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般若心経「空」について考えよう

今回は、「般若心経」について、考えてみたいと思います

「空」とは何かを、考え、理解する、そして「悟る」ことが仏教と言っても過言ではありません

般若波羅蜜多心経は、真実本質を見抜く、悟りの境地に至る、段階において、大切な教えです

すべての苦しみから解放されて、安らかに生きる智慧を「般若心経」が伝えてくれています

それでは、般若の智慧を完成するにはどうすればいいのでしょうか?

詳細をみていきましょう。

参考著書、引用、解説は般若心経(岩波文庫)、中村元さんの訳や、インターネットの動画やブログを参考にしています

様々な解釈があるのでご了承ください。

お釈迦様の教え、般若心経の意味

般若心経」とは

『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう)

(梵: プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教に分類される、

般若経典群の思想の核心を簡潔に説いた仏典。

『般若心経』(はんにゃしんぎょう)は略称

般若とは、真実の「智慧」を意味する。({パーリ語で}パンニャー)

波羅蜜多とは、完成、究極に至る。の意味。

彼岸(悟りの境地)に至るための行為を意味する(パーラミター)

故に、般若波羅蜜多とは、「智慧の完成」の意味となる

心は、肝心要の芯。という意味

心経とは、精髄、大切な教えを意味する

つまり、「真実の智慧によって悟りに至るための重要な教え」という経題名と理解される


仏教の教えは、現実世界の病を取り除く、智慧の薬です

お釈迦様と言うお医者さんが、転倒した人々(煩悩のため誤った考えをする人達)のために、

人生の心の苦しみ、(生老病死)という病を取り除くために、

良薬(教え)を処方してくれます、

その教えは、とても合理的で明確に、病、「苦の原因」をとらえて、取り除きます

さらに、病を取り除いた人たちを優れた医者(仏)に育てあげてくれます

それが、お釈迦様の教え、巧みな方便、       仏の意志です

その教えの経典を、弟子たちが、命がけで伝えてきたのが、お経になっています

その1つが「般若心経」で、玄奘三蔵が音写も含めて伝えてくれたお経です

般若心経の概要

般若心経の真髄は、「空」です

「空」→つまり、「実体がない」というのが般若心経のエッセンスです。

本文では、これも「空」あれも「空」と説いていきます。

それでは何が実体がないと いっているのでしょうか?

僕らが眼で見て、五感、で感じている世界、対象というものは絶対的に実在するものではなくて、これらの認識によって存在すると言えます。

お釈迦様の語る、「空」とは 絶対的に実在すると思っているのは 

自身の認識がつくりだしたもの、幻想だよ、と言っています

幻想とは、、「心に思い描いた」世界、

まさに、我々の心、精神の描いた、イリュージョン、ファンタジー、仮想現実です

つまり、自己を含む世の全てが実体のない「空」である。これが、この世界の実相と言うことです

「私がいる!」と言うのは思い込みで、それは「空」ですよ と言っています。

これを 般若心経では すべては、実体がない、「空」だと言っているのです。

この仮想世界があまりにもリアルに見えるので、なかなか目が覚めませんが、、(^_^;)

