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【連載】家族会議『努力する人を装うよりも』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議7日目#6|努力する人を装うよりも
――母は父の健康を心配し、父に合いそうな健康教室を見つけると一緒に行こうと誘う。だけど父は、みんなでワイワイ運動するような場が苦手で行きたがらない。
その気持ちもわかるのだけど…。
わたし:
まぁ、お母さんも(人付き合いや運動が)得意ってわけではない。でもなるべくやりたいと思って、自ら進んでやるようにしてるって感じだよね。
母:
うん、やりたいっていうか、もう自分も、とにかく生きてる限り、なるべく自分で動けるようにしときたいなと思って。寝たきりが長くならないように。もう、それ一点だね。
やんなくていいなら、私だってやんない方が楽。だけどやってないと大変なことになるっていうのがあるから。
わたし:
お母さんはこういう考えだから、お父さんを見て心配になっちゃうわけよね。だからいろいろ誘ってくる。ちょっと口うるさくなっちゃう。
母:
このままだとどんどん体が動かなくなっていくよっていう境目にいる人がいっぱいいるって、新聞とかで読んでたりするから。すごい不安になってくる。今のお父さんを見てると。
やっぱり「あっち痛いこっち痛い」って言うのは、筋肉が足りないからだよなって思うから。だから、お父さんがどう生きたいかになっちゃうのかな。
――父が「あっち痛いこっち痛い」というのは、そもそも筋肉が足りない以前の問題だ。本人も気づいていないけど、かまってちゃんなのだ。
自己愛性パーソナリティ障害のほかに、演技性パーソナリティ障害の傾向も強く、自分に注意が向けられるよう相手の「心配」を引き出そうとする。
母が父の健康に口うるさくなるのも、父が母の心配症を引き出しているからである。
わたし:
そういう意味でお母さんは、お節介ではあるんだよね。
母:
そうだね。ただ、それにどうやったら気付くんだろうっていう感じっていうか。
わたし:
話も足りないよね。お父さんはこのまま早い段階で動けなくなっても、その方がいいって思ってるかもしれないし。長生きしたいかどうかもわからないとかさ。
母:
こっちは長生きして欲しいと思うけど、お父さん的に、そんなことしてまで長生きしたくないのかもしれないしね。
わたし:
お父さんが本当にどうしたいのか。
母:
それを受け入れる・・・
父:
大雑把にはね、やっぱり長生きしたいんですよ。ただ、なんちゅうの入院してまで長生きしたくないんだと。
――「入院してまで」ではなく「努力してまで」の間違いだと思う。
母:
どういうこと?入院してまでって。何か問題が起きても病院には行かないよみたいなこと?
父:
行かなくてもいいし、病院行ったら早くコケてもいいかなというふうな感じを持ってんのよ。
――父は自分の理想と、自分の現実があまりにかけ離れていることに気づいていない。テレビで健康番組を見ては不安になり、なにかあればすぐ病院。
わたしは、生への執着を感じている。
父:
だから長生きはしたいから、今ジムにも行ってるし、それからこの間からだけど歩いてるわけだよ、公園で。最初1キロ560mを2周して、ちょうどいい塩梅だなと。ゆっくり歩いてね。
昨日か、昨日は1500歩いたんだ。そうすると、1500だとちょっと腰の方に来るなということで、じゃあ1000から1500に設定しようということで、歩いてるよ。
で、プールで歩くのと違ってね。なんか違うんだわ。丘の上歩くって。筋肉がつきそうな気がすんのよ、丘の上の方が。
――今、ジムにも行ってウォーキングもしている。俺はこんなに努力しているし考えているとアピールしてくるけど、1か月後にはペースダウンしているのである。
運動でも趣味でも、父の努力が続くのは長くて1ヵ月。だから母は、一緒に運動をすることで父を動かそうとするのだ。
わたし:
まぁ、長生きしていくための努力は面倒くさくてもやっていこうとは思ってるっていうことね。
父:
うん、そう。
わたし:
で、それは自分で探したい。
父:
自分で探してやろうと思ってる。なんか自分で探すのが一番フィットする気がするんだわ。体がわかってるから。
――自分の身体を分かってないから、急激にハードな運動をしてどこか痛めて辞めるのに。
わたし:
あと、それに関してお母さんが心配してるのは、ちょっと極端にやりがち。急にいっぱい歩いたりとかするじゃん。
父:
それはね、今はない。
わたし:
今はもう、さすがにそこはわかった?
父:
うん。今はそれはないです。自分でブレーキかかります。
――この会話から4年経った今もブレーキはかからず、急にたくさん歩いてはどこかを痛めて辞める、体調を崩して辞める、そして「道端で倒れた」などと心配させるようなことを言ってくる。
父はいつも、その場しのぎなのである。
- 今日はここまで -
わたしの知り合いに、とてもグルメな人がいた。とにかく食べることが大好きで運動が嫌い。その通りの体型をしている。
当然、体はあちこち蝕まれ、ときどき救急車で運ばれることもある。
それでも彼は、グルメツアーを辞めない。SNSには毎日のように、レストランでの食事の写真がアップされている。
ある意味、潔いと思う。
他者から見れば煩悩まみれであるものの、本人が煩わしさを感じていなければ煩悩ではないのかもしれない。なんて思ったりする。
実際は、本当の幸せを得ているわけではないのだろうけど。
まあでも、食べることが好きで、我慢しない代わりに体を害することを受け入れているのなら、それはそれでいいのだろう。
父もいっそのこと、そう考えられないものかと思う。
努力する人を装うより、そっちのほうが楽だろう。
<次回に続く>
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