DSC00815のコピー

2011.1.4 後編

北面への取り付きを登っているうちに、東の空が地平から白み始め、私たちを囲む遠くの山並みが青黒い輪郭を浮かび上がらせてきた。

ポカルデの北面は、岩稜が薄っすら雪化粧をした状態だ。

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雪の状態を確認し、クランポンは必要ないとの判断で、キックステップで一歩ずつ安全を確保しながら慎重に登っていく。

・・・ザッ、ザッ

ふぅ、ふぅ・・・

・・・ザッ、ザッ

ふぅ、ふぅ・・・

雪に蹴り込む足音と、研ぎ澄まされた呼吸音、ただこの2つの音だけが、歩みを確実に高みへと進めていく。

集中していた。

気が付くと空は薄紫へと変わり、朝が訪れた。

いつしか自分が登っている斜面は、かなり急なこう配になっており、2足歩行が限界の斜度に近づいていた。

ふと振り向くとそこは数百メートル切れ落ちていた。

足を滑らせたら、確実にサヨナラだ。

先行するラクパさんとニマさんとは、ザイルを結んでいない。

それでも、恐くなかった。

なんの感情に縛られることもなく。

・・・ザッ、ザッ

ふぅ、ふっふぅ、ふぅ・・・

・・・ザッ、ザッ

ふぅ、ふぅ・・・ふぅぅぅ

薄暗い北斜面を登り切ったところで、膨大な太陽光に反射したポカルデのナイフリッジが視界に飛び込んできた。

ここからは、3人ザイルを結び合い登っていく。

グローブを脱ぎ、ハーネスを装着し、各々の体をザイルで固定。

ザイルで結ばれると、安心感と責任感、そして緊張感が増した。

この先は、3つの命がひとつに連なる。

お互いの命を預けるのだ。

それは、たとえ百戦錬磨のラクパさんであっても、ど素人の私であっても、誰かのわずかなミスで3人一緒に奈落の底へ落とされる可能性があるということだ。

まぁ、素人の私だけが落ちるだけならまだしも・・・。

先頭のラクパさんは、「シュッ、シュッ」という独特の呼吸でリズミカルに岩に吸い付くようにクライミングしていく。

さながら蜘蛛みたいに。

続くニマさんは、ラクパさんとは対照的に力で強引に登る。

そして私は、2人のトレースを追うことなく、自分の直感を信じ、ムーブを考える。

単純に2人の真似はできないってこともあるんだけど、これで良かった。


火照った指先を冷えた岩肌に伸せる。

左手の置き場から、右足の置き場まで、点と点を線で結ぶように、迷いを捨て全身を岩に預ける。

ひとつ、ひとつ、体を持ち上げるたびに、点が動く。

いつしか、岩壁は無限の闇となり、点は瞬きとなり、私は星と星を結ぶ星座になっていた。

真っ暗な世界に、またひとつ、そしてまたひとつ、光を置いてゆく・・・。

身体は岩と向き合い、心は宇宙と向き合っている。

極限の世界は、実にコスモロジカルな世界だった。


本物のクライマーと比較するのは大変おこがましいけれども、岩に取り付いている時は、みんなこんな感覚で登っているのかな、とも思ったりした。

そして、ふと我に返ると、今度はなんだか懐かしい気持ちでいっぱいになった。

急に、子どもの頃登った故郷の日高の山々を思い出した。


岩を掴む手が、幼く小さな手に戻ってゆく。

青い野球帽を被り、背中に小さなリュックサックを背負い、がむしゃらに大きな岩に掴まる小学生の自分。

楽しい。

ワクワクが止まらない。

ちっとも恐くないや。

顔を上げると、父さんが優しく見守ってくれている。

あぁ、なんだか心が温かいなぁ・・・。



そして、再び我に返ったとき、小さな手は、カッサカサな大人の手へと戻っていた。

と、同時になんだか無性に切なくなった。

子どもの時は、あんな純粋な気持ちで山に向き合っていたんだな。

すっかり忘れてた。

過去には戻れない。

過去は、徐々に大切な記憶の詳細を消してゆく。

そして、過去は気付かないうちに、私たちの純粋な感性をも奪ってゆく。

だけど、大切なのは今だ。

私はヒマラヤにいる。

失われた感性は戻らないけど、ここできっと新たな感性を見出すことができるはずだ。



気付けば、いよいよ最後のちょっとしたオーバーハング(岩の出っ張り)に差し掛かっていた。

迂回するルートもあるが、どうしてもここを登り切りたかった。

案の定、90度以上となると、重力をモロに受け僕の四肢は悲鳴をあげた。

最後は半分ラクパさんとニマさんにアシストされ(引っ張られ)るような感じになってしまい、なんとも情けない間抜けな格好で這い上がった。

ハングを越えると・・・


それ以上はもう何もなかった。


狭い空間に積み上げられたケルン、はためく五色の御旗。

その奥に広がる果てしない碧空。

ニマさんと、ラクパさんが笑っている。

恐る、恐る、立ち上がる。


瞬間。

僕はヒマラヤの風になった。

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耳を澄ますと、遥か神々の座から溢れ出す轟音が響き渡る。

白き谷を望みながら、砂塵とともに吹き抜ける。

数十万年の時を経て形成された荒涼な隆起と氷河群。

空が近い。

さえぎるものは何もない。

身体が、心が、無になる。



・・・・・・着いた。

やればできるっしょ。

ははは。

ねぇ、やればできるっしょ!

はぁはぁ・・・・・。

・・・最高

・・・・・最高です!

ラクパさん、ありがとう。

・・・本当にありがとう。


かくして、私とニマさん、そしてラクパさんの3人は真冬のポカルデのサミットに立った。

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日本時間で11時48分。

現地時間で8時33分、ハイキャンプから3時間半でたどり着いた5,802mの頂。

幸せだった、とても。

ラクパさん、ニマさん、そしてハイキャンプのミンマへの感謝の気持ちが溢れた。

この頂はまさしく、4人がひとつに結束して得られた結果だった。


・・・・結束?

そうか!

ユニティだ。


元日に見た夢の意味がやっと分かった。

ヒマラヤの頂に登るためには、強い精神力、健康な肉体、そしてこの結束が必要だったのだ。

橙色の袈裟を着た、修行僧の言葉。

STRONG MIND
GOOD HEALTH
UNITY

頭の中で何度も何度も、反芻した。

もしかしたら、ヒマラヤの神様がこんな素人にアドバイスをくれたのかもしれない。

山は独りでは登れない、仲間との結束が必要なのだ、と。

このポカルデの頂は、私だけの力で登った頂ではない。

いや、ポカルデだけでなく、どのすべての山においても、人は独りでは登れないのだ。

たとえそれが単独行であったとしても、麓には帰りを待ってくれる人がいたり、心配してくれる人が必ずいるのだ。

そのことを忘れてはいけない。

自分は独りで登っていると思いあがり、人との繋がりを忘れたとき、山は容赦なくその命を絶つ。

思えば、私はこれまで独りで山に入ることが多かったが、人の繋がりを特に意識してこなかった。

自分一人でなんでも成し遂げた気になっていた。

だけど、それは違うということをポカルデの頂上で痛感した。

人は、独りじゃない。

独りでは生きていけないんだ。

山も同様、独りで登っているんじゃない。

色んな人の想いを背負って登っているんだ。

それにしても宇宙が近い。

紺碧の先に広がる無限を感じる。



さぁ、そろそろ帰ろうか。

ミンマの待つ、ハイキャンプへ。

そして、みんなの待つ日本へ。

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