S__34816037のコピー

デッサンから学ぶ。


「二度と人前にそのスケッチをだすな。」


新卒で入った会社で上司に
言われたことがあります。笑

スケッチやデッサンに関しては、
苦手意識があって絵を描くことは
好きじゃありませんでした。


もともと大雑把で、
細部にまで目を配ることを
苦痛に感じていたからです。

そんな中始まった、
桑沢でのデッサンの授業。


ここでは「うまく描く」こと以上に、
「モノをみる」ことを重視して
授業が進みます。


実際に目に見える真実を、
真実のまま表現する。


僕にとって苦痛でしかないこの授業で、
僕はモノを見ることを徹底的に強制しました。


透明の電球の構造、
ガラスに反射する虚像の世界、
アクリルを通す事で歪む実像の輪郭、


実際に起きている現象や素材の表情、
構造の仕組み、


全てのモノゴトを、
忠実にデッサンする事を
徹底して行いました。


功を奏して、日常にある現象に視点を置く
という今までになかった感覚を持てたのは事実です。


デッサンの講評の際、

「正確」「細かい」「丁寧」といった
評価をいただきました。


強制的にそのような表現を
目指していたこともあって
嬉しいと思った反面、


決してそうではなかった、
そうすることのできなかった、
当時の自分の感覚が失われる気がして
すごく怖かった。


正しいことを「正しい!」と叫ぶことは、
すごく気持ちのいいことです。


批判されることもなく、
多くの同調を得られます。


それに対して、

「お前は間違っている」と
多くの批判や反感を
買うようなことを、


「間違っていないんだ!」と叫ぶことは、
すごく怖くて、勇気のいることだと
感じています。


ですが、何かを変えたいと思った時、
その恐怖に立ち向かう勇気は、
きっと必要なものであって、、、。


僕はキレイに、きっちりと正方形に
収まろうとしていたのではないだろうか?



それが怖くて、
僕のことをよく知るであろう
姉や友人に聞きました。


俺はどんな性格だったか?


この事を話すと友人は、
笑ってこう言いました。


「デザインに対する考えは几帳面やけど、
アウトプットは大雑把。基本雑。」


、、、安心した。


姉はこう言います。


「デザインに関わり始めてから変に
几帳面な一面も見えてきたけど、
他はルーズ、生活力がゼロ!」


、、、よかった。


何が良かったのかはわかりませんが、
僕はデザインと関わるようになって、


自分でも感じるくらい
モノゴトの捉え方、考え方が
変わったと思っています。

というよりは、
変えようとしてきました。


なんというか、
キレイに整えようとしているというか、
プラスにというか、なんというか、、、。


そんな生き方を目指している反面、


根本にある、雑で、適当で、まさに
「生きていく力のない」


努力が嫌いで、夢なんて暑苦しくて、
人を尊敬することなんてゼロにちかくて、


そんな一面があったからこそ
気づけたことや、
デザインをしたいという気持ち。


当時の自分は今でもきっと
心のどこかで生きています。


人は、なにか手に入れたいものや
目指すべき場所が見つかったとき、
それに近づくために、


変わろうと、成長しようと
するのではないでしょうか?



ダメな自分を、
「新しくてきれいな自分」
塗りかえようと。


だけどそれは、
少し悲しいように感じます。


ダメな自分がいたからこそ、
変わりたい、成長したいと思う
きっかけが生まれたのです。


ダメな自分がいたからこそ、
何かを掴もう、掴みたいという
意思が生まれたのです。


僕はそんなダメダメな自分も大切に、
大事に、生きていきたい。


目標を、したいことを
見つけることができず、


ただただ、もがく事しかできなかった、
不器用で、弱くて、迷っていた
あの頃のぼく自身を。







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