今週のMornin#31
区切りのいい数字
好きな数字と聞かれた時に答える数字があれば、その数字を見たときに感傷的になる数字もあり、手足、指、目、耳の数を思い浮かべて、過去の思い出が雪崩れ込む季節、冬。
冬は人間の部分に目が行く季節。四角形の角が削れていたらそこを無心で撫でてしまう人には好きな季節だろう。
今週のMornin
写真の前に
メルカリでジャンクのフィルムカメラを買った。当時50,000円程度したものが今は1,400円ほどで手に入る。通電とシャッターストロボ動作確認済み。裏蓋内の状態が分からないがなんとかなるだろうと、おみくじのつもりで買ってみた。届いてフィルムを通して現像して無事写真が撮れていて、どうやら正常に使えたようでよかった。おみくじというよりは宝くじのような気持ちだった。年始に遊びに来てくれる友達にこのカメラは託そうと思う。モルト交換、たまにやると精神統一みたいで気持ちがいいから久しぶりにしたい。またジャンクカメラの旅に出ようと思う。運よく直せたら誰か使ってね。
写真のこと
自宅から最寄り駅までの道で、区画整理をするのに解体された跡地に設置されていた柵と、その道の間に咲いていた猫じゃらし、そこに当たる陽の光が美しくて撮った。手前の元気そうな猫じゃらしと、柵の奥側のもう枯れ草になってしまったものとの対比と、光の差し方に抽象的な意図があるような気がしてならない。左下にフレアが出ているがその至らなさを可愛がれるのもフィルムの立ち位置なのだと思う。AF付きのカメラのためピントが奥の地面に乗っている。レンズは35mm/F2.8で、ボケ過ぎず淡くなりにくい。
45年以上前のカメラでもこうやって現代に作られたフィルムが通り、写真になり誰かに見せることができるこの仕組みにいつになっても感動してしまう。デジタル写真が主となってしまった今、フィルム写真は本当に肩の力が抜けて目を大きく開かなくても撮れる、自分にとっては休憩のような媒体になっている。
これで終わればいいのに
区切りが毎週のように来ているようなこの12月、いったい何が師走というのか。毎週断罪キャンペーンみたいな名前に変えてほしい。少し前に見たこれを思い出す。
暗い部屋の中で見るには心細いかもしれないが仕方がない。
1年の清算だと思ってまた見ると思う。保湿が足りない季節にはもってこいである。
今年の後悔、今年のうちに
やり遺したことはなんですか、言い忘れたことはありませんか。
もうこの世には居ない人に一体僕らは何を施せるのでしょうか。
施しというのは、誰の罪や鎖を解くことができるのでしょうか。
ほぐす、ではなく、ほどくには。
TikTokでもTwitterでもYouTubeでもなく、言葉や文章や絵画や写真にそれらの役割を見出してもう2年。生きているのが奇跡だなんて陳腐で、マグカップに残ったコーヒーの生きた証が羨ましくて、なんだか綺麗にその汚れを落とせない僕らが居たっていいと思うし、寄せては返すのは海の波音だけでいいからどちらかでもいいから早くと睨むくらい冬はやさしい。
救われたいなら手を伸ばすくらいの強かさを持てって早く諭してほしい。
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夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます