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「もしも生まれ変わってもまたワタシに生まれたい」と思えるように、「ただ、そこにいていい」場所をつくる。

小学生のころ、我が家では「テストで100点をとると100円をもらえる」という制度があった。

そのおかげもあってか、僕はけっこう100点をとった。自慢じゃないけど、勉強が得意になっていって、「こんな点数とれる俺って、天才なんだなー」と、マジで思っていたのだ。「もしも生まれ変わってもまたワタシに生まれたい。だって天才だもの」なんて真剣に思っていた。

しかし、そんなYellow Yellow Happyな日々は、僕のなかであやうい考えをしみこませることになった。それは、

「僕はテストの点数がいいから、価値があるんだ」

という考えだ。その考えはのちに

「僕はいい会社に入れるから、価値があるんだ」

という考えにかたちを変える。

そして実際には就活ができなかったから、この考えによって僕はかなり苦しめられることになった。

「いい会社に入れなかった僕は、価値がないんだ」

と、思ってしまったのだ。(その苦しみについては、過去のnoteに書いたので、ぜひそちらで)



ローカルアクティビストとして活動する小松理虔さんは、障害のある⼈たちが「いたいようにいる」場でありながら、地域に開かれた「⽂化発信拠点」として全国から注⽬を集める「たけし⽂化センター」(静岡県浜松市)の現場に触れるなかで見えてきたことをまとめた『ただ、そこにいる人たち: 小松理虔さん表現未満、の旅』のなかで、次のように書いている。


ぼくたちは、成果や目的、生産性というゴールラインではなく、いま一度、そもそもの「生存」が許される場所や、「ただ、そこにいていい」というスタートラインを取り戻さないといけないのではないか。
(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ , 小松理虔 著『ただ、そこにいる人たち: 小松理虔さん表現未満、の旅』現代書館,18頁)


そもそもの「生存」が許される場所や、「ただ、そこにいていい」というスタートライン。テストで0点をとったって、会社をクビになったって、付き合ってる人からフラれたって、「ただ、そこにいていい」場所。

そんな場所が、僕らには必要なんじゃないか。そんな場所があってこそ、ほんとうに「「もしも生まれ変わってもまたワタシに生まれたい」と、思い続けることができるんじゃないか。



そして、せまい意味での「家」が、「ただ、そこにいていい」場所になるとは限らない。たとえば日本では2019年度、約19万件の虐待通報・相談があり、近年は増加の一途をたどっているらしい。

「ただ、そこにいていい」場所は、あたりまえのように与えられる場所じゃない。

けれど、小松理虔さんも書いているように、僕ら一人ひとりが誰かにとっての「ただ、そこにいていい」場所になり得る可能性を持っている。誰かが自分にとっての「ただ、そこにいていい」場所になり得る可能性を持っている。

つまり、僕らは「ただ、そこにいていい」場所をつくっていくことができるのだ。


でも、そんなの「言うは易し」である。じゃあ、どうやったら「ただ、そこにいていい」場所をつくっていくことができるのか? 

これからその問いへのヒントを求めて、いろんな「ただ、そこにいていい」場所の事例を知っていきたいな〜、と思っている今日この頃です。

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