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【連載】家族会議『世の中の広さを知ることの大切さ』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議4日目#9|世の中の広さを知ることの大切さ

――幼少の頃の自分に会いに行って声をかけてあげよう!というテーマで始まった4日目の家族会議。

母が子供の自分に伝えたい言葉は、意外なものだった。


わたし:お母さんは幼少の頃の自分になんて声かけてあげたい?

:何だろう、「世の中はもっと広いよ」って言いたい感じかな。

わたし:それってどういう意味で?

:なんか、とにかく狭いところで育って、もっといろいろ世の中知ってたら、もっと何か、自分はもうちょっと主体的に生きられたかな。みたいな感じかなぁ。

わたし:なるほどね。

:時代もあるかもしれないけど。いやそんなことないな。もう、やろうと思えばなんでもできた時代だな。


――母は岩手県の田舎町で育った。街からは少し離れた小さな集落で、子供のころは遊ぶ相手も、遊ぶ場所もいつも同じだった。

都会はどんどん変化していった時代だけど、田舎では、社会でどう生き延びるかより、集落から孤立しないことのほうが大事だ。変化よりも周囲との同調が優先される。

そういう環境にいれば、気持ちを抑圧しがちだし、視野はどうしても狭くなる。


わたし:意外な言葉だった。寄り添ってあげるような言葉をイメージしてたから。プラスになるようなことを言ってあげたいみたいなことだよね。

:なんか最近になって世の中のことを知り始めたって感じで。子育てにも影響してると思うし、広い視野とか、勉強とか。
時代とかもあると思うけど、親はわたしのことを、ちょっと箱入り娘っぽくしてたかな。

でも、その頃の時代って、今のような時代の女性の姿は見えなかっただろうから、結婚するのが一番みたいな感じだと思うし。


――女は勉強する必要も、社会経験を積む必要もなく、純真無垢のまま嫁ぎ先に送り出すのが親の役目だと、祖父母は思っていたのかもしれない。

結婚はできたけど、今幸せではない娘を見て何を思うだろう…。

父と母が別居したとき(今は解消している)、祖母は「我慢しなかったの?わたしは我慢したよ」と言ったらしい。

祖母自身も我慢し抑圧してきたのに、「女は結婚して家庭に入るもの」という固定観念を覆そうとはしなかった。


:自然の成り行きで、あの時代はそのようになったと思うけど、それにしても、もうちょっと視野が広かったら。結婚するにしたってさ。とにかく幼いというか。子供っぽいというか。


――姉はうつを患ってから、自分に何が起きているのかを調べた。そして、生きていくうえで『心』の状態がいかに大事であるかを知った。

それを母に教えてきたのが姉だ。

姉に教わって初めて、自分はなんて幼稚で子供っぽかったんだろうと気づいたのだ。


:だから今こんなことをね、自分の産んだ子供にお世話になってるんだからさぁ。心のことを、子供の世話になってるんだから。下の世話どころじゃなくて。

わたし:ふふっ。笑
昨日お姉ちゃんと電話してたとき、「お母さんに泉を産んでくれてありがとうって言いたい」って言ってた。
本当は、1人産んだときにもう痛かったから絶対嫌だって言ってたのに、それでも産んでくれてありがとうって。笑

:そうだね。産んだ子供に世話んなって。こんなことを世話してもらって。普通ではないっていうか。


――母もまた、固定観念にしばられている。だからいろいろわかってきても、まだまだ日常には落とし込めない。

一方のわたしは、姉から心の仕組みを聞くと感覚的に理解できた。だからこうして、家族会議を主導している。離れて住む姉の代わりに、心のことを親に教えているのだ。

わたしは言わば、姉の代理人。わたしは姉を助けるために産まれてきたのかもと、ときどき思うことがある。


- 今日はここまで -


「世の中はもっと広い」と教えてあげたいという母の思いには、後悔の念が入り混じる。広い視野をもち、もっと知識を得ていたなら、子供を苦しませることはなかったと。

同時に、母自身ももっと生きやすかっただろう。


視野を広く持つには、多くの人と関わるしかない。多様な人付き合いの中で、多様な考えがあることを知る。

親という存在さえも多様な中の一部でしかない。

<家族会議4日目終わり>


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