【連載】家族会議『祖母の苦労を労わりたい』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議7日目#1|祖母の苦労を労わりたい
――2020年1月12日。家族会議7日目。
先日から母方の祖母の話を聞いている。祖母が不満を抱えながら子育てしていたことが、母の価値観に、良くも悪くも影響しているからである。
父:
今日ね、続きを聞いたんだわ。そしたらすごいぞ、おばあちゃん(父にとっては義母)。
わたし:
何がすごいぞ?
父:
あのね、うちのおふくろは一生懸命働いてるって、小さいながらに思ってたんだけど、そんなもんじゃないわ。あれは普通、心が折れても不思議じゃないくらいに頑張ってる。びっくりした話聞いて。
わたし:
どんな話?
母:
休みが1月の1ヶ月だけで、それ以外は毎日働いてたっていうのとか。
あと馬小屋とか牛小屋とか、そういうのを建てるときに自分ちの山から木を切ってきて、製材は製材屋さんに頼むと思うんだけど、とにかく木を準備するっていうのを、おじいちゃんと、おばあちゃんと兄嫁さんの3人で切り倒した木を、家の前まで運んでくる。それが、大変だったって。
父:
普通それはね、牛か馬なんだよな。
女の人は普通やらないぞ。男がやる作業なんだから。
母:
うん。そんなことやってたから腰曲がったかなって言ってた。
あとはそういえば朝、おばあちゃんが本家(祖父の)に行って朝ご飯作るわけよ。結婚したときから10年くらい行ってたのかな。とにかく本家に行って、お姑さんと2人で朝ご飯作って、兄嫁さんたち夫婦は草刈りに行くんだって。その人たちが帰ってきて、そこでみんなで朝ご飯を食べるみたいな。
――同居しているわけでもないのに、ほとんど生活を共にし、嫁として夫の実家に尽くしてきたのが祖母だった。夫が家を継ぐわけでもない。そんな家に奉公人のように通ううち、不満を溜めてしまうのも致し方なく思える。
父:
なんか実家に戻るっていうイメージがまるっきりないんだな。一旦出てきたんだから、意地でも戻らないと。
母:
まあそういう覚悟で。
父:
そういう覚悟があったから、そういう(つらい)仕事がつとまったのかなと。
母:
とにかくお姑さんたちに一生懸命だったんじゃない?
わたし:
そうだよね。文句ありつつも、逆らっちゃいけないっていうか。
でもおばあちゃん、そういう考えをお母さんに教えてきたわけじゃん?つまりおばあちゃんがそうやって教わってきてるよね。
母:
おそらくね。
わたし:
そう言い聞かせられてきてたし、昔だからより当たり前の時代。お母さんのときよりも。だからもう、仏滅に引っ越ししちゃいけないのと同じぐらい当たり前っていうか、一度出たら戻らないのが当たり前みたいな。
父:
その我慢強さたるや『おしん』みたいだね。
母&わたし:
おしん??
父:
すごいよ。
それにしても今まで聞いたことのないのをずいぶん聞かされた。おばあちゃんがかわいそうになってきたな。おじいちゃんもっとしっかりしろよと。いう気持ちが出てくるな。
――家族会議をやるようになって、父も母もお互いに「知らなかった」という話が多いなと感じている。それだけ会話をしてこなかったんだろうなと。
夫婦それぞれの背景を知ることは、必ずしも必要ではないかもしれない。「いま、ここ」を大事にするという視点で言えば、今、目の前にいる夫や妻を、まるごと受け入れれば良い。
だけど親や過去のことは、人格形成に大きく関わっている。それを知ることで、より相手への理解が深まるという側面があるのも事実だ。
母:
この話をおばあちゃんが愚痴っぽく言っても、誰もあまり聞きたくない感じだったとは思うけど。
わたし:
まあそうだね。
昔に溜め込んだフラストレーションによって、今のおばあちゃんがあるってことね。
母:
うん、そうだと思う。
わたし:
お母さんもおばあちゃんに言い足りないのかもしんないけど、おばあちゃんも何かいろいろ言えてない。おばあちゃんも愚痴とか文句はよく言ってるけど、直接言ったりとか、本当の本音って出さないわけじゃん?なんかちょっと遠まわしで。
だからやっぱり、出せてないってことだよね、本当の本当のところが。
母:
そしてまた出すっていうことに相当、ブロックがある。
なんかまたおばあちゃんの話になっちゃったけど、この話をしたからなんかね、おばあちゃんと電話したときにいろいろ聞いてみたいなとか。
わたし:
わたしも行って、おばあちゃんにいろいろ聞いてみたいなと思った。
母:
聞き方もなんかちょっと、今までと違って、もうちょっと、おばあちゃんが言いやすく聞けるかなって気にもなってる。泉を見てると泉の言葉とか、泉の喋りを聞いてたり、言われたりしたこととか考えると、もうちょっと聞き方とかもあるかな、みたいな。
わたし:
そうだね。お姉ちゃん曰く、お母さんが(気持ち)出しちゃった方が、おばあちゃんとの話もより良くできるかもねって。
母:
出しちゃったほうがって、ここでね?
