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【連載】家族会議『完璧な主婦になろうとした母編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まった家族会議エッセイ!録音記録をもとに連載で書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議2日目#2|”完璧な主婦”になろうとした母

1日目の家族会議では、父が幸せのイメージや結婚生活での不満を語ってくれた。続く2日目は母の番。母は結婚する前から、結婚についてさまざまに考えを巡らせていたようだ。

:(結婚する前)周りの人がみんな結婚する中で、自分もいつか結婚するんだなって。「結婚しなきゃいけないんだなー」みたいな感じだった。

わたし:うん、そうなんだね。

:「しなきゃいけないんだなー」っていうのは、やっぱりおばあちゃん(母親)見てると大変そうだなって感じで。朝早く起きてやってるし。
わたしは朝起きるの苦手だから、結婚したら朝早く起きてやんなきゃいけないと思って、そういうのもやだなー。でも結婚しないでいるわけにもいかないなって、その当時は思ってた。


今よりもっと、「結婚しない選択肢」がなかった時代だと思う。それに「家事は女性がやる」というのが前提で、苦手だからやらないという考えは浮かぶことすらなかっただろう。

母の時代に生まれていたら、わたしもそれが当たり前だと思って、結婚するために奔走していたのかもしれない。


:だからまぁ、誰でもいいってわけじゃないけど、お見合いしてみて「いいのかな」って感じがしたから。自分とものすごくかけ離れてる感じでもなかった印象で。ほとんど付き合いはないからそういう印象で。ま、いいかもね~みたいな感じに思って結婚した。


父と母はお見合い結婚だった。母は当時、父を「優しそうな人だな」と思ったという。


:結婚したら、早起きとか苦手だけどやる気ではいたよ。やんなきゃいけないと思っていたしやる気ではいたから。炊事洗濯掃除っていうか、家事一般を。しかも旦那さんが喜んでくれるように。帰ってきたらすぐご飯を食べられるように。そんな風にしたいなとか。家はきれいにしときたいなとか。

わたし:うんうん。

:あと、旦那さんとの家族の付き合いも、なるべく仲良くしたいなぁって。仲良くっていうか、嫌われないようにというか、「なんだこの嫁は」って言われないようにとか、とにかくがんばろうみたいな感じではいた。


結婚に対する理想を高く持ち、不安もあるけど結婚したら「わたしはやる!わたしはできる!」と前向きだった母。そんな母を純粋でかわいらしいと思うのは、わたしの母びいきだろうか。


:で、そうだね、まず自分が一生懸命やって、旦那さんに喜んでもらって、なんか仲良く…。仲良くっていう言葉はそのころ(頭に)なかったけど、なんかぼんやりと仲良く暮らせたらいいなって感じで、仲悪くなるかもしれないとかは思ってなかったよ。


結婚するとき、誰もがポジティブな未来を思い描くだろう。母ももれなくそうだった。


:とにかく自分は主婦としてっていうか奥さんとして、なるべく一生懸命やろうと思ってた。なんだろ、家庭を一生懸命やっていこうって感じかな。そういう風に思ってたな。


母は文字通り一生懸命だった。いつも。

空回りしてしまうことも多々あるし、危なっかしく感じることもあるけど、一生懸命なのだけは伝わってくる。それを結婚してからずーっとやってきたんだなぁとしみじみ思う。


:で、そうだ結婚する前ね、おばあさんがよく「今晩の夕飯何にしよう」って困ってたの。それを聞いてて自分としては、なんか主婦らしくないっていうか。そんな、ちょっと情けなくはなりたくないなって感じがしてた。だからそういう言葉は言わないようにしてた。頭の中で困ってても言わないように。なんかそれ言ってるの、あんまりいい感じがしてなかったから。

:あとは、食事はなるべく手作りしようとか思ってたかな。おばあさんもやっててそれはいいと思ってたし。あと自分で色々作ってみたいっていうのもあったから。まぁ最初の頃は何にも作れなかったけど、一生懸命覚えて作ろうとか思ってたかな。


結婚して家庭を築くとき、主婦像の基準となるのは自分の母親だ。結局のところ、お手本はそこにしかない。そう考えると親の在り方は責任重大だと思う。その後何世代にも渡って影響を及ぼしていくのだから。

母も例外なく、親の良いところを取り入れて、悪いところは改善して完璧な主婦になろうと計画を練っていた。


:あとそうだね、帰ってきたときに夕飯はちゃんとできてるようにしたいなって。自分の理想だよ。なかなか出来なかったんだけど、それは旦那さんが帰ってきたときに食事ができてるのが正しいことみたいな感じに思ってたの。

わたし:お風呂にする?ごはんにする?みたいな?(笑)

:そうそうそう、テレビの影響かなぁ。あとは、おばあちゃんがおじいちゃんが帰ってきたときに、まだ夕飯が出来てなかったりすると慌ててたから、本当はやるものだけど出来てないから慌ててたみたいな感じだから、そんな風にはなりたくないと思ってた。けど結局お母さんも同じようになってたけどね。


