャーナリストの育成事業をやっているのもその一環です。
大人の学びは答え合わせ
——ご自身の研究内容も伺いたいです。
新聞社の調査報道を成立させるためのプロセスの研究をしています。要するに、新聞記者はどうやったらスクープを書けるのか。そのために必要な記者のスキルと職場の状況を明らかにすることに取り組んでいます。
——現時点での成果は?
調査報道を成立させようと思ったら、実は記者のスキル以上に組織のコンセンサスを取っていくところに大きなボトルネックがあると気づきました。調査報道をやろうと記者がネタを取ってきても、上層部がなかなかGOサインを出さないのです。
役所などによる記者会見や報道発表に基づくものと比べて、新聞社の名の下に調査報道を行うことには、会社としてすごくリスクがあります。役職のある人はリスクを取りたくないから「裏を取ったのか」「本当に報じる価値があるのか」などと、あの手この手で潰そうとしてくる。その組織の壁を突破することが、調査報道成立においてすごく重要であるとわかってきました。
——一般企業でイノベーション、新規事業が生まれない構造と似ていますね。
おっしゃる通りで、僕もまさに経営学のイノベーション研究を援用して博士論文を書いたんです。
——突破するすべは?
一般化はまだですが、事例研究としては、現場と上層部をつなぐ「デスク」の働きが重要であることが示唆されています。このポジションの人がいかに戦略的に動くかで、報道が成立するかどうかが大きく左右されるんです。
たとえば取材の初期段階では上司に報告せずに、水面下で動く。デスクはうまく経営資源を引き出しつつ、現場の記者もルーティンの仕事をしながらちょっとずつ情報を集め、そろそろ行けそうだというタイミングを待って「これはすごく意味のある報道なのだ」と上司に訴えていく。そういう成功事例があります。
いきなりオープンにやると潰されてしまうので、しっかりとしたビジョンを描きつつ、段階段階でいかに組織的な合意を取っていくか。これもイノベーションの分野で「闇研究」と言われているものとかなり似ているんです。
——報道とイノベーションに共通項があるのは面白いです。もしかしたら辻さんが最初に感じた新聞社の職場の問題も、一般企業に通じているのかもしれないですね。
おっしゃる通りで、調べれば調べるほど、新聞社が独特なのではなく、一般企業と同じ問題を抱えているように思えてきています。たまに若手の記者が相談してくるのですが、「それって普通の企業と同じ問題だな」と感じることがよくあります。
むしろ問題は、新聞社の記者たちが「自分たちは特殊だ」と思い過ぎていることではないでしょうか。だから一般企業なら当たり前にやるマネジメントや部下育成の研修を怠ってしまう。現場でスクープを書いてきた、職人的なスキルを持った人が偉くなり、「背中で覚えろ」「自分で学べ」という空気を部下に押し付けている。
——ただ、一般論で語れるということは、それだけ解決のヒントが得やすいとも言えます。
そこが大人の学びの面白い点です。僕自身「答え合わせ」をしている感じがします。新聞社で自分が抱えていたあの問題に、実はすでに答えを示してくれている先人たちがいた。自分独自の考えかと思っていたら、明治時代に同じことを言っている人がいた。学んでいると、そういう発見があります。ゾクゾクと身震いする瞬間が多々あるんです。
学べば学ぶほどに景色が変わる
——改めて社会人の学び直しについて。「リスキリング」の流れはどう映っていますか?
大人の学びが大事というのは以前からずっと言われていること。環境が変化したらそれに適応していかなければならないのも世の常です。
ただしそれも、その人自身の幸せ観によりますよね。ビジネスの世界で生き抜くというのであれば、変化に適応すべく自分もまた変化する必要がある。でも、それだけが人生ではない。変化の緩やかな離島で暮らすのが自分の幸せというのであれば、また違った生き方があるでしょう。
——リスキリングには「学び直さなければ生き残れない」「会社に必要ない」というように、学ぶ理由を誰かに押し付けられている感じがあります。一方で辻先生のここまでの学びは、ご自身の経験、問題意識に基づいた内発的なものと感じました。
自分のキャリアに必要なのであれば、「これを学びなさい」と言われたものでも受け入れざるを得ないのかもしれません。でも、僕が思う大人の学びはそういうものではない。やはり自分で経験をして、そこから生まれた問題意識に基づいて何かを学ぶ。そうすると見える景色が変わってきます。その発見こそが学びの面白さです。
僕がよく学生に見せる風刺画があります。本を読まない人には「お花畑」が見えている。本を読み、読んだ本を積み重ねた高さから見ると「闇」が見える。さらに読んで積み重ねると、雲の上まで届いて「物事の本質」が見える。
学べば学ぶほど世の中の景色は変わる。その面白さを多くの人に大切にしてほしいと思います。それが物事をもっと多面的に捉え、深く考察することになる。ひいてはみんなにとっての豊かな社会を考える眼差しにもなるのではないかと。
なんだかいまの日本は息苦しいじゃないですか。電車に乗っていても、みんなスマホを開いてスキャンダルや不祥事に夢中になっている。こんなにも情報にアクセスしやすい時代に、そういうことでストレスを発散したり、時間を消費するのはもったいないな、と。
もっと内発的に湧き上がってくる関心や興味をもとに、いろいろな情報にアクセスしたり、誰かと対話したりしたら良いのではないでしょうか。するとその中で新しい気づきが芽生え、関心はどんどん広がっていく。
そういう生き方をすると、可能性や希望も生まれてきます。「5年後、10年後にこうなっていたい」「こういうことがやりたい」というものがどんどん出てきます。そういう意味で、目先の利益というより、人生を豊かにする学びというのがやはりある。僕自身はいま、それが仕事とつながっている。だからすごく楽しいと感じているんだと思います。
執筆:鈴木陸夫/撮影:本永創太/編集:日向コイケ(Huuuu)
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