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新卒ニート、金なし・職なし・希望なし。そんな「履歴書の空白期」が、今ではたまらなく好きな理由

僕の履歴書には空白がある。

大学を卒業してから大学院に入るまで、ぽっかり1年あいているのだ。

人は、ただの紙切れにすぎない履歴書の、ほんの十数センチの空白に、自分の人生を押しつぶそうになることがある。

でも今、僕はその「履歴書の空白期」がたまらなく好きなのである。


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さいきんは人前で話す機会が増えた。イベントでファシリテーターをやったり、自分でオンライン配信の番組をやったり。

「話すの慣れてますよね」なんて言われることもあるけれど、僕は20歳をちょっとすぎたころまで、人と接することが極端に苦手だった。あがり症なんてレベルじゃなく、そこそこ病的なレベルで。

なので、就活をせずに大学を卒業。数ヶ月のニート期間を経て、大宮の居酒屋でバイトをしていた。履歴書の空白というのは、その時期のことだ。


「…要するにあれだね、社会人にならずプラプラしてたんだね」

と、履歴書から目を挙げて言う面接官の顔が目に浮かぶ。

「あ、はい。プラプラしてたんです…」

と申し訳なさそうに答えるはずだ。かつての僕ならば。


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大学3年のとき、僕は精神科で「社会不安障害」と診断された。

社会不安障害とは、人前で何かをする時に過度に不安や恐怖を感じ、次第にそのような場面を避けるようになる状態のことだ。

僕の場合、特に「仕事」の場面で人と接しようとすると、不安と恐怖が高まって動悸が激しくなり、汗がダラダラ出てしまう。セブンイレブンでバイトをしていて、レジに立つとテンパってミスしまくるものだから、バックヤードでフライヤー(チキンとかを揚げる設備)をひたすら掃除してたのをよく覚えてる。(フライヤーの掃除、けっこう好きだった。なにせ人と話さなくていいのだ!)

ただ、コンビニや塾講師などのバイトを始めても、ストレスになってしまって3ヵ月も続かず、次第に「仕事」を避けるようになっていた。同じ時期に大学のゼミで人間関係のトラブルがあったこともあって、いよいよ精神的にまいっちゃって、病院にいった結果、下されたのが「社会不安障害」の診断

(その症状は今も少し残っていて、人前で話すときには汗が滝のように出る。自律神経のバランスが狂ってしまったみたいで、なかなか治らないんだこれが。ちなみになぜ「仕事」で人と接することが苦手なのかは、自分なりに「これだ」という理由が見つかっているのだけれど、こみいった話になるのでまたの機会に。)

気がついたら就活の時期が終わり、僕は大学を卒業していた。もちろん、就職先はない。僕はニートになった。


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当時、NHKの『無縁社会』というドキュメンタリーが話題になっていた。

日本で単身世帯が増え、人と人との関係が希薄となりつつあるなかで、誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく「無縁死」が、年間3万2千件にものぼっていると、その番組は暗いトーンで伝えていた。

多くの人とっては、「たいへんな世の中だねぇ」と、煎餅をかじってお茶をすすりながらため息をつく、くらいのトピックだったのかも知れない。でも当日の僕にとっては違った。

”あぁ、将来自分は、無縁死をしてしまうんじゃないか”

そんな思いが、頭から離れなくなった。だって、人とまともに接することができず、ろくに働けないのだ。親も亡くなったあと、四畳半の部屋で一人、カップラーメンの残骸とともに誰にも見つけられず死んでいく自分が、ありありと想像できた。

このままじゃやばい、と思うのと同時に、「今ならまだ、状況を変えることができる」という気持ちも、少しあった。いや、「今、状況を変えなければ取り返しのつかないことになる」という、切羽詰まった気持ちだったな、たしか。


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藁にもすがる思いでネットや本の情報を調べていると、「暴露療法」という方法があると知った。不安や恐怖感を引き起こす場所や場面にあえて直面することで、不安や恐怖感に徐々に慣れていく、という方法だ。

これだ。これを自分でやろう。仕事で人と接することが怖いなら、あえてめちゃくちゃ、人と接する仕事をしてみよう。

そんなわけで、一番人と接す機会がありそうで、なおかつ一番やりたくない、「居酒屋のホールのバイト」をはじめた。社会不安障害を克服するために、人知れず行う「セルフ暴露療法」として、崖の上から飛び降りる気持ちで。

(ちなみに崖の上から飛び降りる、というのはちっとも大げさじゃない。本当に「生きるか死ぬか」という気持ちで、バイト求人サイトのエントリーボタンを押したのだ。)

たかが居酒屋の接客、と思う人もいるかも知れない。でも僕にとってはその「たかが」を想像しただけで、今まさに自分を飲み込もうとしている、底の見えない滝壺を覗き込んでいるような恐怖におそわれるのだ。

