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植物にとっての幸せ。


最近、家にいる植物を眺めながら
よく考えることがあります。


(植物って呼んじゃうと、
なんだか他人行儀な気もしますが、、、。)


こいつらにとっての幸せって
なんなんだろう。


植物にとっての幸せ。


ぼくが植物を育てようと思ったきっかけは、
一人暮らしをはじめるにあたって、


なんかひとりってのも寂しいしな〜


っていうすごく安直なきっかけでした。



花屋のおじさんに言われるがまま、
水をあげて、夜風に当ててあげて、
日向ぼっこをさせて。


すると、いつの間にか愛着が生まれます。



今日は雨が降ってるから1日外に出してあげよう!

とか、

たまには外の植物たちと話がしたいだろうから
塀の上に乗っけてあげよう!

とか、

外の植物たちと喧嘩してないかな?

とか。


なんですかこれは。

これが母性ですか?

みたいな、、、。



そうなってくると考えちゃうんですよね、、、。



この子達にとっての本当の幸せは、
こんな窮屈な部屋の中にいることよりも
山や森に還ってたくさんいる仲間と、

風に揺られながら過ごすことなんだろうなって。


どんなにぼくがこの子達のことを思っても、
結局は自然の力には敵わないんです、、、。


この子達にしてることは、
ぼくにとっては好意があっての
ことなのかもしれないけど、



それはきっとエゴでしかなくて、、、。


モノの気持ちを考えたい、
なんてどんなに叫んでも、
それは結局、自分のためなんです。


でもこれってきっと、
人と人の間でも同じようなことが
言えるんじゃないかって思うんです。


どんなに誰かのことを思って
何かをしたい、してあげたいと思っても、


それを押し付けた瞬間に、


ベクトルが自分を指してしまう。


「誰かのために」「人のために」「モノのために」って、
聞こえがいいようで、
さじ加減を間違えてしまうと、


対象の心を殺してしまうことだってある。



だからぼくは正直、
「誰かのために」という
考え方が苦手です。


人の気持ちなんて分からなくて
当然だとも思っています。


分からないからこそ、
理解しようとする姿勢は大切であったとしても、


完全に理解することなんて不可能なんだっていう
認識が根本にあるかないかで、
きっと人との関わり方も変わってくる。


だからこそぼくはこの子達に言いたい。


今、あなたたちと過ごす時間は
ぼくにとって必要で、
かけがえのないものです。


だから森へは返したくありません。


大変ご迷惑なお話ではあるかとは思いますが、
もう少しぼくと一緒に過ごしてください。



そしてこの思いはデザインをする上でも
ずっと大切にしていたい。

何かを押し付けるようなデザインではなく、

何かにとっての幸せを願うデザインを。

自分にとっての幸せのためのデザインを。





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