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読んでもらえる文章を書くための第一歩は、読んでもらうための努力を怠らないこと。

note読んで欲しいなら素直にそう言え!

noteの下書きをぼーっと眺めていると、数日前こんなことを冒頭に書いた下書きを見つけました。

この本文の書き出し部分はnoteの仕様上タイトルの下に表示されるので、記事の中でどんなことが書かれているのか、開いて読んでみたい!と思ってもらえるようなものである必要があるんです。でもどうしてもこうやって、関係ないことを書きたくなってしまう。どうしても書きたくなるどうでもいいことにこそ、その人っぽい部分が見え隠れするもんだと、そう自分に言い訳しながら今日も書いています。

数日後の今この下書きを読んで、ほんと、よくない部分が出ちゃってるなぁと。読まれる文章を書けないことの言い訳に、読んでもらわなくてもいいを言わないことが、読んでもらえる文章を書けるようになる第一歩だなと反省しています。ちょっと表現がネガティブすぎる感じもするので要するに、note書くなら読んで欲しいって正直に言えよ!ということです。そういう勇気を持つことから始めないといけないですね。

「他人の長文は読まないのに、自分の長文は読んでもらえると思っている」という勘違い

少し前にどこかで「人は他人の長文は読まないのに、自分の長文は読んでもらえると思っている」という一文を読んで、ぎゃぁーと、腹を見せてひっくり返ってしまいました。noteだと特に文章を書く、読むといった性質の強いプラットフォームなので、ダラダラと文章を書くことが許されるような安心感を感じてしまいます。(書くことに挑戦する人にとってこれほど心強いことはないです。noteさんありがとうございます。)でもそれは書いている側だけの話であって、読む側はそんなことないですよね。文章の途中であっても「何が言いたいんだ、、」と思ってしまったり、なんとなく「いいや、、」と思ってしまうとそれ以降どんないいことが書かれていても読み進めない。そういう厳しい世界にいるんだと、書く側にいるときはきちんと自覚しておくことは大切だなと思います。

ただ個人的には、平易で分かりやすい文章が唯一読まれる文章というわけではないと信じたいんですけどね。笑 ここまで書いてそれでも尚、です。特にインターネット上だと、紙媒体に印字されたものと比べてさらに平易で、簡潔に、伝えたいことをはっきりと!みたいな部分が無意識に求められているように思います。自分がそういった場で文章を書いているという自覚はしっかり持ちつつ、読む側にストレスを与えない文章を書きながら、でもほんのちょっとだけ、文章の端々に現れる訳のわからん例え話だったり、そういった灰汁みたいなものを混ぜつつ、それが魅力に繋がる文章を書けるようになりたいですね。

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