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自己紹介【第四話】~ 一筋の光 ~

皆さんこんにちは!心の健康家 高橋 崚(りょう)です☀

いきなり衝撃的な写真だったかもしれませんが、あれは高校卒業時の私です。
当時90キロ前後ありました。
今の私の顔つきを知っている方は、びっくりされているかもしれません(笑)

今日の物語は高校卒業の当初から、時間を経て、やっと暗闇の中から、
一筋の光が差し込んできたところまで、綴って参ります(^^)


↓前回までの自己紹介ブログはこちらから↓
第一話:https://note.com/kokoronokenkouka/n/nc410351b6e94
第二話:https://note.com/kokoronokenkouka/n/nc86a010bf5b7
第三話:https://note.com/kokoronokenkouka/n/n6ff8537168a5


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少し時を遡り、14歳の夏。中学生3年生の僕。
父からの勧めで、フィットネスジムに通い始めました。

ジムでお仕事をされている、トレーニングマシンを指導されている
フィットネストレーナーに憧れて、「将来このお仕事につきたい!」

心から始めて、将来やってみたいお仕事に出会えた瞬間でした!!

時を戻し、さらに進めて
高校三年生の最後の日がやってきた。

「3月1日」
この日は自分の18歳の誕生日。一日中大雨だったことが記憶に残っている。

行きたい就職先(フィットネスジム)に行けるように、色々と尽くしてくれた
担任の先生にも感謝をして、フィットネスジムで働けるような、
トレーナーやインストラクターを育成してくれる、専門学校に入学。

入学前から、好きな筋力トレーニング(筋トレ)のことを勉強していたけど、
入学当時の体重は92キロ。体脂肪率は30%を超えていた。
(筋トレを始めて、ストイックになっていた頃は、体脂肪率8%を切り
体重も50キロ前半でした)

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「さすがにヤバイ。」体型がすごすぎる。ジムで働けるような体型では
なかった。
同じ目標を目指している人で、自分みたいな体型の人はいなかった。

専門学校に入学して、人生初の減量を目指して、挑戦を始める!
(過去一度も体重を減らせたことがなくて、とても心配でした)


ダイエットという目的を達成するために、まず、我慢ルールを決めた。

焼き肉禁止。炭酸飲料禁止。油物は特に制限しなかった(笑)
どこかまでが、油物とするか管理が細かすぎて、難しいし。

できるところから、自分を変えていった。(焼き肉と炭酸は大好物でした)

家に帰る前には、専門学校の近くにある、松屋で食事を済ます。
(家に帰って、食事が遅い時間にならないために)

食べる物は決まって、サラダとトマトベースの煮込みハンバーグ。
ここでも大好きなキムカル丼は禁止することに。
(たれがかかったカルビ丼にキムチが乗っかているどんぶり)

※いまこの記事を綴りながらお腹が空いてくる(笑)

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よく今でも周りからストイックと言われていれますが、
正直あんまり厳しくするのは、昔から好きじゃない。

できる範囲でやれることを今も昔もやっている。

けれど、できる範囲でやっていることが周りからすれば
ストイックと思われるのかも知れない。書きながら、いま感じている。

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できるところから努力をしていった結果、
約半年で、10キロ以上体重を落とすことに成功!!!

目標を掲げながらもちゃんとできている自分に対して、
内心びっくりしていた!!!


体重はすぐ落ちたわけではなく、一ヶ月に1キロ~2キロペースで
落ちていった。

健康的に落とすことができた。すぐに大きく体重を落とせなくても、
毎月毎月、喜びをしっかり感じていた。

自分の体重に関して、安定していったし、比例して徐々に
心も安定していった気がする。


停滞期もあったけど、(急に体重が落ちなくなる時期)その後も
できることを続けて、停滞期が過ぎても体重も上手く落とせていった。


最終的には、約15キロ体重を落とせた。


このダイエット時期には、ほとんど筋トレをしなかった。
きっと心のどこかで、よく分からない固定観念に支配されるのに抵抗が
あったのだろう。

そう考えると、太ったお陰で、筋トレをしなくても、日々を送れるように
なったのかもしれない。

太ってしまった自分が心や過激な私生活が変わっていったのかも知れない。


ダイエットはおおむね上手くいったけれど・・・

コミュニケーションは相変わらず、上手く取れなかった。
ここは、高校時代からほとんど変わらなかった。

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専門学校を在学中、フィットネスジムに就職する前に、
アルバイトをした方が良いと専門学校の先生や両親からも
言われていたので、体育館にあるマシンジムでアルバイトをすることに。


マシンジムのアルバイト時期は、ここまでで綴ってきた経験や悩みは
話すことができなかったけれど、私自身が乗り越えて発信をするように
なってから
優しい言葉をかけてくださったことが、心の中に残っています。

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専門学校に通い始めた 大きな目的のフィットネスジムの就職のために、
一年生の1月頃から早速、就職活動を開始!


