学校は”社会の理不尽さに耐性をつけるための場所”なのか
おはようございます。
先日、SNSを見ていたら
こんな議論がありました。
「学校は社会の理不尽さに慣れる場所ではない。
将来、理不尽な社会を変える力を育てるべき」
という意見に対して、
「どんな社会にも理不尽さはある。
理不尽に慣れることは必要」
という反論がありました。
このような議論はとても多いと思います。
社会はもっと厳しい、社会では通用しないなど、
学校の中に競争や規律を求める意見には、社会との比較が多い気もします。
僕はどちらの意見に賛成する訳ではありませんが
1つだけ大切な前提が抜けている気がしています。
社会に出た時に
自己実現ができる能力を育てることは教育の目的として前提になります。
社会を基準に考えること自体は間違っていません。
しかし、だからといって
教育現場(学校など。特に小学校や中学校)を社会に近づけるのは間違っていると思います。
社会がとても厳しく理不尽な競争社会だとすると
そこで幸せに生きるためには
例え競争に負けたとしても、一度失敗したとしても
前を向いてもう一度挑戦することが必要なはずです。
そして、そのためには
挑戦と失敗がドンドン出来る環境、成果によってではなく人として尊重される(受け入れられる)環境が必要です。
学校を社会に近づけたところで
上記のような環境はできません。
英語やプログラミングなど
今の社会で求められているスキルの義務教育化が進み、社会に開かれた学校を目指すことは大切ですが
学校という環境を社会に似せる(近づける)必要はない。と僕は思います。
みなさんはどう思いますか?
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