九重

シャニマス/ブルアカ/ 考察や感想などを書いています。

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【ブルアカ】鬼怒川カスミの本当の「我々」について【Trip-Trap-Train/絆ストーリー考察】

『Trip-Trap-Train』でのカスミにはおかしなところがあります。行動に一貫性がないことです。どこに一貫性がないのか。なぜ一貫性のない行動をしたのか、つまり、その行動の真の目的は何なのか。絆ストーリー含めて、カスミの人物像から考察します。 『Trip-Trap-Train』でのカスミの人物像「我々」の使い方について まずカスミの言動について。特に目につく――あるいは鼻につく――のは「我々」という言葉の使い方だろう。彼女は「我々」と先んじて言語行為をすることで、あた

    • 【ブルアカ】消え去る立法者と立ち上がる私【Trip-Trap-Train】

      ルソーはこの人物を「詐欺師」と呼んだ。 ※23/10/10 下記の記事の方がちゃんと(行間も)記載しているので、先に読んでいただいた方が雰囲気が伝わるかと思われます。 またこちらの記事はイチカ寄りで、下記の記事はカスミ寄りになります。 校宝はゲヘナ行きイチカは、ティーパーティーのナギサからの依頼で校宝「ティーパーティーの一番最初の会合で使われたティーセット」を発掘現場から届ける仕事を受ける。発掘作業はしていたものの、先生はその校宝の価値について詳しく知らず、イチカから説

      • 【ブルアカ】愛への賭けをめぐって【隠されし遺産を求めて】

        ブルアカで未だに腑に落ちていなかったことがありました。それは【先生が躊躇なく生徒たちを「信じる」と言い切る】ことです。今までこの行為の背後にある理屈があまり明瞭に見えず、なんとなく超法規的に「先生だから」となってしまっていました。しかし、今回のイベント『隠されし遺産を求めて』にて、ハナコが主題になったことで、その理屈がようやく見えた気がします。この【先生が躊躇なく生徒たちを「信じる」と言い切る】行為の背後にある理屈を「愛への賭け」と称したいと思います。 なぜハナコが主題にな

        • 【U149 第2話】感想:個性の称揚の前に

          アイドルマスターは本数はそこまで多くはないが、シリーズとして長年アニメ化され続けてきた。基本的に作品ごとに描かれるアイドルたちが異なっているが、作品ごとにテーマも異なっている。 『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』(以下『U149』)でも、ただ地続きにアイドルを紹介していくのではなく、作品単位で以前のアニメと差別化している。内容自体は過去のアニメを視聴していなくとも、『U149』単品で見れる話の作りになっているが、過去の作品を知っていた方がより深みが感じられる

        【ブルアカ】鬼怒川カスミの本当の「我々」について【Trip-Trap-Train/絆ストーリー考察】

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          『灰羽連盟』感想:「壁」による呪縛と「鳥」による祝福について

          牧歌的な暮らしの雰囲気がありつつも、どこか穏やかに終わりに近づいているかのような終末的な雰囲気が漂う世界観。灰羽たちは廃棄された寄宿舎や工場に居を構え、街は「壁」に囲まれている。ヒトも含めてこの「壁」の外に出ることはできない。そんな閉じた世界にラッカは生まれ落ちる。右も左もわからないラッカはとても親切な――だが、煙草は手放せない――レキやオールドホームの面々に迎え入れられる。そして、ラッカはこの世界で「鳥」に教えられ、赦され、また彼女自身が「壁」を超えて行く「鳥」になっていく

          『灰羽連盟』感想:「壁」による呪縛と「鳥」による祝福について

          【ブルアカ】カルバノグの兎編(~2章)の感想と「デカルト」という夾雑物について

          現在、私たち人間は社会と関わりなく生きることはできない。人の集まりである社会の中で、私たち個人は、社会が存続・腐敗しないようにするために、所得の再分配などの、法へ遵守を求められたり、その社会の中での道徳的・倫理的な規定を身に受けることになる。社会と私たち個人の関係は、上記のように、抜き差しならない緊張感を持ったものになっている。 『ブルーアーカイブ』の世界設定やシナリオは、社会やこの「社会と個人の関係」への言及がとても上手い。トリニティとゲヘナという民族的な対立。レッドウイ