仏教おいては、全ての(生老病死など)の原因は、

自己への執着に伴う煩悩(欲や怒り、うらみ、妬み)であるという、因果律で世界を認識します

その上で、苦から解放されるためには、

そのような因果の流れを逆にたどって原因を絶つこと、つまり煩悩、執着を絶つことです

更にいえば自己そのものへの執着を絶って、解脱して涅槃に至ることが必要であるとして

お釈迦様はまず、変わらない、本当の幸せとして、煩悩を滅した世界、涅槃に、至る道を教えられました

その具体的方法として、自己を含む、世の全てが、実体のない「空」であることを「悟る」ために

この世界を正しく見よ

私を含んだ物質要素というものは安定的でないし、

それを形成している基本要素(素粒子)の集合体でしかないと考えます。「諸法無我

そして、常に変化し続けている「諸行無常

無常+無我=空

それが「空」

あるのは最小単位の基本要素(量子)と法則性のみ。ということを主張します。

これは、量子物理学でも、言われています

諸行無常」「諸法無我」を自覚して、すべてのとらわれから解放された絶対自由の安らぎの境地「涅槃寂静」に至る

一切は「」の真理を正しく認識・体得すべく、

在家または、出家をして修行し、4つの真理四聖諦を理解し、「八正道」の実践による、

「さとり」解脱への道を説いています


「般若心経」本文

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界  無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

般若心経の内容

摩訶般若波羅蜜多心経

観世音菩薩は、深く真理(般若波羅蜜多)を求めた時、

全てはみな「空」であると見極め、一切の苦厄を克服なされた。

舍利子よ、存在は空と異ならず、空は存在と異ならない。

存在は即ち「空」であり、「 空」は即ち存在である。

感じ想い行い知ることもかくの如し。

舍利子よ、これら諸法は全て空であり、生ぜず滅せず、

けがれず清まらず、 増えも減りもしない。

これゆえ空の中には、何もなく、感覚・想念・行動・知識もない。

眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もない。

目に見える世界も、意識の世界もない。

無知もなく、無知の尽きることもない。

また老いも死もなく、それが尽きることもない。

四つの真理(苦・集・滅・道)もなく、智もなくまた徳もない。得るところもないゆえに。

菩薩は、真理(般若波羅蜜多)に従うゆえに、

心に曇りがなく、曇りがないゆえに、 恐れもない。

一切の迷いから遠く離れ、涅槃の境地に達する。

三世(過去・現在・未来)におられる諸仏も、

真理(般若波羅蜜多)に従うゆえに、 阿耨多羅三藐三菩提という仏の悟りを得た。

ゆえに真理(般若波羅蜜多)を知るべし。

これは神の真言であり、知の真言である。

これは無上で、無比の真言である。一切の苦をよく除き、真実であり虚にあらず。

ゆえに説く、真理(般若波羅蜜多)の真言を。

すなわち真言を説いて曰く、

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

こちらのサイトが、わかりやすかったので、引用させて頂きました

興味ある方はご覧下さい。

般若心経カクカクしかじか - 般若心経の意味より

こちらの動画もわかりやすかったです、

youtube、整体師Jun さん。15分で分かる般若心経 般若心経は難しくない(この世は空である)youtubeでみる


内容の詳細

ここから内容の詳細をみていきたいと思います

経典は、現代語や翻訳するひとによって内容が、多少変わる場合もあることを、理解しましょう、訳す人の解釈によって表現するためです

最後に観世音菩薩は、般若心経を「マントラ(=真言)」で締めています。

「般若波羅密多の真言とは以下の真言になる」と説き、最後に真言が置かれています。

「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶

ぎゃてい ぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」

の「羯諦」は「往く」という意味です。

そしてここでの「波羅」とは「向こう側」になり、「彼岸(浄土)」であることが分かります。

さらに「菩提」は「仏の悟り」、「薩婆訶」は成就するという意味になります。

(往ける者よ、往ける者よ、

彼岸(悟りの境地)に往ける者よ

彼岸(悟りの境地)にたどり着きし者よ

さとりよ、幸あれ)

