【連載】家族会議『自責と反省は違う』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議26回目#4|自責と反省は違う
――母は、幼いころの姉に、知らず知らずのうちに精神的虐待をしていたのだと気づいた。
母は、姉が鬱になってから、自分の影響が鬱の原因だということは知っていた。だからそれから、干渉しないようにしてきた。
だけどそれは、虐待をやめただけにすぎない。心の傷を抱え、まともに生きていけない状態の姉を、そのまま放置したのと同じだ。
本当は、縛り付けていた紐をほどき、傷を癒す必要がある。
そんな話をしてきたところだ。
母:
むかつくよね。顔も見たくないよね。
わたし:
そう言われたんだっけ?
母:
(実家に)帰りたくないって。
その言葉聞いて、昔の事がずっとあるからそうなんだよなって思う。けど、もちろんそうだけど、それだけじゃないってことだよね。今、今のことがわからないと。昔のことはもちろん取り返せないけど
わたし:
今も積み重ねてるってことだよね。
お姉ちゃんからのLINEでは、「顔も見たくないって気持ち。お母さんやお父さんにずっと我慢してるのかもしれない。」だ。
「今だって、2度と顔も見たくない!ぐらい言いたい気持ちはあるけど言えないね」って。
母:
この言葉を直接言いたいけど、言えないってことね。
わたし:
それは傷つけちゃうからね。「それくらいのこと何回か言ったことあるし、実際。でも受け止められなくて今に至るって感じだと思う。」みたいな。
「まあ6歳だしね」ってわたしが返信したけど
母:
お母さんたち(の精神年齢)がね。
わたし:
うん。「それも考えてみたけどやっぱり許せないや」って。
母:
受け止める‥‥受け止めるって、どういう状態なんだろう‥‥
わたし:
今みたいなことだと思う。気持ちを感じる。気持ち感じられれば‥‥。事の重大さっていうのがわかったときに、対応は変わってくる。
だから、すごくギャップがあるって感じかなと思う。事の重大さに対しての態度とか反応とか行動が。それは気持ちがわからないからだよねって思う。
だから、事の重大さを受け止められてないっていうことかな。
母:
これが責任を取るとか取らないとか、に関係してくるのか。責任取らないようにしたいとか
わたし:
うーん、そうかもね。多分、キャパオーバー。結局のところは。
母:
キャパオーバーってことは、自分のこれくらいの皿に対して、こんなことは受け止められない。だよね?受け止められないよね、大きいのはね。6歳だからってことにもなるのかな。
わたし:
まあ、6歳だからって言った方が優しいって感じかな。簡単に言えば心が狭い。そんな度量がないというかさ。つまりは子供の状態。
母:
うん。わかりやすく言えば子供の状態だけれども、大人なんだけど心が狭い人だよ。っていうこと
わたし:
うん。心は大人に成長してこなかった人だよって。
受け止めない。って、そういうことだよね。対応できないから見ないようにするし、自分が受け止めきれないものを見ちゃうと、なんかもうパニックになるわけじゃん?だからもう見ない。見ることすらしないみたいなことだよね。
母:
とにかく何だろう‥‥精神が育ってないってことだね。
わたし:
だから、まずはわかるってことだと思う。
だって、これ(虐待だって気づいたら)苦しい‥‥。相当苦しいでしょ?これ感じちゃったときって。
母:
だからすぐ自責に入っちゃう。感じたことを書きながら、いつの間にか自責に入る。読んでみると、自分がどっか穴の中に入りたくなるような感じって言うか。
わたし:
当然、穴の中に入りたい気持ちって出てくる。誰だって。出てくると思うんだけど、それがありつつも‥‥戦うっていうか、自分の中で。とにかく相手がいるっていうことを忘れないっていうことだよね。
だから、自責だって気づけてれば全然いいんじゃないの?とは思うよ。大抵は自責してることにも気づかず、「自分はすごい反省してる」とか、さらに「私こんなに反省してるのに」みたいなさ、何か上乗せしてくるわけよ。
母:
そんな感じ‥‥だったな
わたし:
私えらい。っていうか、そんな感じ。「こんなに反省してる」「こんだけ反省してたらすごいでしょ?」みたいなさ。全然反省になってないのに。
相手の気持ちを忘れないって、ことじゃないかなと思う。
― 今日はここまで ―
自責と反省は違う。は、わが家のテーマでもある。
あやまちを認めて自分で自分を責めることは、一見、深く反省しているようにも思える。
実際、自分のあやまちを認めるのは苦しいし恥ずかしいし、本当に、穴があったら入りたい気分になる。
これだけ苦しい思いをしているのだから、自分は十分反省しているし、許して欲しい。という気持ちも湧いてくる。
だけど、その世界に入り込んでいるとき、相手の存在を忘れている。
自責は、自己中と同じだ。
反省は、穴に入りたい気持ちとの戦い。
恥ずかしい自分をさらして相手と向き合わなければならない。
そして、自分がどんなあやまちを犯したのかを、まじまじと見つめなければならない。
直視すれば直視するほど、穴に入ってしまいたい気持ちが湧いてくる‥‥。
そんないたたまれない自分が、問題を解決しなければならないのだ。
「してしまった自分」が問題を解決できるはずもない。というのはエゴだろう。「もうしない自分」になることを放棄してしまっては、反省していることにはならないのだから。
<次回に続く>
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