          【ブルアカ】カルバノグの兎編(~2章)の感想と「デカルト」という夾雑物について

          【ぼっち・ざ・ろっく!】私の尊厳を探して

          後藤ひとり(以下、ぼっちちゃん)は学校というコミュニティで友達を作れず、一人で過ごしてきた子だった。アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』は、そんなぼっちちゃんが「結束バンド」に参加することになり、そこで彼女に”朝が降る”までの過程を描いた作品になる。 この”朝が降る”というワードはアルバム『結束バンド』の最終曲に置かれた――ぼっちちゃんがカバーする――『転がる岩、君に朝が降る』にちなんでいる。またアニメ最終話の題名や脚本も”朝が降る”終わり方を示唆している。しかし、この”朝が降る

          【ぼっち・ざ・ろっく!】私の尊厳を探して

          【ブルアカ最終編】大人の責任を託されて

          ――バトンを渡されたような気がした。 ブルアカ最終章で驚かされた事実の1つは先生が使っていた「大人のカード」が――切り札的なメタファーではなく――ネット上での大人のゲーム課金方法を表す「クレジットカード」をそのまま指していたということだった。別世界線の先生であるプレナパテスが「大人のカード」を使う姿から主人公側の先生も同じ動作をしているだろうことが予測でき、先生とプレイヤーは重なった存在であることをブルアカは強く描写してきたのだった。 また最終編のシナリオが進む中で、プレ

          【ブルアカ最終編】大人の責任を託されて

          【明るい部屋】カメラ・ルシダの立ち位置に――デュシャンの《遺作》になぞらえて

          『明るい部屋』という題名、バルトの同名作品の表紙を連想させるキービジュアルの色味、最終章題名がフランス語であること。これらのことから、このコミュはロラン・バルトの著作『明るい部屋―写真についての覚書』を下敷き、あるいはオマージュ等をしているコミュであることが予想される。しかし、このコミュの中で写真は一切現れてこない。代わりに最終章で「La chambre libre」と呼ばれる、時空を超えて”在る”ように感じられる部屋が現れ、なんか良い雰囲気になってコミュは終わる。一体全体何

          【明るい部屋】カメラ・ルシダの立ち位置に――デュシャンの《遺作》になぞらえて

          【麭・麭・給・給】幽谷 霧子【G.R.A.D.考察/感想】

          ソシャゲには2つの契機があると思っている。1つ目は始めるきっかけで、2つ目は継続的に続ける動機をなるきっかけ。シャニマスでは、なんらかのシナリオが2つ目のきっかけになった方が多いのではないかと思う。私にとってはそのシナリオは霧子のG.R.A.D.だった。 G.R.A.D.はgradation(グラデーション)を意識した略語になっており、続くLandingPoint(着地地点)のシナリオへと至る途中の、個人の変化を描くシナリオに位置する。 特に霧子のG.R.A.D.およびそ

          【麭・麭・給・給】幽谷 霧子【G.R.A.D.考察/感想】

          「樋口円香」を見る――人に添って

          円香についての人物考察記事になります。円香の人物像の考察は、コミュ(文字や演出)に添って行われることが通例ですが、ここでは現実の人間に対しての見方を補助線にして円香を見ていきます。そのため、厳密には円香の考察というより、筆者の中にいる「ひとりひとり」の円香についての考察になります。その点ご了承ください。 また最後に「アイマスMOIW2023」の【ラ♥︎ブ♥︎リ♥︎】について思うところを述べます。ぶっちゃけこの記事を書く気になったのは円香の【ラ♥︎ブ♥︎リ♥︎】のせいです。

