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2021/04/20

 足元にいる小さな虫と魚の眼。どちらも真っ黒で動いたり消えたりした。魚の口元からあぶくがいくつも浮かび上がって、一つ一つのあぶくの表情は硬直していたりにやけていたりした。魚の白目の部分は透明な膜に覆われていて、なんども瞬きする。背中の縞模様のヒレがわずかにピクピクと動いた。そういう動きとか、些細な衝動を怖がったわけじゃない。ただじっくりと眺めてみようとした。あるいは目を閉じて見ていた。背中から生えていたはずの羽は頑丈に固まって、石膏みたいになった。真っ白だったのか灰色だったのか。固まったまま、またぎこちなく動きだす。石像は一点だけを見つめているが視線はブレていた。目元から光が放たれて教会の地面を照らした。いくつも置かれた木の長椅子が光で点滅する。ステンドグラスの窓から漏れる光で、赤、青、黄色なんかが足元に信号のように行儀よく並んだ。それらを踏みつぶそうと試みていたのが足元の虫だった。虫は光を受診して、各々の信号にしたがって動き始めた。赤が10匹、青が27匹、黄色が3匹といった具合に。そこに法則性だとか、決まり事を見出す必要はないはずだし、単純に各々の好き嫌いであったり、反応によるものであったのかもしれない。赤に反応する者もいれば、黄色の反応する者もいる。黄色に反応はできるが、青を青として捉えておらず、ただの影として認識している者もいる。だが色彩には惹かれている。それがたとえ真っ白なキャンパスだろうと、真っ黒に塗り固められたいびつな痕跡であろうと、そこには色彩だとかダンスがあるから、一人一人が、一つ一つが、動いたり、揺れたりあくびをしたりしながら結局また所定の位置について咲こうとする。花はまた咲き始める。何度刈り取られてしまおうと、根っこさえもぎ取られなければまた咲き乱れる。なんども、なんども。何年も、何年も。そこに時間の経過をみようとするのか、それともやっぱりまた生えてきたと自慢げに横切るのか、それとも今度は根絶やしにしてやろうと新たな目論見を企てるのか。

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 「もう少し右側に寄せてほしい。そうすれば今よりも少しは姿勢を保てるような気がするからです。」カナルが言った。
 「では実際に寄せてみましょう。そうするとどうなるでしょうか?」オーゼが言った。
 「少し変わった気がします。一本の軸が通ったように思います。だけど歪んでいるのかもしれません。」カナルが言った。
 「そうしたら左側に上部だけを傾けてみてはいかがですか?どうなりますか?」オーゼが言った。
 「また変わった気がします。最初に右側に寄せたところはそのまま維持されているように思い、今左側に傾けたところは、右に行ったり左に行ったり、右往左往しています。ただある一定のところまでです。それ以降は立ち止まったり、振り返ったり、折り返したりしています。往復葉書みたいなものですか?」カナルが言った。
 「そうですね。相互のやりとりみたいなものであるのかもしれないですし、相互関係みたいな、なんというか、ちょっとしたいがみ合いであるのかもしれないし、それでいて調和的な音楽であるのかもしれません。不調和を不調和と決めつけても仕方ありませんし、それよりも怒ってみたり、悲しんでみたりした方が、よほど爽快さを感じることだってありますから、一概には言えませんよね。つまり気分良いですか?って聞いてるんですけど。」オーゼが言った。
 「いまはとてもよくなりました。話し始めた時よりは幾分か、いやはるかに爽快さが駆け抜けて行きますから、きっと変わってしまったのでしょうね。そうですね、もう変わってしまいました。だから、その一つだけお願いがあるんです。明日の朝起こしてもらえませんか?このまま眠り続けてしまうことのないように。」カナルが言った。
 オーゼは医術師だった。どこかで研修を受けた訳でもなく、学位がある訳でもない。ただこの場所では医術を扱うことができたし、実際に医術師だった。ただ多くの人はそのことを認めようとはしないし、オーゼのことを危険因子として扱った。だけど何人もの人がオーゼを訪ねて、この場所、小屋にやってきては、ああでもないこうでもないと言葉を吐いて、傾いて、ぎこちなく動き始めて、何だか満足して帰って行った。オーゼは言葉が壊れていることを知っていた。言葉が、言語が、あまりに惨めな使い方をされていることを知っていた。オーゼは言語医術師でもあった。言語の扱い方を研究した。知識を蓄えて、全て捨てた。だから言葉を捨てた人がオーゼのところにやってきた。言語が弾けて、言葉として用いれるようになった時、爽快になった。言語が意味をなさなくなった時、言葉は生き生きとして、新たに語り出した。

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 葉っぱがいくつも丸まって、包まれている子供たちや種子とか、あるいは記憶だったりとか。健康的な表情で笑ったかと思えば、扇風機の風を浴びてカピカピに乾いてしまった涙の跡が、なんだか白く、淡く、悶えてるみたいでした。

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 鳴り響く言葉がなんだか浮ついててなにしてんだか。

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