これが仏の智慧であり大切な教えである。

この真言を意訳すれば、「仏の道を完成させて彼岸に向かえば、仏として生まれられる」ということになります。


仏教用語、詳細解説

さらに、用語の詳細を、みていきたいと思います

「空」の思想

「空」とは、サンスクリット語で、シューニヤター「なにもない状態」という原意。

「空」、インド数字では、ゼロ 0 を意味する。

ゼロは、ないのだけど、ゼロがある

ゼロがあることで、1、10、100、1000、10000、~100000000000…………………∞

ゼロであり、無限の拡がりを含んでいます

」は、「虚無」ではなく、何もないと言うわけではなく、

形にならない、実体がない定まったものがないと言うこと、

この移ろいゆく世界に

永久不変のものは存在しない、、

固定的なものであるという観念を抱いてはならない、

ありとあらゆるものは、「空」である

「空」は、全ての現象を統括する 宇宙の本質的な法則

「空」は言葉には表せない、人に伝えることもできない、が存在する

この「空」を観じる、「悟る」

「空」とは、物質的存在は互いに関係しあいつつ変化しているのであるから、

現象としてはあっても、実体として、主体として、自性(本質)としては捉えるべきものがない。これを「空」と言う。

しかし、物質的現象の中にあってこの空性を体得すれば、

根源的主体として生きられるともう言う。

この境地は「空」の人生観、すなわち空観の究極である」般若心経、中村元訳より

それを見なすのが「空」の思想

空観(くうがん)とは、一切のものは、ことごとく因縁によって生じたものであって、

永遠不変の自我や実体といったものはなく、すべて「空」であると観じること

我々の物質面は「空」なのだ


「五蘊皆空」の意味を理解する

五蘊とは、我々を構成する5つの構成要素、自己を構成する五蘊(色・受・想・行・識)

五蘊(ごうん、梵: pañca-skandha)

-(物質的現象)人間の肉体と、

受想行識(精神作用、心の働き)を五つの集まりに分けて示したもの。

・色(しき、梵: rūpa) - すべての物質。
・受(じゅ、梵: vedanā) - 感受作用。感覚
・想(そう、梵: saṃjñā) - 表象作用。心に思うこと、概念、記憶、想念
・行(ぎょう、梵: saṃskāra) - 意志作用。我々を内側から作り出す力、行動力、意志的形成力
・識(しき、梵: vijñāna) - 認識作用。識別作用、意識、知識


「私とは何か?」、、と言う問いに、私を形作るものが、この身体と言う事です、

しかし、般若心経では、この身体も心も、「」幻だと言っているのです

実体が存在しないということは、「皆空(すべて空である)」ということです。

つまり「五蘊皆空」とは、

人間の肉体も心もすべて空、実態は存在しないものであるという意味になるわけです。

「いやいや、ここに身体もあるし、見たり聞いたり、味わったりできるじゃないか」と思ってしまいますが、はたして本当にそうでしょうか?

私たちは、これは椅子だ、座るもの、と言う、

特定の「概念」をつくり

その関係性の中で世界をみています、本質ではないと言うことです

この概念にとらわれて、生活していると、他人が決めた概念に操られて、間違った行動をとってしまう

例えば、この世界はお金が、全てだと言う、概念。お金のために働かなければ、いけない、、お金さえあれば、なんでも手にはいる、等々

逆に、眼に見えない精神世界こそが、本質である、心が全てを生み出すという概念。

流行り病が流行っていて、この注射が、予防になる、と言う他人の概念で、

「みんながするなら、じゃあ打っておこう」と言うように、、、

はたしてその概念は正しいのか??

逆に、この病はただの風邪であると言う概念。

「空」を理解することで、ものの見方を180度転換できる。


心を鏡に喩えるならば、「鏡の譬え」のように、

鏡は、内に何も持っていない。

いかなる姿も持っていない、

だから、いかなる姿をも映し出すことができる、

「空」であるからこそ、あらゆる、命、ものが形作られる、と言うように

あなたの心が、映し出しているのがこの世界です。

あなたの心、(意識)があなたの見る世界をつくります


「不生不滅」

不生不滅とは、生ぜず滅せず

すべての存在するものは根源的には「空」なるものであって、生ずることも滅することもない、の意味。

また不生不滅は、「すべての存在するものには実体がないと言う特性がある」

実体がない「空」と言う事は、相関的(縁起:因縁によってあらゆるものが生じる)、互いに影響しあうと言うことである

現象は、実体がないことにおいて、言いかえると、

あらゆるものと関係しあうことによって

初めて現象として成立しているのであるから、現象を見据えることによって、

一切が原因と条件によって関係し合いつつ動いていると言う、

この縁起の世界が体得できるはずである


「無生法認」(むしょうほうにん)

『この世に存在するものは生ずることもなく、滅することもない』という真理。

ものは本来生ずることがないと認容する知。を「無生法認」と言う

「法華経」妙音菩薩品より


不変的な本質は存在しない「諸法無我

この世は、不変の実態がない「一切皆空

全ての物事は、変化し続ける、「諸行無常」なもの

ゆえに、物事に、執着したり一つの価値観にとらわれる必要はない、ということ

存在の本質、実相、この世界の真実の姿、「真空」は永遠に存在している


「色即是空、空即是色」

=(物質)人の身体も含めたすべての物質

=(精神)実態がなく移りゆくもの

即是=すなわちこれ

(訳)「物質」は、すなわちこれ「」であり、「」が即ちこれ「物質」である

形あるもの(色:物質)はすなわち、実態がなく移りゆくもの(空)であり、

実態がなく移りゆくもの(空)が、すなわち、物質(色)なのである

物質(色)は「有る」けど、概念であり、

実態は「無い」常に移ろいゆくもの(空)ということになります

この私と言っている、身体も心の働き(色)も、実態がない、

私と言う存在は、「空」ということ

私は実態ではない、私の本質ではない、    「無我」であり、「空」である

物理学との一致

アインシュタインは「物質とはエネルギーである」と説いています

「特殊相対性理論」と「般若心経」の一致

「E = mc2 」

エネルギー(E)=質量(m)と光速度(c)の2乗をかけたもの、と言う公式

これは「エネルギーは物質の質量×光の速度の2乗」と言う、

質量とエネルギーの関係(等価性)を示す等式を指す。

質量(物質)とエネルギーの等価性

エネルギーと物質は同じだよ、と言う意味です

この公式が表しているのは「宇宙とは、実は形も何もないものだ」と言うことです

これは、「般若心経」の「色即是空、空即是色」と同じで、

「色」はm(質量)であり「空」はE(エネルギー)

エネルギー(空)=物質(色)

目に見えている物質世界(色)と、エネルギー(空)は同じだと言う事

目に見えるものと見えないものは等価、等しいと言うこと、

物質世界(色)は、=真空(空)なのだということ

僕たちも周りすべてのものも、物質以前にエネルギーであると言うことです

ゆえに、僕たちの周波数、波動、心の持ち方が大事になります

(エネルギー=波動、周波数=素粒子=この世のすべての物質)

つまり、アインシュタインに言わせれば、

「我々が物質と言っているのはエネルギーで

その周波数が低すぎて、振動を人間の感覚では捉えられない。物質などと言うものはないのだ。」

「私たちが住むこの宇宙とは、物質は存在しない、もともと実体のない、何もないものだ」と言うことです

それは「是諸法空想一切は「空」である、ということになります

「空」の性質

二面性でできている

「光」は、「波」であり、同時に、「粒」であると言う、二重性

なにもない」と「すべてがある」、という矛盾した性質

空の性質として、「一即多、多即一」を含んでいます

ゼロ0=無限大

「無」であり、同時に「無限」である

「無」と「無限」が同時に存在する、のが、真空

量子力学の量子エンタングルメント(重ね合わせ状態)

