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自分の弱さを自覚している人こそ、しなやかで強い人間だということ。

その表現には「人(にん)」が乗っているか?

文章や写真、絵や音楽など、表現することにおいて、表現したものにその人の「人(にん)」が乗っているか、が大切だと昔、オードリーの若林さんがラジオで言っていた。

曰く漫才などもそうらしく、若手の頃はやりたい笑いの方向性というのがあって、でもなかなかうまくはいかない。その原因は「センスがいいと思われたい。」「女の子にモテたい。」「破天荒キャラでいきたい。」といったどう見られたいかばかりが先行してしまい、その人らしさみたいなものが表現できていないことも原因のひとつらしい。自分の形を見つけるのにはそれなりの時間がかかるのだ。

ナイツの2人が体を張ってステージを駆け回るような漫才をしている姿はきっと見ていられないし、サンシャイン池崎がハイセンスでシュールなひとり漫才をやってもきっと、内容が入ってこない。人柄や見た目、雰囲気やオーラにその人の人(にん)が乗って表現されていることが、多くの人を強く惹きつけるひとつの要因なのだろう。

どう見られたいか、を諦められるか。

自分がどう見られたいかを諦めて、自分の弱さを許容、理解して表現することほどむずかしいものはないと思う。そして時間のかかるものだとも思う。若いうちは特に見栄を張りたいものだと思うし、弱い部分なんて本来隠したくて当たり前だ。

でも、欠点のみえない気張っている人よりも、自分の弱さを自覚してさらけ出している人の方が遥かにしなやかで強く、僕にはかっこよく見える。そういったことも含めて表現できる人に、自然と惹かれている。自分にできないと感じているからこそなのかもしれない。

このnoteでも、きれいな言葉を並べたり、自分の成功体験を語る簡単だしその方が心は楽かもしれなし、ダメージは少ないのかもしれない。でも自分がカッコいいと思う大人は、憧れる大人たちが表現しているものはそうじゃない。

今の自分はまだまだ未熟で、周りに弱い部分をさらけ出す勇気がない。(バレてますけど...とかそういうのは抜き!揚げ足禁止!)心のどこかでカッコ悪い、呆れられるんじゃないかという気持ちが邪魔をする。だからこのnoteで文章を書くのが一歩目だと思っている。できるだけ自分の弱い部分と向き合う時間を増やして、過去のたくさんのダサい経験と向き合って、そこから得た学びをもう一度振り返る。もっと柔軟でしなやかなカッコいい大人、目指すぞ。

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