自分スペシャリストになるためのヒント~ユーミン「やさしさに包まれたなら」と映画「魔女の宅急便」に学ぶ
今日はユーミンの曲「やさしさに包まれたなら」と映画「魔女の宅急便」から、前記事に続き、別の視点での自分軸のみつけ方を記したいと思います。
映画「魔女の宅急便」(1989年)の主題歌でエンディングになった松任谷由実ことユーミンの曲「やさしさに包まれたなら」
1974年4月20日にリリースされています(わたしの誕生日と同じと言いたいですが、ちょうど1年前…。勝手にご縁を感じてしまいます)
「荒井由実」として活動していた頃です。もう50年近く前の曲なんですね。
子どもの頃は楽しい時は純粋に楽しんで、悲しい時はただ悲しくて泣いて、走りたい時は走って、欲しいものがあるときはダダをこねても欲しがったりと周囲の状況なんて考えずに行動していたと思います。
成長するにつれて、いつの間にか自分の想いは本当は違うのに、周りの人に合わせたり、心に偽って行動したり、できなかったりする自分がいます。
この曲は、そんな子どもの頃の出来事を思い出し、「子どもの頃のように素直に生きられたなら…。」と世の中の不条理に飲み込まれそうになった時に思い出したい、本当の自分になれるよう氣付きを与えてくれるのです。
なぜ、大人になったら、夢が叶わず、子どもの頃は夢が叶ったのか。
前操作的段階(2~7歳)の特性であるアニミズムと自己中心性
アニミズム
動植物のみならず無生物にもそれ自身の霊魂(アニマ)が宿っており,諸現象はその働きによるとする世界観。
自己中心性
自分と他人とをはっきり区別ができないため、他人の視点で物事を考えることができない。自分の立場からだけでみたり考えたりしようとする。
スイスの心理学者ジャン・ピアジェ(1896~1980)が唱えた概念です。
ピアジェは子どもの認知発達理論を提唱しており、自己中心性がみられるのは第2段階の前操作期(2~7歳頃)と言われています。
また、前操作期の特性として、自己中心性のほかにアニミズムが見られます。ぬいぐるみを命があると思って一緒にままごとしたり、お絵かきの時に太陽に目を書いたりすることです。
そして7歳ころ~具体的操作期(7~11歳頃)に入り、は、自己中心性から脱却。他人の立場に立って物事を考えられるようになります。アニミズムは消失していきます。
ピアジェは、子どもの思考は大人とは根本的に違うと考え、だからこそ
子どもならではの世界観(アニミズム)を大切にするべきと主張したそうです。
アニミズムの消失は原始反射の消失にも似ています。
原始反射は成長するにつれて消えてしまうんですが、原始反射が統合されていないと大人になって困りごとが生じる。感覚を統合していくことが大切になります。統合のためのリハビリテーション「感覚統合療法」はアメリカの作業療法士のエアーズ(1920~1988)が考案しています。
※原始反射は上部引用の第1段階:感覚運動期参照
アニミズムや原始反射の話は
映画「魔女の宅急便」のキキが空を飛べなくなったワケやジジが話せなくなったワケにも説明ができます。
物語の中のキキは13歳。ピアジェの発達段階は形式的操作期。アニミズムは消失しています。
キキが飛べなくなった理由とジジがしゃべれなくなった理由はいろいろとネットでも考察されています。
わたしはキキが飛べなくなった理由は「トンボへの恋も含めた成長」だと思います。
そして、ジジがしゃべれなくなったことについて、宮崎駿監督はインタビューで「ジジの声はもともとキキ自身の声で、キキが成長した事でジジの声が必要なくなった。変わったのはジジではなくキキ」と話しています。この言葉からジジはもともと話しておらず、ジジのセリフは全てキキの心の声だったということです。
そしてアニミズムと原始反射が大切であることにつながっていきます。
これを統合させるためのヒントが「やさしさに包まれたなら」の歌詞に隠れている。
もう一度魔法が使えるうようになるには、アニミズムの考えを取り入れること。感覚を統合していく作業が必要になります。
これができれば夢を叶えることができます。もう一度子どもの頃の感覚を取り戻す。実際には取り戻せなくても、子どもの頃のことを思い出したり、感じたりはできます。
子どもの頃にもっていた閃きや思いつきを大事にして、今、行動する。
発した言葉や行動が、自分を表現することになる。
キキは再びトンボを助けるために空を飛べるようになりましたが、
空を飛べなくなった時、ジジとの会話もできなくなりました。しかしジジは再びキキが空を飛べるようになっても「ニャー」としか鳴いていません。
ジジがしゃべれていたこと(キキ自身の声だとしても)はキキの成長を助けるため、目にうつる言葉というメッセージ(文字に書ける)をキキ(自分)のために発していた。そして統合できたことによりジジの言葉が必要なくなったのではないでしょうか。
スイスの画家、美術理論家 パウル・クレー(1879~1940)は
「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、
目に見えないものを見えるようにするものである」という言葉を残しています。
目にうつらないものは確かに分かりにくいけど、わたしたちに思い出させるように分かるように目にうつるものに変換してくれている。そうだとしたら「目にうつる全てのことはメッセージ」になります。
このメッセージを受け取って、目にうつらないものを感じる
目にうつらないことの本質に氣付く
目にうつるメッセージは目にうつらない本質に氣付くためのメッセージ
心で感じたことを言葉や行動で表現していくことが自分らしく生きることになる。その自分の表現がだれかの氣付きへのメッセージにもなる。
あなたはあなたらしく生きる。それが自分軸、自分スペシャリストになるという答えに辿り着くのでした。
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