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いじめられた経験があるとなぜ生きづらいのか気づきました

ご覧いただきありがとうございます。

私、気づいちゃいました。

これまで自己肯定感を学び
心理学を学び
さまざまなサイコセラピー(心理療法)を学ぶ中で
生きづらかった
と自分に気づくことはできるようになったけど
どこか、「まだ何かある」感じがしていました。

それは自分が思っている過去のデータにありました。


過去の記憶

幼いころ母親は厳しかったので
よく叩かれたし
褒められたことはないし
文句しか言われませんでした。
体が痛いと言えば「痛い痛いってうるさい」
お菓子食べたら「勝手に食べて人に渡すものだったらどうするんだ」
という具合に。
相当大人になってから
「あんたの時代はいじめとかあったの?」
と聞かれたので
「あぁ、あったよ」と答えたら、
「なんで言わないの!」とまた怒られる始末です。

そのイジメは小学校時代に
女の子のグループで仲間外れにされるのが
順番に回ってくるというものだったのですが
(今でいうLINEグループ外し的な??)
現在東京都中学校教諭である主犯格の人物と
私は中学も高校も一緒で部活まで同じで
付き合いが続いていました。
(▶︎自己紹介はこちら)

相談相手がいなかったというよりは
自分のつらいという感情も
相談するという選択肢も
わからなかったというのが正しいです。

その特徴と関連している

気づいたのは
自分が苦手とすることが
母親やいじめの犯人の特徴と関連している
ということです。

犯人は、リーダータイプで
仕切ったり幹事をやるタイプ。
先生にも意見するし
友達にも「xxはダメだよ」とか
はっきり言ってしまう人物でした。
謎のこだわりや謎の納得感を押し通す感じの。

だから!
今も
勝手に場を仕切る人が嫌いだし
いつも輪の中心にいる人が嫌いだし
世間知らずな人が嫌いだし
リーダーにはなれないと思っているし
幼稚園教諭にはならなかったし
自分が仕切ったり、宴会の幹事とか苦手だし
聞いといて大事なことを後出しする人が嫌いだし
友達多い人の付き合い方は信用ならないし
言いたいことがなかなか言えない

経験と紐づけている

あれは
過去の経験なだけなのに
その時と似たような特徴にぶつかると
説明できないような感情になっていました。

過去の経験と紐づけて
苦手なことにする
と決めたのは私だったんですね。

本当は
幼稚園の先生になりたかった
友達たくさん欲しかった
ホームパーティとか好き
たくさんの人に囲まれておもてなししたい
アイデアがたくさんあるし
伝えたいことたくさんある
人の気持ちを一番大切にしたい

再体験しなくていい

かと言ってあなたにも
生きづらさを感じた時、過去に似た特徴があったか思い出してみて
とは言いませんので安心してください。

過去に戻らなくても
思い出すまで考え込まなくても

今、疲れていたら
「疲れているんだな」
「疲れていることに気が付いたんだ」

いまのそのままを受け入れるだけOKなのです。

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