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【連載】家族会議『甘えたい親。甘えられない子供。編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議2日目#7|甘えたい親。甘えられない子供。

――「甘えたい気持ち」は、大人になるにつれ自然と薄まるという単純なものではない。むしろ大人になればなるほど、甘えたい気持ちが強くなり心をしばりつけることもある。


わたし:「甘えたい」って、たぶんお父さんもお母さんもあると思うんだけど、これがひとつのポイント。お姉ちゃんも甘えたい人なんだけど、結局はみんなが甘えたい段階にいるから、相手を甘えさせてあげることは出来ないよね。


――わが家は「甘えたい人」の集まりである。甘えさせてあげられる“大人”がいないから、誰も満たされることがない。断っておくが、ここで言う“大人”とは年齢のことではない。年齢で言うなら、わが家は全員歳くったいい大人である。

年齢のことは置いておくとして、子供側の立場からすれば親が「まずわたしが甘えたいんです。」という状態だと困る。というより困ってきた。家庭内で気持ちが満たされないから、その欲求は外へと向かう。「甘えさせて甘えさせて」と他人に求めすぎると、恋愛にしろ友人関係にしろウザがられるのがオチだ。

「甘えさせて」と求めるくらいならまだいい。人によっては非行に走ることもあるだろうし、心を病んで引きこもることもあるだろう。

ではなぜ、親は未だに「まずわたしが甘えたいんです」という段階から抜け出せないのか。それは、当人の『甘えが満たされていない』からである。

その仕組みを、わたしは親に切々と語っていった。


わたし:お父さんの上から目線を例にするとね、結局は『やってもらって当たり前』って思ってるところから出てくる。それってつまりは子供の状態ってこと。とくに赤ちゃんでイメージすると分かりやすいんだけど、赤ちゃんって人にやってもらうのが当たり前でしょ?で、赤ちゃんが人にやってあげることってない。親にやってもらうのが当たり前で、子供のうちはもちろん堂々とやってもらっていい。

そうやって子供のときに散々やってもらうとすごく満たされて、次の段階として人にやってあげられるようになる。大人同士なら相手からもやってもらって自分も気持ちよくなってっていう、そのやりとりでコミュニケーションが成り立ってる。だけど子供のころに満たされてないと、まだやってもらいたい段階のままってことになっちゃう。当然、相手に求められても受け入れられない。というより受け入れるキャパがない。仕組み的にはそういうこと。


――では『甘えたい段階』を抜け出すにはどうすればいいのか。カウンセラーである姉の言葉を借りて、わたしはさらに続けた。


わたし:次の段階に進むためには、自分を癒してあげる、満足させてあげることが先決になる。そうやって満たされて大人になれば、人を甘えさせてあげたり、人にいろいろやってあげたりできるようになるよってこと。

:こんな歳食っちゃった人…。子供のときに甘えが足りなくて歳食っちゃった人は「自分で自分を褒める」っていうことだよね?

わたし:そうそう。本来なら子供のころ親がやってくれれば良かったんだけど、親が充分にやってくれなくて、自分も充分満足できなかった場合、他人に求め続けちゃう。じゃあ「今から親に満たしてもらおう」というのもひとつだけど、もう親がいなくてそれが叶わない人もいるし、大人になって親に甘えるって状態でもない人もいるよね。そういう場合は、他人に求めるのではなく自分で自分を満たしてあげることが必要なんだよって。

で、そのために第一弾としてやることは、親にしてもらいたかったことを全部吐き出していくことなんだよねって。

:親にしてもらいたかったことを、吐き出す。

わたし:うん、出していく。全部。

:そうすると自分がどうしてほしかったのか、何が足りないのかはっきりしてくるね。

わたし:うん。もっとこうしてほしかった。ああしてほしかったっていう気持ちが自分にあるんだっていうのを、まずは認めるってこと。

もちろんさ、してくれたこともいっぱいあると思うし、してもらってうれしかったこともいっぱいあると思う。でも結局、もっとしてもらいたかったことがあるんだよね。


――親にしてもらってうれしかったこと。親にしてもらえなかったこと。自分の心に、まずどちらが浮かんでくるだろうか。幸せな記憶か悲しい記憶か。

多くの人に、どちらの記憶もあると思う。それが例えば、幸せな記憶しかないという場合、逆に悲しい記憶ばかり浮かんでくるという場合、ちょっと記憶に偏りがあるのかもしれない。


:もっとしてもらいたかったことのほうを先に出さないと、してもらったことも出てこないよね。

わたし:そうかもしれないね。でもお父さんはどちらかと言うと、してもらったことへの感謝はすごくできてる。それがあるから、もっとしてもらいたかったことが見えなくなってる状態ってイメージかな。

お父さんはすごく感謝してるでしょ?おばあちゃんに対して。感謝してるからこんな気持ち持っちゃいけないって。もっとしてもらいたかったとか不満とか、持っちゃいけないって思うのがお父さんなのかなって。


――親がそれなりにしてくれたことがある場合、子供は親に対して不満は持ちづらい。


わたし:わたしもね、あの事件(犯罪被害)にあったとき、お父さんとお母さんがしてくれたこともいっぱいあって。実際に送り迎えとかしてくれた。けど、他にもっとしてもらいたかったことがいっぱいあった。でも実際に行動もしてくれたぶん言いづらかった。もっとこうしてほしかったとか、もっともっとわかってほしかったとか、全然足りてないとか、それって言いづらいんだよね。