重ね合わせと言う概念は、

なんらかの物体が同時に2つの状態で存在できる現象

時空を超えた相関状態

真空には、始まりと終わりの状態が、同時に存在する

法華経」では、お釈迦様が弟子たちを解脱させて、真空の状態をつくり

如来が授記を授けることにより、

「始まり」をつくり、同時に、

滅尽する「完成」した状態が同時にできる

我々の「無限」の思考は、真空の過去のプロセスと言うことです。

近年の宇宙理論が、仏教を説明されてきているようです

「宇宙に始まりはなく、過去が無限に存在する可能性が示される」

宇宙に始まりはなく、過去が無限に存在する可能性が示される。youtube、「宇宙ヤバイch」より

こちらでも、仏教の空と、宇宙理論の関係を解説しています。

宇宙は無ではなく無限から生まれた⁉︎仏教に似てきた最新宇宙理論「因果集合理論」とは⁉【宇宙の雑学】" を YouTube で見る


あなたが、今、見ている世界は、真空の過去の1つで、形にならない 今 です

瞑想によって、何も認識していない状態が、真空、「無」

真空には、「始まり」ビッグバンと、「終わり」ビッグクランチが同時に存在するのです

その宇宙の始まりの原因を説いているのが、「法華経」です

詳細は、note、「なぜ、この宇宙が生まれてくるのか?」をご覧下さい


お経は、唱えるだけでなく、意味を理解することが、大切

お経は、唱えていれば、効果があると勘違いしてる方がいるかも知れませんが、

やはり、お経は、内容を考え、意味を理解して、実践して体得することが大切だと思います

もちろん、ヨーガや密教では、真言やマントラを唱える修行もあると思います

日々、読誦、写経することで良き心的傾向性を得れると思います

習慣にすることは、大切ですね

しかし、例えば、何かの本、教科書、を学ぶ時に、闇雲に意味もわからず、

タイトルや、内容、公式を唱えていても、勉強になっていないし、理解もしていません、、

ましてや、これを呪文のように、唱えていれば、お金が儲かるとか、商売繁盛、などのご利益目的は、論外です

教科書の内容を、書き写し、学び、記憶し、誦え、考え、理解し、認識して、他の人に説明する、それを実践すること、

人に説いて聞かせることで本当の智慧や力になり、身についてきます

なので、お経も、盲目的にただ唱えるだけでなく、

内容を考え、知識、論理として理解して、実体験をもって腑に落としていくことで、

智慧となり、認識力を深め、真理を体得していけると思います、

この「空」の教えも、論理的理解と、体験的な理解の両輪が、大切だと思います

3次元的な理解だけではなく、時空を超えた世界を理解して、観じる、体験していくことで、悟っていくしかありません。

お釈迦様が伝えてきた、「色即是空」の教え、この真理中の真理を理解し、腑に落としましょう

「空」についてさらに詳しく知りたい方は、note、「宇宙の始まりの謎に迫る」もご覧ください


まとめ

僕たち人間は、物質的、観念的なものに執着をして、自ら苦しみをつくっています…

家族、恋人、人間関係、

お金、家、車、洋服、趣味の物、

健康や権威や自尊心、等々、

あらゆるものがあると思います

あれが食べたい、これが欲しいと、いつも渇望して、あいつが嫌いこれは嫌と嫌悪しています、、

なぜ、渇望、嫌悪、執着するかと言うと、無知ゆえに、それが「ある」と思っているからです

そして、ずっとあって欲しい、もっと欲しいと、、欲望を膨らませ、渇望します

執着し、手に入らなければ、欲しい欲しいと、苦しむのです、、これでは、餓鬼、畜生の世界です

しかし、般若心経では、あらゆるものは「空」である、幻である!と言っています

すべては、実体のない「空」である!