わたし:
そうそうそう。まあ…。
出してもいいと思うけど。ただ状況とか、おばあちゃんの年齢とか考えると難しいのかな。
母:
出し方もあるよね。責めるようなじゃなく。
わたし:
あ、そうだね。うんうん。
こういう場でいろいろ出して、これだけはわかって欲しかったなっていう気持ちを伝えるとかでもいいかもね。
話しながら闇雲に出していくとさ、愚痴とかただの文句とかになっちゃうから。
ここで本当の気持ちを探って本当にわかって欲しかったこととかを伝えられると、だいぶスッキリできるのかもね。
母:
ここで言うことによって心の余裕もできるような気もするし。
わたし:
そうだね余裕ね。余裕が必要だよね。
ね、おばあちゃん。もっと労わってって感じかもね。みんなに。やっぱ頑張ったんだから。
母:
うるさそうにされちゃうしね。
わたし:
もっと労わってってっていう感じの態度になるのもわからなくはないね。背景を考えれば、労わってあげたくもなるっていうか。
愚痴っぽくなっちゃうところかな?おばあちゃんがちょっと嫌われがちなの。あと口うるさいのと細かいってことか。
母:
なんか、自分の気持ちがほぐれてきたら、あんまりうるさく言わないような気もするけど。
わたし:
おそらくね。何かがあるから愚痴っぽくなって、それが煙たがられちゃうみたいなことだよね。
だからそうだね、今のおばあちゃんにさ、「今の時代はこうなんだから」とかって言っちゃうと、ちょっとおばあちゃんがかわいそうなのかな。
母:
そうだね。「私はこういう気持ちなのに、そっちを労わんなきゃいけないの?」みたいな。まずは自分がやってもらいたい。
わたし:
おばあちゃんをまずは労わってあげないと、なかなかそっちの方向に気持ちが向かないってことだね。
――祖母は自分が大変な思いをしただけに、嫁や孫の嫁に対する不満が多い。固定観念も強い方だから、「こうあるべき」を押し付けてしまう。自分で自分を「こうあるべき」と押さえつけてやってきたのだろうし、その我慢や苦労をわかってくれる人もいなかった。
であれば、「こういうもんだ」と自分を納得させるしかなかったのだろう。
わたし:
お父さんがおばあちゃんに、何か言ってあげるのもいいよねって思う。
おばあちゃんの昔の話いろいろ聞いたんだけどさって「いや本当大変だったね」とか、「ご苦労様でしたね」とか。
父:
本当だなぁ。
わたし:
男の人から言われるっていうのも、ほぐれる体験になるかもってちょっと思うよね。
- 今日はここまで -
先日、98歳になった祖母と久しぶりの一泊旅行をした。今はもう認知症がかなり進行していて、昔話を聞くことはできない。
幼い子供のようになった祖母だけど、人への気遣いと、働かなければという意識は、もう癖のように染みついているようだ。
自分が寒いとは一切言わず、むしろ「私は大丈夫だけど」と前置きをしながら「みんな寒かったら何か着なさい」と言う。
朝方、自分も含め寝ているみんなをみて、「ゴロゴロしてちゃだめだ。起きて働かなきゃ。」と言い出す。
かと思えば、お姑さんの目を気にして身をひそめるそぶりをするなど、本来は隠していたであろう本心が垣間見えたりもした。
もう、ゆっくりしていい。ゆっくり楽しんで欲しい。でも、長年の習慣が思考を占拠しているらしい。祖母の生き様がそこにはあった。
なんだかんだ言っても、愛しい人である。
<次回に続く>
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