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【連載】家族会議『”父”というステータス』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議4日目#7|”父”というステータス

――父がやることは突拍子もない。父の行動が何を意図しているのか、それを察するのは困難を極める。


ここからの話題は、わが家ならではの習慣に関するものだ。きっと意味が分からない人も多いだろうから、先に説明しておきたいと思う。


わが家は、家族そろって朝ご飯を食べない。というか、朝ごはんの時間が合わなくなって、一緒には食べなくなった。だけど、家族分のおかずやサラダをまとめて作っておくことが多い。

父には食事制限があるため、誰の食事かわかるようにする必要があり、わが家では付箋で名前をつけておく。

このとき母は、父のことを「お父さん」と書くことが多いのだが、たまに「和義(父の名)」と書いたりする。そこに父は、腹を立てていた。

のだが。相手の目線に立つために、今朝あることを実行したと言う。


:まずね、今日試みてみたのがね、サラダ、いつもお父さんって書いてるんだよ。(ちなみにサラダは、起きるのが早い父が準備することが多い。)

:お父さんが?

:うん。誰のかってわかるように。そこを今日は「和義」って書いたの。これは、お母さんがよくそういう風にやってるから、母さん目線で書いてみようかなと。早速それやってみたんだけど。そんなことじゃないよって言うかもしれないけど、まずそこから始めてます。


――正直、「また意味不明なこと始めたよ」と思った。どうせやるなら、母の分に母の名前を書いてみたほうがいいだろう。

それに、「そんなことじゃない」って言われるかもしれないと、わかっていてやるのだ。「まずはここからやります」と言って。

そこから、次の段階に進んだためしがない。


わたし:和義って書いてみて何か感じれたの?

:こうかな。だけど違うよ。こっからスタートするんだから書けーつって、尻出してる感じ。

:なんかちょっと無理な感じ?無理を頑張ってやったって感じなの?

:そんな感じであるわ。そんな頑張ることじゃないけども、何か違和感がある。


――ほんとそこ、頑張るとこじゃないと思う。「書けー」と自分を奮い立たせてやることか?と。

けど父は、時にこうして「自分で自分を苦しめる」ことを実践する。そして、こんなに「苦しいものに立ち向かった俺」で同情心をあおる。

「苦労は美徳」の意味をはき違えているのだろう。


:お父さんって書くならスルッて書けるの?で、こっち(名前)は頑張る。お父さんの中で何の違いがあって

:なんだろ、分析してみますわ。


――考えがあって行動したのなら、せめてじっくり感じ入って欲しい。じっくり考え抜いて欲しい。自分の中に何が起きているのか、把握して欲しい。

だけど父は「気の進まないことをやった」時点で、これ以上ない努力をしたと思っているのだ。分析などしたためしがない。


わたし:お母さんが、和義って書くのが嫌だって言ってたんだよね?前。

:そうそう。他人みたいな感じって言ったんだっけ?

:いろんなものが含まれる。他人みたいな感じするのと何か

わたし:呼び捨てみたいな?

:呼び捨てされたような感じがするし、いろんなものが含まれてる感じするな。


――その「いろんなもの」って何なの?1個1個言葉にして出してみてってば!と言いたくなる。

それを出さないから母から反論が返ってくるのだ。


:わたしも呼び捨てされてたけどね。

:だからよ。これ、何に基づいてるかっつったら、対等に基づいてんの。発想は。こっからまず対等やっていきましょう。というのが、今日の和義という文字に現れてるんです。


――あなたのことも呼び捨てにしてたから、自分も呼び捨てにされても受け入れます。というのは、パフォーマンスでしかない。

確かに、意識が変われば呼び方が変化することはあるだろう。ただ、それは意識や気持ちが発端となって自然と生まれる現象だ。父の場合、無理やり行動から始めて、そうであると見せかけ納得させようとするのだ。

母は、ずっと父から見下されてきたことが納得いかなくて、上とか下とかないでしょう?夫婦って対等でしょう?と訴えてきた。それは「意識の問題」であって、呼び方の問題ではない。


:まぁ、わかりました。前も言ったかもしんないけど、私は全然、何もあれがないの。そのときのあれで何気なく書く。

わたし:でも普段呼ばないもんね。

:和義さんって?呼ばないね。

わたし:名前は一切出てこないから。やっぱお父さんって書くのがナチュラルなイメージだけど、何で出てくるんだろうね。

:呼び捨てしたいからかみたいなこと?

わたし:いや、なんでかな?って単純に。ただ名前付けるものだから名前書いた、みたいな感じかな?とか

:しいていえば…。自分にとってお父さんじゃないみたいなところもあるかな。なんかお父さんっていう風になっちゃってるけど、それを剥がせば1人の和義っていう人間。なんかそっちの方が、わたしは自然な感じって言ったらいいのかな。

わたし:そうなんだね。むしろ好意的な意味。

:そうだね。

わたし:お父さんは感じてないみたいだけど。「さん」つければよかったのかな。

お父さんは好意的な意味だって思ったら、「そうなんだ」みたいな思えるの?それとも納得いかないって感じ?

:いや、

:無理しなくていいよ。

:8割がたの納得かな。


――母が付箋にどう書くか、そこに特別な意味はなかった。むしろ個人を尊重する、好意的な意味ですらあった。聞いてみなければわからないものである。

そして父は、それを「感じ悪い」と思っていた。それもまた、言わなければわからないことだ。

お互い何も言わずに不満だけをためていく。わが家はこうやって、わだかまりを大きくしてきたのである。


- 今日はここまで -


父がそれほどまでに名前で書かれることを嫌がるのを、母とわたしでこう分析した。

「父」とは家族という組織のトップ、会社で言えば「社長」である。つまり社長なのだから社長と呼べ。と言いたいのではないか、と。

役職名はそのままステータスになる。「父」という役職は家庭内での地位の高さを表すものだから、「父」と呼ばれないと、自分の地位が揺らぐ感覚があるのかもしれない。


でも、役職名を名乗るということは、それだけの責任を伴う。「父」という役職も「社長」という役職も、組織の舵取りを行う立場だ。家族や社員を、好きなように扱える権利を得たわけではない。

舵取りを間違えれば責任を取らされ、失脚させられる。

<次回に続く>

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