「真実を正しく見なさい!」と言うブッダ切りをいれてくれます

ブッダの視点は、現実をありのままに見抜く、「如実智見」です

無知、無明の闇を、ブッダ切ります!(笑)

偏見、誤った見方を、正す、正しく見ること、目を覚まさせる手法、実践論が重要です

正見」「四諦の道理」「無常」「無我」、の真理を見極め、理解していく

(ヴィパッサナー瞑想で、自身の内側で起きている、真実を体験的に理解することもおすすめです)

あらゆるもの、肉体(心)は、無常です、移ろいゆくものです、

無常なるものに執着することは、「」であり

苦であるものは無我である

無我なるものに対しては、「これは、私のものでも、私でも、私の本質でもない」と見よう

その「苦」も、無常であり、「」である

ゆえに、

実態がないものに、執着しようがないので、苦しむ必要もないと、、

皆さんは、この教えを、納得できたでしょうか?(笑)

もし、あなたの心が、苦しくても、大丈夫です、

永遠に、そこに存在している苦しみはないのです

必ず変化していきます、「」をさとり、智慧があれば、あらゆる苦難から、逃がれられます

お釈迦様は、衆生たちが無知、無明ゆえに、

この世界を誤った見方をしているので、仏の智慧を説いてくれています

智慧と言うのは、(戒、定、慧)戒律禅定の実践を通して、

「空」を理解していくことで、智慧になる

「空」の理解、悟りこそが、「般若心経の般若の智慧」になります

このような、仏の智慧、「空」の理解、   「悟り」「解脱」こそが、

無明を取り除いて、3次元の苦しみ、悩み迷いから、解放してくれる、方法であり、

心を安楽にして、本当の至福へと導いてくれるのではないでしょうか

実際、この世の物は、一切は変化するものです、

「人の一生は雲のように変わる

決して一生涯、同じように、

幸福であったり、不幸だったりするものではない

必ず変化するものに、執着することに何の意味があるでしょうか」

一切は「空」である

すべての存在するものは、「空」なるものであって

この世に存在するものは、生ずることもなく、滅することもない、

という真理を理解していくことで、

智慧が育まれ、貪欲を離れるなら、自ずと執着はなくなり、

一切の苦はなくなり、解脱へと導いてくれるでしょう

一朝一夕ではいかないけれど、コツコツと続けていけば、必ずイケる!


「なにもない」、と言うと、虚無感になってしまうのでは、、?

「空」の教えを学ぶ中で、「実体はない」「幻であり、何もない」で終わってしまうと、

執着を断ち切っていくと言うメリットはありますが、

反面、虚無的(ニヒリズム)に陥ってしまうデメリットもあるかもしれません

しかし、仏教では、三法印無常、無我、涅槃寂静があります

お釈迦様の教えは、そんな虚無主義でも愚かでもありません。

この肉体が亡くなっても、その意志、思いは、続いていきます

この生命は無限の関係性の中で、絶えず、その形を変化し続けています、

我々は、実は、生まれてもおらず、死んでもいない、存在です

ちゃんと、この世もあの世もあり、来世もあります、因果応報があり、道理があります

そして、「涅槃寂静」=真の至福、究極の「さとり」の境地を示してくれています

この世界は『無』であるなら、では一体人間は何のために生まれてきたのか?

