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『イシュマエル』を読んで

読書について少しだけ

 私は、とくに文学作品に関しては速読より遅読を推めることにしている。
映画を観るような娯楽としての面ももちろんあるのだから、三倍速で読んでどうする?という感覚。

 本作は、たまたま本ブログの「ナラティブ 」というコンセプトにも関連してくる話も数多くあった気がする。

また、今後はこのブログも要約とか書評っぽいのは、これが最後かな?という気もする。
自分のためにも、これを読んでくださる皆さんのたもにもならないのでは?
と最近は思っている。

最近は読書の目的について、本の内容を覚えること自体には興味なく、読むのは実践するため、人前でのスピーチやプレゼン、コーチング、カウンセリングなど実際の場面に活かすためだと思っている。

たとえ正確に記憶できていなくても、無意識レベルで理解していき、それが自分の判断基準になればいいと思っている。

綺麗に読書ノートを作ることも自分が書く本に引用したり、誰かに授業の形で教えるわけでないなら意味があるのだろうか?と思うようになり、自分の生活にある程度落とし込めれば良いのではないか?という考えになってきた。

本を読み、レトリックかなにかを学び自分の文章力アップを目指す場合も、たまたまこの著者はそういう書き方が上手いか、そういう言い回しが好きなんだろうと思うことにした。

人生の残り時間のことも考えるようになったことや、大きいことを言えば日本や世界で起きている問題に対応しようとすれば、ビジネス書などは読書の目的は明確にしたほうが良い気はする。

内容の紹介

今回、この本は小説で文学というジャンル分けになるかも知れないが、小説?と思って読んでいくうち、スタイルは小説なんだろうけれど、、これは、、という驚きが大きくなり、久しぶりに良い読書体験ができたように思う。

忘れてならないのは、(原文を読んではないが)
訳者の小林さんという方の訳が相当上手いのだと思う。読者の多くはイシュマエルという、言葉を話すゴリラが行う授業に、引き寄せられていく。

彼はいくつかの「言葉」を示し、この地球の成り立ちから未来予想まで、鮮やかにその概念を説明していく。

最初の言葉は『物語』

『物語』の定義は、人と世界と神々とを関係づける台本。

次の言葉は『演じる』

『物語を演じる』とは、その物語を実現するために生きること。
物語が本当になるように励むこと。

そして『文化』

『文化』とは、ひとつの物語を演じている人間の集まりだ。

この作品の中で語られる主要テーマは人類の歴史。
そこで人類を、「取る者」と「残す者」に分ける。

私個人的には、日本はやはり「残す者」としての生き方が向いているのでは、と思う。

イシュマエルは「残す者と取る者は、ふたつの異なる物語を演じている。異なる上に、相反する命題を根底にすえたふたつの物語」があるという。まだほんの序盤なのだが、どっぷりハマりそうな予感がする。

そのための条件は読者に「社会的正義(Social Jastice)」があるかどうかだと私は思う。
またそれを問われている気がした。

イシュマエルはシャドウのような、人間の負の欲求についても言及する。
そして警笛を鳴らす。

以下、心に響いた名言集を作ってみた。
(TwitterのBotにしようかと思ったのだけれど、独断で好きな箇所を挙げてみた)

名言集

「すべての物語には命題がある。
すべての物語は命題を成就する。」

「人間には根本的な欠陥があったからだ。楽園とは正反対の方向に働く何かだ。人びとを愚かで破壊的で、強欲で、近視眼的にする何かだ」

「科学的な集団のやることにしては、お世辞にも科学的とは言えない手順だね」

「人類が世界を楽園に変えるようにと、世界は人類に与えられた。しかし人類は常にそれを台無しにした。なぜなら、人類には根本的な欠陥があるからだ。もし人類がいかに行くべきかを知っていたら、自らの欠陥に何らかの対処ができるかもしれないけれど、人類はそれを知らない。これから先も知ることはない。それは手の届かない知識だからだ。」

「この惨めな物語を演じるしかないのだから、君たちの多くが薬物に溺れたり、テレビに中毒したりで、人生を浪費するのも不思議ではない。精神を病み自殺を企てるのも不思議ではない。」

「当然、君は疑っておるな。意味のある情報はすべて宇宙で発見できると取る者は考えている。しかし、そこで発見される情報のどれも〈人がいかに行くべきか〉には関係なかった。宇宙を研究した結果、君たちは空を飛び原子を分解し、光の速度で他の星にメッセージを送る知識を獲得した。にもかかわらず、基本中の基本、欠くべからず知識《人がいかに行くべきか》は獲得できなかった」

「生き方についての法則があるとしたら、どこで見つけられるだろう?」

「君にニュースがある人類はこの惑星で一人ぼっちではないのだ。」

「多様性は共同体そのものが存続するための必須条件だ。」
「取る者が縫合を無視して競争を続けた結果、20から30の種が毎日地上から姿を消しているんです。」

「定住とは程度の差こそ、あれ、人類を含めた全ての種が実践している生物学的適応だ。そして、すべての種の適応はその周辺で生きる他の種たちの適応との競合関係の中で存在する。」

「善悪の知識は全ての知識のなかでも最高の知識なのだ。人類はそれを手にしたとき、一番役に立つ知識だ。とすれば、神はなぜそれを禁じたのか?」

「基本的にそれは世界を統一するものが行使すべき知識だ。統治者の行為ひとつひとつが、あるものにとっては益となり、ある者にとっては害となるからね。統治とはそういうことだ。」

「取るものがこうなったのは自分らの行いが正しいと常に信じているからだ」

残すものの多くが濃厚を実践した。しかし、残すものは自らの行いが正しいという妄想にはとらわれなかった。世界中の全員が濃厚すべきだという妄想にはとらわれなかった。

君たちが現在持っている世界観から答えを出そうと思わない方がいい

身に着いた物語をただは手放せない。なのに、60年代から70年代の若者たちはそれをやろうとした。取るものたちのような生き方をやめようとした。しかし、辞めた後の生き方がなかった
若者たちが失敗したのはそのためです。物語の中にいるのをただ辞めることはできない。次に入る別の物語がなくてはならい。

母文化の言葉をよく聴くのだ。君が生まれた日から彼女は君の耳元でささやいている。君の聞いたささやきは君の両親、その両親、そして世界中の人々が毎日聞いているささやきだ。別の言い方をすると、探している答えは君の意識の中に深く埋もれている

君たちの生活がみじめで卑しくて、恥ずかしいのは、君たちが獣のような生き方をしているからだ

心から自分自身を信頼すべきなんだ。それが人間の生き方だ

考えているんです、、、世界の意味について、世界に満ちる神聖な意図について、人類の使命について。残すもの立ちの物語を基にするとどうなるのか、、、。

人類はその条件を最初に満たした生物なのだから、人類の使命は道を照らし、道を発見するものとなること。

ただ、何かをやめるだけじゃダメだ。何かを控えめにするだけじゃダメだ。ビジョンが必要なんです。そのビジョンのためならばやる気が起きるって何かが必要なんです。例えば、、、

「それは運がいいな。君はどんな拘束からも放免されているわけだ。自分で許可が出せる

とどのつまり、君は君が軽蔑していると、そうする人間たちと変わらないようだね。君はただ自分のために何かが欲しかった。近づきつつある。世界の終末を指をくわえて眺めている間、君の気分を楽にしてくれる。何かが欲しかったのだ。

ゴリラが言った後、 
ヒトに
希望はあるか?

そして、巻末には以下の文ではじまる「著書の言葉」 と私書箱の住所が掲載されている。

「私にとってイシュマエルはずっと単なる本以上のものだった、、、」

後記 : この記事を作っている時、動物園のゴリラの前で『イシュマエル』を読んでみようと、本を片手に向かったが、以前いたはずのゴリラは本当に、どこかに行ってしまっていた。

最後までお読み頂きありがとうございました。



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