見出し画像

【ジブン哲学】「知識」は大切です。でも「道徳」はもっと大切です。

こんにちは、しゅんたろうです。

今日は、「知識」と「道徳」についてのお話です。

ざっくり言うと、『「知識」も大切だけど、その知識を「どう使うか」(=道徳)の方が大切だよね。てか、両輪だよね。』という話です。

私は、人から尊敬(信頼)される大人になりたい。でも、「知識」でマウントをとって、「正論」を振りかざす大人にはなりたくない。

ただ、一瞬一瞬を切り取って考えてみれば、自分だって無意識にそうしてる可能性もあるので、自戒を込めて綴ってみます。

「知識」ってなんだ?

「知識」は、「技術」「スキル」「経験」と言い換えてもいいかも。

ある「学び」や「経験」によって、「知識」が手に入ります。
人間的にはレベルアップしますよね。やったぜ!

でも、果たして本当にそうなんでしょうか。(哲学w)

「人間的なレベルアップ」って、
むしろ「道徳(=徳の高さ)」によって起こるものじゃない?

あれ、じゃあ「知識」ってなんだろう?
なんで、みんな「知識」を習得したがるんだろう?

「知識」を言い換えてみる。

「知識」って、色んな表現(言い換え)ができそう。

  • 「知識」は「力」だ。
    物事を推進するためのパワーとなってくれる。

  • 「知識」は「自由」だ。
    視野を広げ、人生の選択肢を増やしてくれる。

  • 「知識」は「安心」だ。
    "無知による不安"から解放してくれる。

  • 「知識」は「心配り」だ。
    他人の感情を推察するための道具となる。

どれも正解だと思う。

みんな「知識」を習得したがるのは、
「"自分にとって"得だから」だよね。

なんか納得。

「知識」の使い方について

知識量の多い・少ないは置いといて、
大切なのは、その「使い方」だと思うの。

パターンは大きく3つある気がする。

  1. 自分をより良くするために使う(自己成長)

  2. 外部からの攻撃に対して、自分を守るために使う(自己防衛、正当化)

  3. 誰かのために使う(少なくとも自分は、その人のためになると思ってる)

①②はよく分かるし、必要だと思う。
難しいのが③。

③は「利他的な行為」で、一見良さそうに思えるけど、
"校長先生のありがたい話"だって、発信する側は良かれと思っていても
受信する側からしてみたら"ありがた迷惑"な場合もあるわけで・・・。

じゃあ、どういう場合は良くて、どういう場合は"ありがた迷惑"なんだろう?

それって本当に"その人のため"?

③について、さらに2パターンに分けてみた。

③-1. 「あなたの考えは間違ってるから、正してあげよう」パターン
「自分の考えは正しい。あなたの考えは間違っている。」という前提のもと、相手の考えが変わるまで満足しないパターン。

→リアルでもSNSでも、ヒートアップさせると主張が過激になり、非常にやっかい。建前で「そうなんですね!勉強になりました!」と返答して、やり過ごすのが吉。

→類似例として、家族・上司などの上下関係における「あとになれば分かるから、今は従っておきなさい」パターンもある。「あなたのためを思って…」との連携技も強力。

③-2. 「不要なら受け取らなくていいので」パターン
「私はこう思うけど、参考になりそうなら使ってみて。(考え方が合わなければ無視してもらっていいから!)」というパターン。