フィットネスジムの大手や中小、色々と活動をしてみた。
けれど、一度も一次選考を通過することはできず。

丁度のこの頃は、「超就職 氷河期」と言われている世代でもあった。

とは言っても、そこはそんなに関係がなかったのだと思う。
自分より後から、就職活動をしていった人は、どんどん就職先が
決まっていて、自分はどんどん周りから取り残されていった。

試験に受からなかったのは、どこか自分自身に原因があったのだと
思いながら、少しずつ場数を踏んでいた。
(場数を踏んでいったと言いながらも、大学生ほど、力を入れて就職活動を
している訳ではなかった。)


そんな場数を踏んでいるある日、専門学生の先生から、

「りょうは介護の仕事が向いていると思う。そっちなら
上手くいくんじゃないか?」というような助言をいただきました。


専門学校卒業まで、あまり時間がなかったこともあって、
フィットネスジムで働きたい!という思いは脇に置いて、
介護の会社に数社、挑みました!


フィットネスの方は、一次選考を一度も通らなかったけれど、
介護の方は最終面接までいけた!

でも、手応えはあまり感じなかったし、当時やりたい仕事でもなかった。
※今現在は、望んで介護のお仕事もしています。

結果、やっぱり内定はもらえず。

向いていると言われたけれど、やっぱり現実はそう甘くはなかった。


専門学生二年生の2月頃。

母から言われたことが嬉しかった。

「りょうのやりたいことをやったほうが良いと思う」
この言葉に励まされ、最後にもう一社だけ、気になっていた
フィットネスジムの会社に挑戦することに!

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一ヶ月前の三が日で、食っちゃ寝生活をしたことで、5キロも増えて
履歴書に使っている写真よりも、顔がまん丸な常態で面接に行ったことは
内心不安でした。(正月のたった3日で5キロ増えました 汗)

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面接試験を受けた結果、3日間 研修生として現場に入り、入社審査をさせて
いただけることに!「とても嬉しかった。」

研修3日間を過ごした結果、正社員として
採用が決まりました!!

ようやく、就職先が決まったこと、
念願のフィットネスジム(フィットネスクラブ)で働けること、嬉しかった。
この採用が決まったとき、二十歳の誕生日を迎えました。

いま振り返ってみても、幸せな一日だったと感じます。


そして、正社員の生活が始まります。


でも、ここで事件が起きます。

やりたかった、マシンの指導がほとんどできない。
フィットネスクラブのお客様と上手く会話ができない。

人と上手くコミュニケーションが取れないことや、昔からどんくさい
一面もあったことに、拍車もかかり、辛い日々が続きました。


周りと比べて、上手くいかないことばかりで、私には全然長所がない。
そう思って、社会人生活を過ごしていました。


半年が経ったある頃、中途で凄い人が入社してくることを聞きました。
なんだか、周りの方の反応も凄かった。きっと凄い人なんだろうと思った。


当時、全く想像ができていなかったけれど、
その方がきっかけで、私のどん底と思えていた人生が大きく
変わっていくのでした。


続く。

あとがき
毎回、この「あとがき」を書くのが密かな楽しみになっています(*^_^*)

昨日は、母のことを「まえがき」と「あとがき」で綴りました。

ここでは、父が辛い思いをしたことを綴りたいと思います。


母と同じく、父の身に起きた辛いことを書くことで、
私の両親と同じ悩みを持つ方の気持ちが少しでも楽になると思い、
両親には恐縮ながら、許可をもらって、綴っております。


私が14歳の頃、まだ入院前のとき、父にお願いしていたこと。
「筋トレ中は玄関を開けてほしくないので帰宅しないで」と
伝えていました。

父はそれがかなり辛かったみたいですが、
当時の私は玄関を開けられるのがかなり辛かった。

物音に敏感で、筋トレに差し支える。(外の音や家の中の音)
筋トレ中は、外の空気を吸いたくないから、熱くても
窓を開けられなかったし、エアコンも付けられなかった。


何よりも、この一番私生活で大変だったと思える時代に、父が仕事の
関係で、単身赴任にしていたことが、何より辛かったとのことでした。


今でも、父に言われることがあります。
「あの大変な時に一緒に入れなくて、ごめん」と。

私はあんなにも迷惑をかけた家族に、両親にこんなにも大事に育てて
くれたことに、いま思い返しても感謝が溢れてきます。


この苦しかった過去はきっと、
他の誰かの助けになるために経験したんだと。
そう言い聞かせる部分と、本当に誰かを救うための力をいただいたのだと、
思っています。


だから、新型コロナに負けずに今を力強く、お困りの方に私ができることで
お役に立てるように明日も記事を綴って参ります!!


明日から、20歳の私の人生が大きく変化する物語です。

「起承転結」でいうと、「転」の部分です!


本日も長い記事を最後までお読みいただき、本当に有難うございます☀
お読みいただけたこと、とても幸せです🍀


今日の一枚はこちら(^^)♪

noteブログ第五話【文末画像】

雲の隙間から、一筋の光が差し込む。


心の健康家 高橋 崚(りょう)

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