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コミティア147新刊は初担当との再会物語

明日のコミティア147に参加します。

新刊は旧twitterで公開してた「25年ぶりに初担当と再会した話」のまとめ本。

2022年6月に初担当「野田さん」を尋ねた所から描き始め、先日1年8カ月かけて完成しました。

(「野田さん」とは私が持ち込み時代に初めて担当についてくれた編集さんで、しばらく投稿してたがそこではデビューには至らず。25年後にある仕事をきっかけに再会した人です)

リアルタイムに描いてたエッセイ漫画

しかし野田さんと再会した時は当初の想像と雰囲気が違って。この再会がどんな結論にたどり着くのかわからないまま、リアルタイムに描いてました。

その後、野田さんの現在の状況が判明し、それを描いて良いか、どのように描くべきか何か月も悩み…ようやく完成させました。

その間にも世間では「出版社」「編集」に対して色んな意見が出回り。昔のように漫画家が出版社を頼る時代ではなくなってた。

しかしどんな状況になっても私には「編集」という客観的立場の人は必要だと思ってます。

売れるものを作れるのか優秀な編集か?

会社員であり、商売である以上「売れる」ことは大事だ。そこに異論はない。
しかし「売れるものをとにかく描け!」という編集ばかりでは、決して私のような作家は25年も生き延びることはできなかっただろう。

私がかつてよく言われた言葉ある。

「こきあいさんはウチの雑誌の良心だから」

雑誌の良心

当時私はその雑誌でくすぶっており、何とか状況を脱したいと思っていた。

しかし売れ線を描けないことは自分自身一番よくわかっており、そんな私を編集部は隅っこで好きに描かせてくれた。

「こきあいさんはきちんと良い物を描いてくれると編集部が信頼してる、だから流行りに振り回されず、自分が納得いくものをきちんと描いてほしい、そしてそういうものをきちんと載せてる、ということが自分たちにとってもプライドなんです。」


これを「飼い殺し」と呼ぶ人もいると思う。
多くの人はそう思うだろう。
私もしばらくは思っていた。

しかし「飼い殺しとするか「充電期間」とするかは、その後の私の次第なんだ、と気づいた。

編集が何を言おうと、主体はあくまで作家にある

結果私は好きに描かせてもらえた期間があったことで、有名になれなくてもここまで作家として生き延びることができた。

自分の性格を考えると大ヒットが出たらプレッシャ―で潰れていただろう。

だから今の自分が正真正銘の「自分の器」なのだ。
ひょっとしたらもっと上手くいったかも、とかそんなのない。
これが私の望んだ「漫画家像」なのだ。

それは「長年に亘って自分の納得いくものを丁寧に描いて、生き延びるための報酬はきちんと受け取り、わずかでも必要としてくれる読者を裏切らない事」


私の周りの編集達は、早くに私という作家の特性をよく理解してくれてた。
勘違いした編集はため息ついて去って行った。

そして一番最初に私のネームに一発OKを出して「この作家に好きに描かせてみよう」と言ってくれたのは、野田さんだった。

この時の快感は今も忘れられない。

このワンエピだけで、私にとって野田さんは充分必要な編集だったのだ。

そんな野田さんと再会できたことは「自分の漫画家人生の歩みは間違ってなかった」と感謝しかない。

この再会物語の結末、お読みいただけると嬉しいです。



最後に少しだけ。

明日の出張編集部に商業でお世話になってる担当編集が初めてやってくるらしい。
物凄い緊張してた。

「どんな風に対応すればよいか?」
「どんな作家さん達がいらっしゃるのか?」

コミティア先輩の私はのたまった。

「コミティアに来る作家さんは皆アツいから、どんな作品も真正面から受け止めてくださいっ!」


明日スペースに来てくださる皆さんも、私が全力で受け止めたいと思います。

コミティア147でお待ちしております。


自主制作漫画誌展示即売会コミティア147
2024年2月25日東京ビッグサイト1・2・3ホール
11:00〜16:00

サークル名「藍色劇場」
スペース「K38a」
創作少女漫画「ひきこもり修道女日記」や
「お姫様エッセイ本」など頒布してます

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