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はじめの一歩 其の5 心のパートナー

(心のカタチより)

皆さんにとって心とはどのような存在でしょうか。自分には心があるけど特に気にはしてない。

何となく存在を知っていて。自分や誰かが悩めば解決してくれていればいい。
そんな存在ですか。

『心のパートナー』

心のカタチでは
心を「もの」と云う。
心を「使う」とも云う。
それは心を軽視している訳ではなく
それなりの理由がある。

「存在と理由」

人は然程(さほど)意識せずとも心を使っている。
それは然程習ってなく心を知らないから仕方ない。

されど知らないまま使おうとしてしまう。
その心への期待を無理強いすれば
期待に沿えず感情を湧かしてしまう。
当たり前。
期待した心を知らないのだから。。。

その湧いた感情に囚われれば心に使われもする。
”思いと違い(心に)振り回されている人”のこと。
それが心を知らない証となる。

心を知らないのならせめて存在を意識しよう。
人は「物」を意識することができる。
ならば心も”もの”とすることで意識できる。

自分に心が”ある”と言う人はそれが出来るはず。
「物」は道具としても扱える。
その理由は便利に使えるから。

ならば心も”もの”として扱えばいい。
人は”幸せになりたい”と云う。
ならば心は扱ってこそ便利となる。
それは自分のためになり
幸せになるために存在することとなる。
それが心の”ある”理由。

と。心のカタチでは定義してます。

「心友」

人には「知人」という知る人がいる。
そこには「親友」と呼べる友がおり
·さらに自分たちには「心友」という友がいた。
それを自分と心の存在を親友に例えます。

いつものように辞書でひいてみる。
親友とは「互いに心を許し合っている友」と書いてありました。(goo辞書より)

知人から親友になると互いに心を許し合い
絆を深め合います。
但し。その絆では失うこともあるのです。
それはもともと赤の他人だから仕方ないこと。
冷たく聞こえるかも知れませんが
その失う理由が自分にあるのです。

それは心を知らないこと。
だから。繋ぎ止まらないのです。

そもそも絆は何を繋ぐいでいるのか。
それを心と思っていては過信となります。
心は一つとして同じ”もの”がない。
それは誰もが知っていること。

その同じでない”もの”を繋ぐには無理があります。
それでも無理に心を繋ごうとすれば
自ずと感情になります。

では。繋ぐのが心でなければ何を繋ぐのか。
それは心の中心にある「気持ち」となります。
気持ちを繋ぐと言ってもいま一つ解らないと
想いますので少し補足をします。

人は誰もが「幸せになりたい」と思ってます。
当たり前なことですがこの当たり前が
互いに共感し得る”もの”となるのです。
その同じ価値(きもち)が唯一繋げられるのです。

人は会わずしてこの「気持ち」を判ってます。
だから。誰もがその気持ちを”許し合い支え合う”ことをするのです。
それは幸せになろうとする他ありません。

だから。
人は”心”で絆を築くと思いがちであっても
それが心にある感情も含めてのことです。
感情は覚めもして繋がりを失わせます。

親友は失うことがありますが
自分と心は同じ価値で繋がっております。
”幸せになりたい”
だから。離れることはありません。

絆の基本が自分と心の絆にあるなら
人にも心の繋がりを求めているのです。

この絆を持つものどおしを「心友(しんゆう)」といい
気持ちの繋がりを築くことで
”心のパートナー”となるのです。

つづく

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