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家族の食卓を壊すのは誰か

わが家は今、家庭内別居中だ。
母とわたしは食事を共にするけど、父はひとり。

でも家庭内別居をする前から、父は食卓にいないも同然だった。


わが家の食卓はヒト以下

母は新聞を読むのが好き。気になる記事を見つけると、わたしのもとに持ってくる。それについて語らうのが、わたしと母の日常のひとコマだ。

ともに食卓を囲む動物はヒトしかいない

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

父と食事をしなくなって2ヶ月ほど経つわが家。
新聞の一行が胸に突き刺さる。

「うちの食卓はヒト以下ってことか・・・」

父と会話のない食卓

『人生案内』に寄せられた投書のタイトルは、『夫と食卓を囲む週末が苦痛』。50代のパート女性からのものだった。

平日は私と子どもの3人で食卓を囲みます。子どもたちは会話好きで、2時間近く家族だんらんを楽しむこともあります。

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

微笑ましい光景が目に浮かんだ。
家族だんらんと言えば誰もが、「楽しく会話しながら食卓を囲む」そんな風景を思い浮かべるのではないか。

一方、夫がいる週末は、子どもたちも、夫の犬食いのような食べ方や音が嫌だと言い、黙って食事をすませ、すぐに席を立つようになりました。

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

わが家と重なった。
ずーんと重たい気持ちになる。

ただ、わが家の場合は、食べ方や音が嫌なわけではない。
確かに父は、食べ物をボロボロこぼす。父の席の下にはいつも何かが落ちているし、洋服を汚すことも多い。

でも嫌なのは、食べ方じゃなくて「会話がないこと」だ。

一緒に食卓を囲んでいても、父だけひとり、透明な壁に囲まれた防音室の中にいる。わたしたちの会話は、父の耳には届いていない。
まるで、食事瞑想でもしているかのようだ。

ときどき外からコンコンと扉を叩くと、ハッとしたように顔を上げる。
話を振りたいときには、いちいちノックしなければならない。

一方、父は聞きたいことがあると、突然扉を開けてしゃべりだす。
防音室の中からわたしたちの様子をうかがい、会話が途切れたことを見計らって扉を開けることもある。

父と食卓を囲んでも、居ないも同然。というのが実情だ。

サルの食事

投書への回答者は、作家のいしいしんじさんだった。そこには手厳しい言葉が並んでいて心がざわついた。

あなたは家族をえり好みしている。とりもなおさずその行為は、家族を壊すことにつながりかねない。

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

えり好み!?いやいや、わたしは悪くない!!
そんな反発心が生まれた。
母とわたしが悪いと言われているようで、居心地の悪い気持ちになった。
でも、本当はえり好みしていたのだろうか…。

つづく言葉に、胸をなでおろす。

あなた、息子、娘の3人は、家族を守るため、夫、父親に、真摯に語りかけなければならない。(中略)それでもし耳を貸さないなら、夫は家族であることを放棄している。こころおきなくたもとを分かち、3人とひとりに分かれてばらばらに食べればよい。

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

うん、やってる!やってきた!めっちゃ語りかけてきたよ!
なんとかしたくて家族会議までした!
無視するのは父だもん。ぜんぜん会話に参加してくれないもん。
やっぱり、父が悪いでしょう?
今の状況は、なるべくしてなったってことだよね!

と、得意げになったのも束の間。

それは家族ではなく、ヒトの食卓でもない。
互いに顔を合わさない、サルの食事風景に近い。

2024.4.23 読売新聞『人生案内』より抜粋

どーんと突き落とされた気分だった。
短い回答文を読み進めながら、わたしの心はとても忙しかった。

家族を壊すのは誰か

家族を壊しているのはわたしかもしれない。
この感覚には覚えがあった。
犯罪被害にあったあと、わたしのことで両親がケンカするようになったときだ。

「このままじゃ家族が崩壊する」

そう感じた。わたしがいつまでも怖がっていたらダメなんだと思った。だからわたしは、あのとき家を出た。そして仮面家族を演じることに決めたのだ。

でもそれは、家族風なだけであって家族ではない

実家に戻ってから、心の対話をしようとあの手この手で父に語りかけてきた。ずっと失敗続きだけど。

父の心の扉は、そう簡単には開かない。
今は家庭内別居中だけど、いつかヒトに戻りたい。

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