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「便利なこと」のその先。

前回の記事では、「機能」という存在を
認知してみるというような文章を
共有させていただきました。

そこで今回は、


その「機能」というものと
どのようにして向き合っていくべきなのか?


ということについて考えていることを
共有させていただきたいと思います。


それではさっそく、、、


「機能的である」ことが重要視されている
日本の社会がありますが、
その目的はどこにあるのかというと、


「みんなが平等に、しあわせに。」

僕はここが根本にあると考えています。


というよりはそうであってほしい、、、。


アメリカの認知工学者である、
ドナルド・ノーマンという方が書かれた、
一冊の本があります。

『誰のためのデザイン?』


この本にある一節の文章を拝借して、、、。


モノがどのように機能するかの情報は、
目に見える構造から得ることができる必要がある。(アフォーダンスとシグニファイア)


このひとつの文章には、
現代の社会におけるデザインの役割が
如実に示されているように感じます。


そのモノのカタチが機能を示す。

例えば、ドアの取っ手を見ただけで
ドアの開き方が伝わるような。


そう考えた時に、
現状はどのようなことが
起きているのかというと、

機能が先を行き過ぎて、その機能に
デザインというものがついていけていない、
そのようにも感じています。


この実態が特に現れているのが、
皆さまにとっても馴染みのあるであろう、


スマートフォンやパソコンと言った
電子機器、AIなどの人工知能が挙げられます。

ここ数年の間にも彼らは
進化をし続けています。

実際に僕たちが使いこなしている
彼らの機能は、
ほんの一部にしか過ぎません。


彼らに秘められている機能というものは、
実際に僕たちが使いこなしている、
もしくは、認知している以上の機能価値が存在しています。


その可能性はきっと僕たちが想像できないような、


宇宙の先にある未知の世界


に近いところまできているのではないかと、、、。


僕はそのような現状をすごく怖くも感じます。


今までは人間が機能を
支配しているようにも見えた関係が、

これから先の未来では、
機能に支配される人間、


そのような関係が出来上がりつつあるのではないかと、、、。


もしも、いま突然、スマホやパソコンなどの
電子機器を全て奪い取られた時、


僕たちはどのような生活を送るのか。

僕たちの人間関係はどのように変化するのか。

僕たちの「こころ」はどう変化していくのか。


「機能的であること」や「便利さの追求」は、
その加減を間違えてしまうと、

人間が生きていく上で必要な何か」を
欠落させてしまうのではないかと考えます。


それがすごく怖い。


これは学校の先生から伺った
お話ではあるのですが、

上にあげたような電子機器やAIなどの
人工知能開発の最先端を走るAppleやGoogle、


そこで働く方々は自分の子供に対して、
スマホなどの機器を一切与えないといいます。


それは、それだけスマホやパソコンが
人間にとって非常に便利でありながらも、
とても恐ろしいモノだとわかっているから。


僕はこの話を聞いた時、
すごくショックでした。


本来、人々のしあわせの為に生まれた機能が、
過剰な追求によって恐るべき存在になっている。


そしてその現状を僕自身を含め、
人々は危機感を感じてすらいない。

便利さを知ってしまった上でこのような問題と
向き合うことはすごく難しく、苦しいことであり、
危機感を感じながらも諦めている人もいる。


だけど僕はこの問題と向き合うことは、
デザインにおいて、大切なことだと感じています。


そして、現代の社会における商業行為には、
このような問題を発信、提起できる
可能性が秘められている。


そうでなければいけない、、、

そのように考えています、、、。



ということで、今回は、

機能との向き合い方について、
今僕が考えていることを
共有させていただきました。

なんだか掴みどころのない、
曖昧な表現が多くなってしまいましたが、、、。


最後までお付き合い頂き、
ありがとうございました!!


#日記 #デザイン #インテリア #インテリアデザイン #商業 #建築 #とは

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