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北の「聖地」二ペソツ山

「山と渓谷」2008年6月号の表紙を覚えている方はいるだろうか。

それとの出会いは必然であった。

その日、それは書店にて、鮮烈な印象とともに私に飛び込んできた。

若干クリームがかった白に、緑色の山塊の写真、そして同じ緑色でおなじみの「山と渓谷」の文字。

シンプルな構成の中、ひときわ目立つ白抜き文字。

「北」の山岳聖地巡礼

ロクに中身も確認せずレジに持って行った。

それぐらい強烈なインパクトの表紙だったのだ。

表紙の山は槍ヶ岳のように鋭く、なおかつ大らかで美しかった。

一瞬でその山に惚れた。

まさに一目ぼれだ。


一目散に家に帰り、汗ばむ手でどこの山かと夢中でページをめくる。

54ページ。

そこには、『知る人ぞ知る、秀峰/もうひとつの、大雪』とあった。

私が一目ぼれした山は、東大雪の二ペソツ山であった。


帯広から車で約1時間ちょっと、糠平湖の北西、十勝三股の樹海の奥深くにそびえるこの鋭鋒は、2,013mと北海道の山の中でも比較的標高の高い山である。

ちなみに、耳慣れぬ二ペソツの由来は、アイヌ語の「二ぺシ・オッ」でシナノキの皮が多いという意味らしい。

地元が帯広の私は、夏休みを利用してこの山に登ることに決めた。

そうと決めてからの毎日は、本当に恋をしてしまったかのごとく、暇さえあればヤマケイ6月号の表紙を眺めてうっとりしていた。

できることならば今すぐにでも登りに行きたい衝動に何度も駆られたが、当時は今の職場の非常勤講師で薄い給金の身分、札幌からのガソリン代も考えぐっと堪えた。


そして、迎えた夏休み。


8月6日の朝7時、快晴であることを確信し、急いで身支度を整え、実家を飛び出した。

国道273号線をひた走り、十勝三股から音更川沿いの林道に入り9時に登山口到着。

ヤマケイ6月号を手に取ってから三カ月、ようやく念願の山を拝むことができる喜びでいっぱいだった。

朝から蝉たちが元気に鳴いている。

取り付いて30分、トドマツに括り付けられた上士幌営林署の「二ペソツへ 6.0km」という標識を横目に、夏の樹林帯の中で私の心は躍動していた。

しばらくすると、針葉樹林に包まれた景色はダケカンバの海へと一気に視界が開ける。

小天狗岳までの急登と蒸し暑さに予想以上に体力を消耗しながら、天狗のコルへ下る。

疲れた体を癒してくれるのは、岩場のあちこちに根を張る可憐な高山の花々。

特にチングルマはなんとも愛らしくて、ついつい足を止めてシャッターを切る。

天狗のコルからはハイマツと岩場の尾根へ。

ここまで2時間、夢中で登った。

もうすぐあの表紙と同じ景色を望むことができるんだ。

はやる気持ちを抑えきれず、疲労も忘れ屋根道を駆け上がった。

やがて天狗平に抜けると・・・


それは在った。


まさしく、私がヤマケイで見た表紙の構図と同じ景色でそこに在った。

青天を衝く鋭い頂。

その頂へと続く厳しい稜線が、まるで人を拒むかのごとく、荘厳な姿でそびえ立っていた。

しかも圧倒的な熱量を帯びて。

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まさしく、「聖地」と呼ぶに相応しい山。

左手にはウペペサンケ山のどっしりとした山容、右奥のもっと遠くには十勝連峰や大雪山も見える。

あまりにもスケールの大きな景色に、しばらくその場に立ち尽くした。

いやー、こりゃすげーわ・・・。

ありきたりの言葉しか出てこない。

はぁー。

へぇー。

あまりにも完璧すぎる構図で、変なため息を連呼する。

よほどここで引き返そうかと思うぐらい満足してしまったが、ピッ、ピッという鳴き声で我に返った。

姿は見えないが、あちこちで共鳴する独特の鳴き声。

ナキウサギである。

ピッ、おいおい、ここまで来てまさか帰らないよなアイツ
ピッ、満足しちゃってるんじゃね
ピッ、おーいもったいないから登っとけ
ピッ、そうだそうだ天気も良いし
ピッ、頂上からの眺めもいいぞ

こんな会話でもしているのだろうか。

言われなくても登るよ。

せっかくここまで来たんだし。

気を取り直し、二ペソツからもらったスピリチュアルパワーで、天狗岳から最後の核心部を一気に登りきる。

途中、勢い余ってハイマツの枝に足を引っ掛け流血するも、気にせず登った。

登山口からちょうど3時間半で、念願だった二ペソツ山の頂上に立った。

吹き抜ける風は心地よく、空はどこまでも澄んでいて、尖ったテッペンは私を静かに受け入れてくれた。


北の山岳聖地巡礼かぁ・・・。


白抜きの文字を思い出しながら、私をここまで導いてくれたヤマケイ6月号に、改めて感謝した。

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