「無生法認」は、なにもないのだけれど、同時に、すべてがある状態でもあります

この悟りを、観るために、己自身を知るために「色」の現象世界があります、

この3次元世界で、「なにも無い」ものを観る、観自在力と、それを「悟る」ことが必要なのです

自らは、「なにも無い」「真空」

「無生法認」だった!を、悟るための世界、

自分の本当の姿、「本当の自分を知る」ため、悟るための世界がここです

その1つの視点があなたです

その悟りの叡智を拡大していくのです

冒頭でもお伝えしたように、『無」と同時に「無限」である。が「空」であり、存在なのです

真空は、仮想世界と仮想キャラをつくり、

仏が悟りを開き、この世の真理、存在の仕組みを悟ったゆえに、

慈悲の心で、生きとし生けるものに教えを説き、

弟子たちを解脱させ、教えの伝導を誓わせ、授記を授け、

新たな宇宙を生み出し、終わりなく叡智の拡大をしていきます。

これが、存在の仕組みであり、仏の心です。

何もない真空が、「色」の現象世界を生み出して、己が何者であるかを知る、遊び

真空が真空を知る存在のゲームです

あなたが、悟り、衆生を悟らせ、如来を無限に生み出し続ける、

永遠に続く、輪廻転生プレイングゲームです

この、「無限の始まり、無限のプロセス、無限の完成」、があると言うことを

法華経」では、語られています

「無」である、と同時に、「無限」である、と教えます

真空=自分=無=無限

=色即是空 空即是色

ということになり、これが、真空、存在の本質です

「法華経」で、お釈迦様は、巧みな譬えを使い、何もない真空の構造、統一場理論を説いていたのです

無限の宇宙、その無限の集合体の1人が、あなたであり、この宇宙を生み出した存在です。


この世の真実、この世は幻、この世は変化しています

胸に抱え込んだ迷いを手放していく

つらい事も、楽しいことも必ず終わっていく

とらわれることなくこだわることなく

風のように何ものにも執着のない生き方を


すべてのものは変化していく、変化していく、変化していく、、

「空」を理解して、ありのままに、自由自在に、無限の融通無碍の世界を生み出そう

この存在のゲームを楽しもう、必ずクリアできる

このゲームは、あなたが主人公であり、あなたが、生み出したのだから

一歩一歩、小さなことからコツコツと、

正しい道、「八正道」を歩めば、必ずたどり着ける、

彼岸の地、この上ない悟りの境地へ

無理なく、心を平静に、清らかに、安らかに、安楽に、中道を歩んで行こう

菩薩の道(六波羅蜜)を歩んで、迷いの道から、さとりの道を歩もう

狂った世の中でも、慈悲喜捨の心を忘れずに、

(布施)物質的、精神的、仏法を、施し

(持戒)仏教的な戒を守り、悪いことは止め善いことをしよう

(忍辱)罵られても、耐え忍び

(精進)ひたむきに努めて励み、

(禅定)瞑想をして、心を1つに注ぎ、心を平静に保ち

(智慧)物事をありのままに観察する「観」によって、思考に依らない、本源的な智慧を発現させる。

法華経」を学び、すべての道理を明らかに見抜く深い智慧を育み、存在の仕組みを理解しよう。

すべては、今ここに、ある


あなたは意識をどこに向けますか?

どの並行宇宙(パラレルワールド)を選択するのか?

すべては自分の意識次第です


周りや他人を変えるよりも自分を変えること

目の前の、”今ここ“に心をこめる

あなたの見たい世界をイメージしていこう

あなたの思いが、現実に現れてくる

意識がこの世界をつくる

時空を超えた意識

真空には、「無」であり、同時に、「無限」がある、

なにもないから、あらゆる可能性がある、

凡夫のあなたの姿も

仏陀になったあなたの姿も

すべては、真空の中に、同時に、ある

なにもない」、真空であり、同時に「無限である」


自然な呼吸に意識を向けて、

身体の感覚を感じていく、

生まれては消えていく、、

心、静かに瞑想して、心を落ち着かせ、

静寂」を感じ、心を「空」

無と無限の「空」を心から感じていく

僕たちは、真空である

色即是空

「色」()=「空」(心、精神、)

人間=神

人は、真空であり、神である

人間の心の中にこそ、神がいる

神は誰の心にも宿っている

自分自身が神、仏であるということ

「本当の自分」を思い出す

悟る

偉大なる気づきが生まれます


すべて大丈夫です

あなたの中に、宇宙があり、仏心があり

いつでも、すべては、「」ですから。


「空」と共に、

仏と共に

『すべては、「空」である』という

お釈迦様の『教え』を胸に、

法華経』をポケットに

さあ、迷いの世界を超えた世界へ

解脱して、悟りの境地、虚空会
仏国土へ参りましょう!

とらわれない、自由な心で、安心して、
真実の世界で、
永遠に生きていきましょう(^^)

「善いかな、善いかな、さとりよ、幸あれ、ぼーじーそわか、般若心経」

今回も読んでいただいてありがとうございます!



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