お父さんの場合も、母親がしてくれたこともいっぱいあって、そこに感謝もしてて、だからこそ、そうじゃない部分を出しづらいというか、あんまり感じないようにしなきゃって、なんかそういう感じなのかなーって思う。


――わたし個人のことで言えば、わたしはほとんど自分の中で消化した。だけど最初は複雑だった。

これだけやってもらってるのに、「もっともっと」っていう気持ちがある。でも、もう親もいっぱいいっぱいになっている。だからこれ以上求められない。それでも不安で怖くて甘えたくて・・・全然足りないっていう気持ちがどうしようもなく出てきた。

それでも、これ以上求めてもダメだなと諦めた。当時は苦しかったけど、やってくれたことはやってくれたことでありがたかったし、でも「親だったら、もっとこうしてくれてもいいよね」とか「このくらいしてくれるの当たり前だよね」みたいな気持ちがどっちもあるなと、それでいいと、そうやって自分の中で消化していった。

つまり親に対し、感謝もしてるし恨んでもいる。そのどちらも持った状態だ。


わたし:わたしはそれでいいんじゃないかなって。だからまぁ、夫婦関係とかも、今まで積み重ねてきた嫌な気持ちって消すことはできないと思うけど、これから先変わっていくことで、新たな良いことを積み重ねていける。でも積み重ねていっても、嫌なことは常に残る。それでいいんじゃない?

嫌なこともあったけど、今こうやって話し合って変わっていって、良いことも起こるようになったよねって。それをどっちも持ったまま良いバランスを取るってことなのかなって。
過去の嫌なことは分かり合ってちょっと消化して、でも思い出すとまたイラっとはしちゃうけど、「あのときは全然わかってなくて、あんな発言しちゃってほんとひどいね。」みたいな笑い話をしつつ、新しいものを積み重ねていってさ。

:今までも、たまにはできた話し合いの中で、お父さんに対してね、具体的に何だったか忘れたけど言ったとき、「それはこうだったよ」とか「こう思ってたんだよ」って言われて「あ、そうなのか」って思うと、そのことは消せないけどスッキリするっていうか、そういうこともいくつかあった。

で、言わないで「ひどい」ってだけ思ってると、それこそひどいって気持ちは消えない。けど理由なり訳なり…。
ほんとの気持ちの所から言ってもらうのが一番いいんだけど、なんかちょっと違うなって思うときはやっぱり気持ち悪いまんまだし、でも本当に心底から言ってくれてるなってときは、なんか「あ、もうわかったよ。」みたいな感じにはなるから、そういう風になれればいいのかなって思う。いろんなことが。そうすると、別に消せないけど、なんだろう、怒りは消えるっていったらいいのかな。

わたし:そうだね。

:そういうふうになれたら。

わたし:うん、そういうイメージかな、わたしは。

:わかりました。ほんじゃ次にやることとして、今、泉がしゃべってたのがちょっとヒントになってんだけど、親にやってほしかったってのが。それをちょっと、ふたりで項目だそうよ。

わたし:それぞれ自分の親にしてもらいたかったことね。

:さっき赤ちゃんのことからずっと言ってきたけども、それが足りて無いんだきっと。


――父は、自分が「甘え足りてなかった」ことを納得したようだった。まぁ、これだけ語ったのだから何も響いてないとしたら悲しいけど…。

家族から見て、父は母親からの愛情が足りていなかったと感じている。その幼少期の満たされなさが、今の家族関係に悪影響を及ぼしている。だけどデリケートな部分だから、なかなか触れらずにきたのだった。


わたし:お父さんなんて特に、兄弟も多かったしさ、兄弟が多い家ってそうなりがちなんじゃないかな。しかもお父さん末っ子だし。そういう意味では不利な立場だったんだろうなって。

おばあちゃんだって誰に何してあげたか、もうわかんないくらいでさ。やってるつもりでいたけど手が届いてなかったみたいなこともあったかもしれないしね。だからおばあちゃんが悪いっていうわけではなく、お父さんがしてもらいたかったけどやってもらえなかったことって普通にあるよねって思う。


――父の心境を思うと、「おばあちゃんが悪いっていうわけではなく」と言わずにはいられない。母親を絶対に否定したくない父にとって、してもらいたかったことを列挙するのは踏み絵と同じようなものだからだ。

ただ、こうして父が自身の親のことに向き合おうとしてくれたのは、わが家にとって大きな一歩だった。


- 家族会議2日目おわり -


大人が甘えられるシーンは少ない。親になればなおさらだ。それを無理やり押し込めて押さえつけてしまうと、心が壊れてしまうことがある。もしくは純粋な「甘え」ではなく、半ば強引な方法でその欲求を満たそうとしてしまう。怒ったり、わがままを言ったり…。

どちらにしても生きづらい。
どちらにしても幸せになれない。


大人だってときには甘えたい。それは恥ずかしいことじゃない。まずは自分の中にある気持ちを吐き出そう。そして認めよう。それからひとつひとつを、どう満たしてあげるか考えよう。

自分が自分の、一番の理解者になることだ。


<次回は家族会議3日目>


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