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今週のMornin#59

暑さの薄さ

降り注ぐ熱の光線に鋭さは感じるし重さも感じるけれど、厚さはあまり感じない。紙のような薄さと針のような鋭さはもちろん違う。積みレンガのような分厚さも感じない。暑さにはそもそも感じ得ない形容詞なのだろうが、日本語もとい言葉や現象を表す形容詞にはやっぱり適切な語があるわけで。短歌や俳句や詩を読んでいると、時に適切でないような形容詞が使われる現象や名詞などがあるわけで、そこに一定量の気持ちよさ・響きや味わいみたいなものを感じる時がある。いつかそういうお気に入りの、定型から外した形容詞が不定形な僕らの何かにはまる単語が見つかればいいと思う。「ゆめゆめ」とか「わなわな」とか、惜しいけどちょっと違う。そういう、人によってはくだらないことに自分は頭を使って笑うくらいの余裕があるのがかなり救いだ。

angle


今週のMornin

asleep

写真の感想

今の職場に向かう道中でずっと探していた植物を発見した。なんとなくずっと、きっかけは明確にあったけれどなんとなく見つからなくて、見つける気がなくて、見つからなかったらいいのにとも思っていて偶然見つけた。見つけてからはしばらく経っていたけれど、あんまり写真を撮る気になれなかった。時間が経ってようやくお花ってやはり刹那的なものだから、今の姿を来年見れる保証はなくて2度と見れないかもしれなくて、やっぱりそう思うと写真を撮らなければと思う。ネムノキは髪の毛くらいに細い糸みたいな、薄紅色の花が咲く。夜になると眠るように葉が閉じる。葉はすでに閉じていた。もしかしたら、まるで母のように。

昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花
君のみ見めや 戯奴さへに見よ

万葉集 巻八・一四六一


ドライフラワー

切り花を買った後になんとなくゴミ箱に捨てるのが嫌で、捨てるのが当たり前の現実を受け入れたくなくて、見よう見まねでドライフラワーを勝手に生成している。いつから乾かし始めるかでその後の固定される姿が変わることがようやくわかってきた。枯れる前に乾かし始めれば比較的色やみずみずしさはそのまま残り、枯れてから乾かすとその枯れた状態で朽ちたものが残る。これまではあくまで元気が失われ枯れた後のお花を乾かすことをしていたが、今年買った芍薬はまだ花が咲いている状態のままに水を抜いた花瓶にそのままの状態で部屋で昼夜を過ごしてもらった。呼吸が止まったように水気が抜け徐々に乾き始める。確か去年買った時に乾かした芍薬のきれいな花びらは全て目下に落ちて、時間が止まったそれは今も部屋に存在している。その花びらは割れたコーヒーサーバーに入れ、割れたグラスと枯れた花びらは相性がいい気がしている。勝手に。
勝手に何かをするときはそれなりに責任が伴っていることが、それを見ると実際に雰囲気でなくそのものが見えるようでちょっとつらくなる。同時につらくない人生なんて絶対に生きたくないという表明のようで。

Draining


夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます