見出し画像

今週のMornin#57

全然知らん町


個人の感覚で、「町」と「街」は違う気がする。溶け込みたくなるかどうか、馴染みたくなるかどうか、馴染むために何かを頑張りたくなるかどうか、などといろいろ細かい違いをあげることができると思う。電車、バスで動き回るのが街で、もしかしたら歩いていたら誰かが車で拾ってくれそうなのが「町」だとかの、大異でなくても違いはあるような気がした。初めて訪れた「真鶴」と、初めて触れた個展と、それが溶け込んでいた「町」と。そういうものが好きとなんとなく思って決めていたことの要素が段々と細分化されて解像度が上がっていくようなこの過程が、人生という感じがして気持ちが良かった。別に長生きしたいとかそういう大義がなくとも人生を楽しむことはできていいなと思えた。素直に、また真鶴に行きたい。


今週のMornin


sanctuary

写真の感想


そういう、まるで「町」を歩いていた。駅から港までの下り坂、港では自由に釣りをしている町民の方達、海岸線の岩場で遊ぶ家族連れ、テント、テント。きっと海遊びをしてきたであろう飼い犬が日陰でお利口に飼い主さんを待つ姿、岬に向かう地元の人たち、カフェでくつろぐ観光客、野良猫を追いかける我々、歩きながら食べたパピコ、海鮮丼、ほたて、ソフトクリーム、コーヒーフロートにジャーマンポテトピザ、帰りに乗ったバスでうとうとするのはどこに行ってもよくあることだ。車の揺れはゆりかごだ。眠るというのは安心していることの表明の一つだろうが、ただの疲労とその周波数が車の揺れに合っているだけのように感じる。電車の揺れとも合いやすい。そうい、合いやすいかどうかというのは結構重要なことだと思う。意思でどうにかできる範囲があまりに少ない気がするからだ。そんな生活と人生の中で、唯一どうにかなる範囲とどうにもならない範囲を、取引するのが一つ写真だと思う。それが勝負のように感じる時もあるけれど基本は自分と向き合う終わらない素振りだと思う。今日も素振りが楽しかった。素振りをするには体力がいる、元気がいる、生きるにはそういうものが必要らしい。雨からしか充電できない元気もあるだろうに。梅雨が来て安心した。
写真は自分が好きな取引の一つ。背景と鳥の場所を合わせながら、マニュアルフォーカスレンズのピントを追いかける。毎回うまくいくわけではないからこそ、毎回チャレンジをする。
いつまでも空は鳥の聖域だ。

F4 SS1/8500 ISO800
NOKTON 35mm F1.2 X mount


many 



視線に薄い膜が張る


Net of trash

色々な原理や構造的に、膜というのは通るものと膜によって何かがカットされたり増幅されたりするだろう。アンプや細胞膜やそういうものを想像した。写真を撮り始める前まではなかった薄い膜が最近はよく見える。実際には当然見えていないし、見えていることが何か特別だったり必要だったりするものではないだろうけれど、自分の無意識の法則を考察して楽しめるなら何よりだとも思う。これもぜひ継続して考えていこうと思う。最近は割と穏やかでいろいろと安心していて、不安もないけど将来の希望も特になくて気ままに好きに生きられている気がしてとてもいい。ぜひこのまま続いてほしい。


夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます