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自殺観の歴史的変遷 ④ 日本において

はじめに


 コロナ禍の中で社会的活動が制限され、特に女性や若者の自殺者数が増加している。当然自殺というのは防がれるべきものであるし、背景に様々な社会的要因もあることから、社会的な取り組みも必要である。
ただどのように対策していくのかを考える上で、社会が自殺という現象に対して、どのような視線を向けてきたのかということを知ることは大事なことである。それは歴史的な流れの中でも変化をしていくものでもあり、歴史を振り返ることは現代においても意義があることだと思う。

前回までは主に西洋においての歴史的な変遷をたどった。中世においてはキリスト教の影響が強く禁忌として扱われることが多かった。近世においては古代の人間観が復活してくる中で自己決定の文脈でやむを得ない状況もあるという議論がなされるようになった。

一方、日本では自殺については歴史的にどのように考えてこられたのだろうか。
 フランス人哲学者のスチュワートピッケンは、日本語がヨーロッパの諸言語に比べて自殺に関する語彙が豊富であることを指摘している。またヨーロッパに比べて侮蔑のような意味合いが込められておらず、客観的・描写的なものが多いと述べている。

日本における自殺観に影響を与えたものとしては、仏教からの影響と儒教の影響が大きいとされることが多い。

儒教


儒教の始祖 孔子

儒教の創始者である孔子は、自己破壊行為は身体が親から与えられたものであるため、とがめられるべきであるとはしている。
しかし、その一方で、「身を殺して仁をなす」ともいっており、他者や特定の集団のために自ら死をもって償うことを認めており、特定の状況での自殺は認めている。

仏教

 一方仏教において、釈迦がインドに生まれる前、ヒトや動物として生を受けていた前世の物語があるが、この中で自殺の場面が含まれている。
また経典の中においても、弟子の自殺、在家の長者の自殺などが表現されており、明確に自殺を禁じてはいない(悟りを失うことへの恐れ、自らの死期を悟った上での自殺など)。
これは背景に輪廻転生の世界観(最終的には仏教は輪廻からの解脱を目指すものではあるが)の影響があると思われる。

捨身飼虎図 玉虫厨子

奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代の厨子である玉虫厨子(たまむしのずし、国宝に指定されている)には釈迦の前世物語の一場面である「捨身飼虎図」が描かれている。
捨身飼虎は薩埵王子(釈迦の前世)が飢えた虎の母子に自らの肉体を布施するという物語である。他者(ここでは虎だが)を救うために自らの命を絶つことを称揚しているようにも見える。

こういった儒教、仏教の影響の中で比較的日本においてはキリスト教ほどは自殺を禁忌とする考えは生まれにくかったと思われる。

切腹について

日本に特徴的な自殺としては一番イメージされるのは切腹だと思われる。
 日本最初の切腹として挙げられるのは、播磨国風土記(715年頃)の中で淡海(おうみ)の神という女神が、夫に対する恨みと怒りで腹をさき、はらわたを出したが死ねずに沼に入水したので、この腹辟(はらさき)の沼のフナなどには今も五臓がないという記載がある。

1867年にフランスで出版された、江戸時代末期の切腹の様子を描いたイラスト
Félix Jean Gauchard (1825-1872).


その後儒教の影響も強く受けたいわゆる武士道的文化の中で、名誉の自殺の側面が強調された切腹が戦国時代以降に称揚されることになっていく。

日本における自殺観

 現在の主な自殺観、自殺のイメージは、ほかの国と同様にメンタルヘルスの文脈、精神疾患との関連で語られることが多い。
 日本において特有の自殺観としては、汚職の疑いをかけられるなど恥辱から免れるための自殺があげられる。
海外では、例えばウォーターゲート事件で投獄された人が後に手記を発表したり講演活動をするなどといったこともあり、名誉のための自殺という文脈は中心ではないと思われる。
この名誉をめぐっての自殺という考えは上述したように儒教的な世界観の中で形作られてきたものであると思われる。


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