          「樋口円香」を見る――人に添って

          【聖園ミカ 絆ストーリー】先生からの贈り物

          愛とは、持っていないものを与えることである――― ジャック・ラカン 2023年1月24日聖園ミカが実装された。ミカの絆ストーリーは実質的に「エデン条約編」の後日談と言っていいだろう。聴講会にて特権的な地位から一般生徒へ落とされる裁定を受けたミカは、一般生徒として寮に住み、学校に通うようになる。かつて(結果的に)ティーパーティにクーデターを起こしてしまったミカに対する世間の目線はとても冷たい。「エデン条約編」などで見かけたトリニティの生徒たちの姿から、ミカの学園生活の悲惨な面

          【聖園ミカ 絆ストーリー】先生からの贈り物

          【線たちの12月】見えるもの、見えないもの、聞こえるもの、聞こえないもの

          ほんとじゃん?ほんとに見えたら ――――浅倉 透 初見の印象は、線は人と人の間を結ぶもの、円は人と人を含むものであり、私たちはペンを持つのは、自然とそれを求めてしまうから、という風に感じた。 『線たちの12月』は多くの線たち――人と人の間にあるもの――を描くことにより、多様な、人と人の間で起こりうること、起こっていることに言及した作品だと思う。そこには透ちゃんの言う「ほんとじゃん?ほんとに見えたら」が幾重にも発生しており、人と人の間に線を引くことの難しさが垣間見れる。そし

          【線たちの12月】見えるもの、見えないもの、聞こえるもの、聞こえないもの

          【ロング・ログ・エンドロール】うたかたから上る

          分かれ道にて祭囃子に導かれ、Pとアイドルたちは田舎の夏祭りに到着する。狐面を携えた参加者が異様に多く、また「とことわに」という聞きなれない挨拶が交わされる――のちに今はもう地元の人でさえほとんど知らない挨拶だと分かるのだが……。Pは異様さに気づくことなく、お祭りの出し物を食べる。この状況でのそれは、どこか黄泉竈食(ヨモツヘグイ)を連想させるものであった。やがてPとアイドルたちはそれぞれにおみくじに辿り着く。ここのおみくじは二種類ある。「とことわ」と「かなえ」。その選択は祭りに

          【ロング・ログ・エンドロール】うたかたから上る

          【プレゼン・フォー・ユー!】冬優子はフライトに決して間に合わない

          シャニマスの越境コミュと言えば、豊潤なメタファーを用いて、文学的に心的なものを表現する類の作品――代表としては『明るい部屋』――が思い浮かぶ。その中でも、最初に実装された、その類の作品は『きよしこの夜 プレゼン・フォー・ユー!』だろう。 迷える者である天井社長。彼の苦い過去と、アイドルたちのマラソンリレーの現在が混線し、過去にプレゼントを拒絶された天井社長の元に、現在のサンタとしてアイドルたちがプレゼントを届ける。そして、天井社長に幽霊の呪縛から解き放たれる希望が見えてくる

          【プレゼン・フォー・ユー!】冬優子はフライトに決して間に合わない

          ブルアカの大人と子ども【ネバーランドでつかまえて】

          ブルーアーカイブの”大人”という言葉は、一般的に使われる意味での大人とはどこか異なった強い重みを持っている。イベント「ネバーランドでつかまえて」のシナリオでは、その違いが端的に表現されていて、とても印象的だった。 簡単にあらすじを。「梅花園」の教官を務めるシュン。自由気ままな園児たちの世話に若干憂鬱気味であった彼女は薬の作用で子ども姿に戻ってしまう。シュンは子ども姿の自分を「シュエリン」と名乗り、子どものように好き勝手振る舞って先生たちを振り回す。責任のある元の状態に戻りた

          ブルアカの大人と子ども【ネバーランドでつかまえて】