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システムの徹底 ‐ ドイツと中国の共通点

私は人権の国ドイツに長くいる。演奏者としてオーケストラで5年以上仕事をしてきた。貰えるお金は僅かだが、それなりにやってきた。短期留学生などドイツに短期間だけいた人は、ドイツの良いイメージだけが残っている。「ゲーテを生んだ国からなぜナチスが生まれたのか」など言われ、ドイツの評判は一般的にいい。しかし、私は常にマジョリティと逆のことを考える。私には、ドイツ人がかつてナチスを信奉したのは想像に容易く「なるほど、この人たちならやりかねないな」と思ったくらいだった。

その理由はドイツ人の「徹底ぶり」だった。彼らは戦時中、国家統制を徹底的に支持し、戦後は反省し、人権尊重を徹底して貫いている。普段街中を歩いていれば、差別されることはあるが、仕事など公の場で人を人種で差別することはドイツ人は決してしない。私はドイツの大学院にいるが、中国からの留学者もいれば、日本からの留学者もいる。教授はそれぞれに対して「異常なくらい」平等に接するよう徹底しているのが会話をしているとわかる。そして、何よりすごいのは大学システム、就職システムの徹底ぶり。日本の求人広告には安く雇いたいからと「学歴不問」などの文字が躍るが、ドイツでそれは許されない。オーケストラに就職するなら音楽大学卒業者、テレビ映画の音楽を作りたいならテレビ映画大学卒業者と、その道のプロの教育を受けなければ就職はありえない。ここまでくると、ドイツは人権の国でありながら「個人をシステムで縛り上げる」面もあることがよくわかる。

さて、この徹底ぶりは中国においてもいえる。学歴社会であることは周知のことだが、それ以外にもある。例えば、先日、Bilibili(中国版ニコニコ動画のようなもの)に登録したが、動画一つ上げるのも大変だった。例えば、あるカテゴリーに入れて動画を投稿した後「この動画はこのカテゴリーではありません」といって別のカテゴリーに強制的に入れられてしまう。「本当はこのカテゴリーでいいはずなのに」と思う時もあれば「言われてみればたしかにそうだな」と納得することもある。不正に再生回数を稼ぐための不正な配信を取り締まりを徹底しているわけだ。例えば、それは芸術家にとって著作権保護になる場合もある。これを統制ととるのか、保護ととるのか、その判断は難しい。たしかにある意味、システムにより強力に「健全化」をはかれる一面もある。

中国が「徹底」していることは「自分たちのシステムの確立」だといえる。Twitterに対するWeiboにしろ、ニコニコ動画に対するBilibiliにしろ、Youtubeに対するTiktokにしろ、WhatsAppに対するWechatにしろ、海外(主にはアメリカ)のシステムを拒絶し、その代替のシステムを用意している。中国が貧しいと思っている日本人からみれば、これは滑稽な光景に見えるかもしれないが、そんなことを言っていられる状況でもないのはうすうす気づいているはずだ。ご存知のとおり、日本の実質賃金は下がっている。日本と中国の初任給、それと家賃、コンビニの食べ物の価格までを比べてみれば、日本人の方が豊かな生活をしているとはお世辞にも言えない。

そういう状況の中、ただ、思考停止状態でアメリカのシステムに統合されればいいとする日本の腰抜けぶりと、独自のシステムで立ち向かう中国の徹底ぶりはアジアにおいてとても対照的だ。政治倫理などの部分はさておき、どちらの国が経済的に勝利するのか、よく考えておきたいものです。

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