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しあわせのためのデザイン。


光はそれ自身が美しいものですか?

それとも、他を美しくするものですか?


先日、枯葉のメンバーである1人から
このような問いかけがありました。


すごく難しく、おもしろく、
ひとりでニヤニヤしてしまいました、、笑


そして、

その問いに対してメンバーそれぞれの
考えを提示し合うことのできる
場があることにありがたさを感じます、、。


また、

instagramのメッセージにて、
僕の「機能に関する文章」に対して
大学時代の友人から頂いた一言ですが、


機能って難しいよね、、、。
デザインって、国語のテストみたいに
答えがいっぱいあるのかもね、、、。


すごく刺激的な一言でした。


彼女は僕と同じ研究室に
所属していたのですが、


そういえば大学時代にも、
似たような会話をしたことがあったなーと。


なんだか懐かしくも、嬉しくもある、
メッセージを頂きました。


そこで今回は、

枯葉メンバーからの問いかけ、
大学時代の友人からのメッセージをもとに
デザインについて考えたことを
共有させていただきたいと思います。


それではさっそく、、、。


現在日本において、
インテリアデザインに関して
学ぶルートは様々です。


僕のように大学の工学部にある、
インテリアデザイン学科にて、
デザインを学ぶ事もあれば、
芸術、美術系の大学で学ぶ方もいます。


そして、専門学校にて実技的な専門知識を
学ぶ事もあれば、その専門学校ならではの
デザインに対する考え方を学ぶ事もあります。


そこで、それぞれの場所で学ぶデザインとは
どのような違いがあって、
どのような目的があるのかという事を
考えてみたいと思います。


僕がデザインを学んだ学科は、
建築学科から派生した、
住居・インテリアデザイン学科という場所で、


比較的、建築的な考えを土台においた
工学部らしいデザインを学びました。


工学部らしいとは、
どういう事なのかというと、

カタチに対して明確な意味を持つ
デザインです。


これまでに「機能」という事に関する文章を
書かせていただいているのですが、

そこにもあるように、
「機能」というものを重視したデザインを
学んできたわけです。


そのような背景もあってか、
僕自身、デザインに対して
明確な答えを、カタチの意味を
求めてしまう癖がついてしまって
いるのかもしれません。


もちろんその答えは1つではないにしても、
自分が提示する1つの答えには、
はっきりとした意味がなくてはいけない、
そのように考えていました、、、。


ですが最近、その考え方こそが
もしかしたら間違っているのかもしれない
と感じることがよくあります。


それは今回いただいた言葉も
大きなきっかけではありますし、

僕の中にあるモヤモヤが少し
明確なものになった瞬間でもあります。


デザインは、何かをカタチにする
といった点では工学部的な知識が
必須であると同時に、

まさに国語のテストのように、
1つの問題に対していくつもある答え、
あるいは、答えのない事に対して、
自分の中で答えを創り出すというような、

文系的な要素も
重要になってくるのではないかと、
そのように考えています。


与えられる課題には答えはいくつもあって、
課題そのものの捉え方もそれぞれあって、

となってくると、
デザインには本当に明確な答えなんて
ないんだなーと改めて実感します、、、。


このことを考え出したら、
永遠とぐるぐる回っちゃうんです、、、。笑

ですが今回のことがきっかけで、
確信したことがひとつだけあります!!


それは、デザインは人やモノの
幸せのためにあるということ。


どんなに答えがいくつもあっても、
その根本、背景には
何かにとっての幸せがなければ、

デザインの存在価値なんてないんだ!


幸せってのは決して明確なものではないし、
金銭的な利益だけが幸せなわけではない。

ってことは、

商業の可能性は、
金銭的な利益を求めることのみが
答えじゃないんだ!!


ということで、
後半はなんだか、
自分自身に言い聞かせるような、
そんな文章になってしまいましたが、、、笑


まだまだこれからも考え続けます、、、。


本日も最後までお付き合い、
ありがとうございました〜!



#日記 #デザイン #インテリア #インテリアデザイン #商業 #建築 #とは


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