母は自分の母親の姿を見ていて、主婦になった自分へのハードルをどんどん上げてしまったのだった。そこに母親からの教えも加わることで『完璧な主婦』像はさらに膨らんでいく。


:おばあちゃんからよく言われてたのは、嫁として嫁姑の間が上手くいくようにって。おばあちゃんも心配してたと思うし、お姑さんに対してはこういうこと気を付けたほうがいいよとか、ああいうこと気を付けたほうがいいよとかいろいろ言われてた。

わたし:うん

:だから、ちょっと緊張もしたかな。お姑さんに対して失敗しないようにとか、気分悪くさせないようにとか、仲が悪くなんないようにとか。そんな風には思ってたからちょっと緊張してるっていうか、ちゃんとやろうとしておばあちゃんがいるところで緊張してたかなぁ。

わたし:うんうん。

:たとえば洗濯するときは「お姑さんに洗うものありませんかって言ってから洗うんだよ」って、「自分のだけ洗うんじゃないんだよ」とかおばあちゃんに言われてたから。

わたし:すごい細かい指導っていうか。そんなところまで?って感じだね。

:そんなところまで言われてたよ。おばあちゃんは近所のお嫁さんとお姑さんの話を聞いてきて、たとえばお姑さんがお嫁さんの悪口を言ってるのを聞くと、そういう嫁にはならないようにって思ったと思うし、あと嫁入り先のお姑さんに「なんだこの嫁は」って自分の娘が思われないようにっていうのもあったと思うし。細かいこともずいぶん言われたな。

わたし:具体的っていうか。

:うん具体的に。それは近所でそういうのを聞いてくると、そういうのを言うって感じだなぁ。


祖母は世話焼きだ。心配性だし世間の目を過剰に気にするところがある。田舎だから、なおさらそうしなければ生きていけなかったのかもしれないけど。

だから失敗しないように、いつだって先回りする。そうやって子供の成長機会を奪ったり、過度にプレッシャーを与えたりしてしまうとは考えもしなかっただろう。


:あと子供に関しては、自分は近所の人とよく比べられて、ここがダメであそこがダメだって言われてたから、自分の子供にはそれは言わないようにしようと思ってたかな。自分は嫌だったから。

わたし:人と比べないようにね・・・。あれだよね。一般的な思い、平均的なというか、お嫁さん像をお母さんも思い描いていて、そうなろうとしたんだね。

:自分が一生懸命やれば旦那さんが喜んでくれて、結果いい夫婦になれるのかなって。とにかく家事をがんばることが自分の

わたし:結婚したらやるべきことだと。

:そうやるべきこと。だし、それがいい結果につながるみたいな感じかな。そんな完璧には出来てなかったけど。

わたし:うんうん。

:どっちかっていうと、やんなきゃやんなきゃっていう感じと戦ってたかな。

わたし:自分で自分の理想に

:うん、近づけなきゃって。

わたし:自分に課してたってことだよね。

:そういう部分はあったな。

わたし:等身大の自分ではない理想の主婦になるっていうイメージ。

:今等身大って言葉は知ってるけどその頃は知らなかったし、等身大の自分がどんな自分かも知らなかったし。どっちかっていうと悪いところを治そう治そうって。親からもされたし自分も悪いところは治そう治そうと、治さなきゃ―みたいな。そんな感じにしてたかな。

- 今日はここまで -

母親からの教えに、さらに自分の理想を重ねていった母は、結局自分を追い詰めることにもなった。そしてそれは、子供をも追い詰めることにつながる。

子供に対し、人と比べるようなことを言わないようにしようとした代わりに、言われないような子に育てようとしたのだ。その思いはとくに、第一子であった姉に向かった。

母親の子育ての罠はここにあると思う。

子供のためを思ってやっているつもりが、いつの間にか自分の理想や常識に子供をあてはめてしまうのだ。

姉がうつになってから母は自分を振り返り、ようやく、姉を矯正させようとしていたことに気づいたのだった。そして、自分が母親から同じようにされてきたということも。


わたしがバイブルのようにして読んでいる『言葉にできるは武器になる』の中でアインシュタインの言葉が紹介されている。

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

アルベルト・アインシュタイン

わたしたちの常識は育つ過程で身につけたものがほとんどだ。それは世間よりも親からの影響が大きい。そうやって親の偏見は脈々と受け継がれていく。

自分が持っている常識とは、多くの場合、自分の世界における常識に過ぎず、他人の常識とはズレが生じている。(中略)自分の常識とは自分が育ってきた環境における常識でしかなく、他人にとっては非常識であり、言葉を換えれば先入観であることが多い。

『言葉にできるは武器になる』

自分の常識を疑う視点を持っていなければ、立ち止まって考えを見なおすこともできない。自分の中に苦しみや違和感が沸いたら、まず自分の常識を疑ってみることから始めてみたい。

<次回に続く>

これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!


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