→押しは弱いが、与える感じはいい。その考えを受け取るかどうかは、話を聞いた相手の方に、選択の自由がある。

【詳察】"校長先生のありがたいお話"は、どういう分類なのか。

ここまで考えてみて気づいた。

"校長先生のありがた迷惑"パターンは、③-1. ほど押し付けがましくないけど、「情報量が薄いのに、長時間拘束されること」が苦痛なんだ。

「話す機会」だけ、とりあえず与えられた人が、嫌々話してたり、聴衆のニーズに合ってなかったり、内容が薄かったりするのは、本当につらい。

会社の会議でもそうだけど、「参加者の時間を奪っている」という感覚に、もっと敏感になった方がいい。

【詳察】Youtubeも同様。「薄味の味噌汁」は美味しいのか。

ちなみに私、Youtubeにどっぷり浸かれない人間なんだけど、その理由もそこにあると思う。

サムネイルで、すごく興味を煽っておいて、その結果「情報量が薄いのに、長時間拘束させられた」という経験がすごく多いんだよね。。。

ある意味これは、自分の都合(ビジネス的な利益)のために、「知識」を使っているので、「③誰かのために知識と使う」に見せかけた「①自分のために知識を使う」だよね。

まぁ難しいのは、そんな「薄味の味噌汁」でも、満足する人たちが一定数いる。ということ。

そして、知識量の多い・少ないによっても、「初心者の全力」と「玄人の出し惜しみ」パターンがあるということ。

「玄人の出し惜しみ」は、「③誰かのため」と見せかけた「①自分のため」だけど、「初心者の全力」は純粋に「③誰かのため」であることが多い。

やっぱり、心情としては「初心者の全力」の方を応援したくなるよね。

【小まとめ】知識について

一旦、ここまでまとめると、こんな感じ。

  • 「知識」があるからと言って、「道徳」があるかは別問題。

  • 知識は「自分が得する」から、みんな習得したがる。

  • 知識の使い方は「自分のため」と「誰かのため」に分かれる。

  • 「誰かのため」に見せかけた「自分のため」という知識の使い方もある。

  • 「誰かのため」と思って知識を使っても、本当にその人のためになっているかは別問題。

  • 「薄味の味噌汁」(情報量が薄いのに、長時間拘束される)はつらい。

  • 「薄味の味噌汁」にも「初心者の全力」と「玄人の出し惜しみ」がある

「知識」について深掘りすぎた・・・(汗)
ここから、ようやくタイトルの回収に向かいます。

結局、大切なのって「道徳」では?

同じ刃物を使っても、医者は人の命を救うし、殺人者は人の命を奪う。
誰かに美味しい料理を作ってあげることもできる。

どれだけ知識・技術・スキルがあっても、
結局は、使う人の良識ひとつで、天地の差なんだよね。

だから、常に自分に問う必要がある。

『その行動は、その言葉は、
 「なんのために」やる必要があるのか。
 (本当は不要ではないのか。)』

『それが誰かのためであるなら、
 その言動は「本当にその人のため」になっているのか。
 (本当は「自分の都合」ではないのか。)』

私たちは、日々色んな判断をして、失敗も沢山する。

そういった経験から、自分の中の「道徳」を育んで、
自分自身に対しても、貴賤や老若男女問わず誰に対しても、
常に公正明大な態度で、気持ちよく日々を過ごしたいね✨

最近、"頭でっかち"になってない?

「知識」って、頭で理解しやすいもの。
偉い人が提唱した考えなら「確かにそうだ」と鵜呑みにしがち。

「道徳」って、心の目で見て、感じるもの。
アンテナの感度を高く維持してないと、見極めるのが難しいかもしれない。

どちらも同じくらい大事だと思うんだけど、
今の世の中は「知識偏重」だと私は感じてます。

だから、「知識:道徳 = 3:7」くらいで、ちょうどいいのかも。

まだ若くて粗削りでも、前向きでイキイキと人間力が高い人の方が、私は惹かれるし、自分自身もそうありたいなと思いました。

私の考えまとめ

上記を踏まえて、私の考えは以下です。
あ、でも不要なら受け取らなくていいです(笑)

・「知識=正義」ではない。その知識を使う人の人間性(道徳観)を心の目で見て判断しよう。(自分が使うときにも気をつけよう)

・「知識」という鎧を着て、凝り固まるな。時には、鎧を脱ぎ捨て、外を自由に走り回ることも大事。(様々な体験を通じて、感性を研ぎ澄ます)

・現在は「知識偏重」の世の中(な気がしてる)。「知識:道徳 = 3:7」くらいで、尊敬できる人を見つけ、自分の人間性を育もう。(知識は必要なときに、いくらでも身につけることができる)

ではまた!

しゅんたろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?