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happy endではない文章。


これはnoteという、
「誰かに見せる文章」を書き続ける中で
感じたことであるのですが。


ぼくの文章はhappy endなことが
圧倒的に多いんです、、、。

これはnoteという場が、
「誰かに見せる」という場であるため、
無意識の中でも意識的に行っていることだとは
思うのですが、、、。

happy endな文章って、読み手としても
もやもやすることなく、

一つの文章を完結的に読むことが
できるのではないかと思っています。


でも、そんな文章って、
そんな生き方って、


なんか物足りない!!!


happy endであるからこそ、
かける文章や生き方もあるとは思うのですが、

先の見えない文章や生き方ができる人に
魅力を感じることが多々あります。


文章を書くことに限らず、

人との接し方や物事の捉え方でも
同じようなことが言えると思うんですが、


ぼく自身、誰かとの出会いや気づきを
自分にとってプラスになるように、
happy endになるように整えようする。


それは良いことだ、ポジティブだと
捉えてくれる人もいるんですけど、


なんせぼく自身、根本にはなんとも言えない
どんよりとしたネガティブな部分を持っていることは
誰よりもぼくが一番よくわかっているんです。


そんなネガティブな部分が大嫌いで、
強制的に何でもかんでも前向きに、
ポジティブに捉えようとしていた
時期があります。


学生時代、駐禁で罰金を取られたときでさえも、
その事実がどこかしらでプラスになると
思い込んでポジティブな言動を取るんです。


それはそれは、、、


些細なことではありますが、
今思えば当時のぼくは病的だったのかもしれません。笑


そしてそのさじ加減を間違えると、
反省をしなくなるんですね、、、。


何でもかんでもプラスに捉えた気になって、
落ち込むことが激減してしまうんです。


そこはぼく自身、


適度な反省!!反省はスパイス!!!


として気をつけている部分ではあるのですが、


どうしてもネガティブな部分を
無理やりにでも前向きにとらえることこそ善!
と考えてしまう、考えようとする自分もいる。


そんな時に、


なんなんだこの人は、、、。
よくわかんないけどすごくネガティブを
抱えている、、、。


と感じてしまうような人との出会いがありました。


正直、なんとも言えない、

嫌悪感ではないんですけど、

「どう接したらいいのかわからない」

そんな感情を抱きました。


きっとその人にとって、
今の僕のような考え方って

鬱陶しくて、暑苦しくて、

もうとにかく黙っといてくれ、、、。


って感じることもあるはずで、、、。


そんな時に、ぼくの中にある
ネガティブ魂がすごく嬉しそうに
はしゃぎだしたのを感じました。


なんなんでしょう、この感覚は、、、。


でも、きっとぼくが目指す、

よくわからないものを救い上げたいという
デザインを目指すためには、

この感覚がすごく大切なものだと
感じました。


(これも無理矢理ポジティブの一例です、、、。)


ネガティブな感情が嫌だと感じながらも、
そんなどうしようもない感情と
改めて向き合うことが、、、。


「ネガティブ」をプラスに考えるための要素
として捉えるのではなく、
「ネガティブ」を「ネガティブ」のまま
捉えられることのできる強さ。



そんなことと向き合っていきたい。





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