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情報を求めてさまよう妻たち

久々にイライラしています。イライラは言語化して吐き出した方がいいというネット記事を見つけたので、言語化します。

ただでさえ人(日本人)との距離感が近い駐在生活。コロナにより自主的にソーシャルディスタンスをとるようになり、嘘だろってくらいストレスがなくなった。

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自分が今まで楽しいと感じていたものはなんだったのか。人との関わりってそんなに疲れるものだったんだろうか。人に話を聞いてもらうことがストレス発散になると思っていた。でも、それらが実はとんでもなくストレスになっていたと気づいた。

いやいやそれでも世界はそんなに悪いところじゃないと、みんなが善良な心を持っているはずだと、精神を統一させた。たくさんの本を読み、涙を流して心を浄化し、柄にもなく社会問題にも目を向けて(笑)自分の思想や価値観ばかりでなく、色んな人の意見や考え方から多くのことを学んだ。

子供が学校から帰ってくるまでの4時間ばかり。このフリーな時間をどのように過ごすかで、夕方のママのモチベーションは大いに変わってくる。

そんなどっかの僧侶のような生活を送っていたわたしに「そうはさせるか」と神様の試練。

はあ。ため息しかでない。

2021年まだ始まって間もないある日。わたしは痛恨のミスを犯した。

駐妻の情報搾取の戦法にまんまとひっかかったのだ。

人は簡単に信用してはいけない。特に駐妻は。1人に話したことは2人に、3人に、10人にどんどんどんどん繋がって拡散される。

わかっていたのに。情報を持っていかれるってわかっていたのに。ずいぶんと人と関わっていなかったから、つい自分のことをペラペラと話してしまった。

人と関わるのに疲れていたけど、誰かと話せることが嬉しくて。

ずっと家族とだけ向き合って、乗り越えて、それでいいと思ってた。

朝起きて寝るまで、わたしは家族としか喋らない。

旦那は仕事、子供たちは学校。

自分だけが自分と向き合う。自分だけが家族とだけ向き合う。

でもあのとき。

家族以外の人と話すことも悪くないのかもって、思えた。楽しかった。

あの日が来るまでは。

ガラガラガラと音を立てて崩れた。

やっぱりそうだった。

わかっていたのにやってしまった。そうだった、そうだった。駐妻ってそうだった。駐在生活悪いことばかりじゃないって、悪い人ばかりじゃないって、そう精神統一のおかげで培ってきたものが、「それはどうかな?」と囁く。試されてる。試してるな?そんなに人生うまくいかないんだと。来やがった。

ほう、面白い。わたしがこの自粛生活で学んできたこと、そんなに発揮してほしいってのかい。

エクスペクト・パトローナム!!!自粛期間中、ハリーポッターの映画全8作品コンプしたんだからな!

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(おお!?やっぱり言語化すごい!!どんどんポジティブになってきた。バックミュージックの嵐の曲のおかげかなw)

しかしみなさんそんなに人んちのこと気になる?

これって駐妻の人たち限定なのか?やけに人んちのこと知りたがる人多いのなんで。

いや、いいですよ。別にやましいことは何一つもやってないですから。にしても、そんなに他人に興味あるんかいな。人んちの話聞いてるほどわたし暇じゃないんだけど(笑)自分の子供たちの未来について、自分の人生について、地球温暖化について、日本と諸外国について、貧困問題について、人種差別について、挙げればキリがないほどわたしには考えなければならないことがたくさんあるんですよw

狭い狭い世界に閉じこもって、情報を出し合い、狭い狭い世界で地位を確立し、評価され、もてはやされ。その人の本質も知らずに、情報をもらえるというただそれだけのメリットのために付き合うこの無駄すぎる関係性。

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心を開かないと会話はつまらない。コイツ心を開いてないなって喋ってればわかる。コイツ壁があるなって話してればわかる。日本では絶対出会ってないであろう相手と、このアメリカでせっかく出会えたんだから、どうせなら楽しくその時間を過ごしたいと思うのはおかしなことじゃない。ましてやこっちは久しぶりの人との交流w

で、心を開いて話したわけだけど。相手はちゃんと見極めるべきだった。

この人、大丈夫かな?の第一印象はあながち間違ってない。

こっちは久々のお茶会でも相手はそうじゃない。自分と違って他人は現在進行形でいろんな人との交流があるということを忘れていた。山に籠っていた仙人が下界に降りてきて人と交流するとだいたいこうなるのだろう。『街のネズミと田舎のネズミ』の話のように街に憧れて田舎から出てきたけどやっぱり田舎がいいって帰っていくのだろう。

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あの人にとってわたしは大事な存在じゃない。だからペラペラと個人情報を喋れちゃうんだ。なんの影響もないから。私に対してなんとも思ってないから、簡単に情報を渡せる。なんて世知辛い駐妻ワールド。せっかく仲良くなれるかもと心を開いてこのありさま。詐欺師にでも会ったかのような言い草。

どんな小さな情報でも欲しい。よりよく生きるために。よりよくアメリカで生きていくために。わかってる。わかってるんだけど、残念だった。

「この話、誰にもしないでくださいね?」っていちいち言わないと全部横流しされちゃうのかな(笑)めんどくせーなw

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赴任1~2年目で話すことってだいたいスーパーのお菓子のこと、おいしいカフェかレストランのこと、旅行先のこと。帰国目前くらいになると日本での生活のことにシフトして情報合戦。そうやってみんなうまいことやっていく。日本にいるときからそうだったけど、情報たくさん持ってる人、それ情報元はどこ?みたいな人、怖くて苦手だった。たぶん、「情報通=いろんな人と繋がってる」っていう固定概念かも。情報を頂けるのはありがたいけど、わたしのこともそうやって誰かに話しちゃってるんだよねって。

ウン10年も前に学校卒業して集団生活からおさらばしたはずなのに、子供産んでもまだ群れ生活やってる。だいぶ断捨離できたはずだったのにまた痛い目にあった。マジお疲れ自分w

情報って直接人から貰わなくたって、SNSでもネットでもnoteでも、調べたきゃ簡単に調べられる時代。デジタルデトックスって言葉があるくらい情報が溢れまくってるってのに、まだお茶会なんぞ開いて情報共有をしておる。この地域一帯はネット繋がってないんかなw

この2021年のネット社会において「情報なさすぎて困ってます!」って人いなくない?って思うのだが。

生きてる上で人に関わらなきゃいけない必要性って、ぶっちゃけそこまでない気がしてる。仕事してる人を除いては。でもそれでは寂しいから数人の本当に心から信頼できる友がいればそれで十分。情報をくれるから繋がってなきゃいけない友人関係なんていらない。情報戦には関わりません。

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 そっと離れよう。

よく知りもしない、顔もわからない、どこかの誰かのことを耳にするのはもううんざり。それがたとえ自分のためを思って、善意で言ってくれてるとしても、もうこちらとしては受付してませんので。

いろんな問題や壁が立ちはだかったときに、自分はどう対処するか、どう受け止めるか、どう解決していくか。人の意見よりもまずは自分はどうしたいか。当たり前のことなのに、できない。人がどうするのか、どう動くのか気になって仕方ない。人は人ってわかってるのに。

自分は自分でやってくし、余計な助言はもう必要ない。雑念を抱くのはやめよう。そっと離れよう。

ただ、やはり無事に日本に帰国するその日までは、駐妻との関り方には気をつけたほうがよさそうだ。









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