お客さんの前に立つと動悸や汗がひどくなり、手が震え、声がつかえる。グラスは割るし、オーダーは間違えるし、ドリンクの作り方は覚えられない…。本当に仕事ができないスタッフだった。「仕事できない居酒屋ホールスタッフグランプリ」があったら、2位以下を大きく引き離して受賞していたはずだ。仕事に行くのが憂うつで、勤務時間前に心を落ち着かせる薬を飲んでから、ホールに立つこともあった。

そんなふうに、本当にダメダメなバイトだったのだけど、ビールをこぼしても「おう、にいちゃん! 気にすんな!」なんて、いかついおじさんに声をかけられたりすることがあったりして、次第に「あ、意外と人って怖くないかも」と思うようになっていった。

そんな僕の「暴露療法」は、居酒屋のホールスタッフだけでなく四国でのヒッチハイク、ニュージーランドへの留学、ヨーロッパでのバックパッカーの旅、編集者としてのインタビューの日々…と続いていく。

徳島の祖谷という秘境でヒッチハイクしたら2秒で車が止まって、電波少年の猿岩石の旅を見てヒッチハイクのハードさを想像してた僕は「えええ!?」ってなったり、ニュージーランドで初めて自分の弱い部分もさらけ出せる仲間と出会えたり、ブダペストで出会った韓国人の女の子といい感じになりそうになったり、「PCに向かってるだけで、あんまり人と話さないですむ仕事なんじゃないか」と思って始めた編集者の仕事が、初対面で人の内面まで深く切り込むことが求められる、スーパー人と話す仕事で「マジかよ…」ってなったり。

そうした日々を重ねるなかで、一発逆転とはいかないけれど、少しずつ少しずつ、僕は仕事の場面で人と接することができるようになっていった。

そして今、僕は人前に立つ仕事もできるまでになったのだ。

※追記:自分で行った暴露療法について書きましたが、「よし、私もやろう!」というのはオススメしていません。リスクもあるからです。心が病んでしまっているな、というときは、やはり専門家に相談して、暴露療法に取り組むにせよ、専門的なアドバイスのもとやるのがいいと思います。


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これが僕の、「履歴書の空白期」だ。

そんな「履歴書の空白期」があることが、かつては自分を苦しめた。「大学の同期はみんな大企業の正社員でバリバリ働いていたのに、同じ時期にニートとフリーターをしてた自分は、価値のない、ダメな人間だ」って思っちゃうのだ。

でも、くりかえしになるけど、僕は今となっては、この「履歴書の空白期」が好きなのである。

だって、その時期の自分、めっちゃ戦ってたもの。「自分は価値のない、ダメな人間だ」っていう気持ちや、人と話すだけで汗ダラダラになってしまう社会不安障害の症状と、バチバチにやりあってた。

殴られては立ち上がり、殴られては立ち上がり…ボコボコにされながらも、彼はファイティングポーズをとり続けたのだ。勝ち負けは置いておいて、そんな姿で戦ってる人間をどうして嫌いになれるだろう。


********、


履歴書の空白があるからといってその人の価値が低いわけじゃない。僕が今、「生き方編集者」として、まだ一般的ではないけれど素敵だと思える生き方の選択肢を探求したり、発信しているのは、間違いなく「履歴書の空白期」があるからだ。

それに、「履歴書の空白期」があったからこそ、僕は、人に対してやさしくなれたし、人としての深みのようなものが出た気がする。

そしてこれがなにより大事なのだけど、いつかパートナーや自分の子どもに「昔こんなことがあってさぁ」と話す時のネタができたと思ってる。「履歴書の空白期」があった方が、なんていうか人間くさくて「かわいい」自分でいれる気がする。

そもそも、人に対して「価値(もうちょっと言えば他者への提供価値)」という尺度で優劣をつけること自体、ある種の暴力性をはらんでいる。

僕が生き方編集者としてやっているのは、「提供価値」ではなく「物語」というレンズで、その人の人生を共構成(ともにつくりあげる)する作業だ。「物語」として人生をとらえると、「履歴書の空白期」にこそ、その人ならではのストーリーの要素が眠っている。

だから僕は、「履歴書の空白期」が好きなのだ。


そして、このnoteを書きながら湧いてきたのは、みんなの「履歴書の空白期」のことを聞いてみたい、という気持ちだ。何をして、何を感じ、いまの人生にどう生かされているのか、あるいはいないのか。

日本経済新聞の名物コラムで 『私の履歴書』という、すばらしい企画があるけれど、もしかしたらいわゆる「履歴書」には書けない、「履歴書の空白期」のなかにこそ、その人の深くてやわらかい部分を知る手がかりがあるのかもしれない。


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