小島良介
自伝的小説 『バンザイ』 第五章 everything is my guitar
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自伝的小説 『バンザイ』 第五章 everything is my guitar

小島良介


  5
  
 
 少し時間が過ぎた。
 季節はもう冬になっていた。

 僕はいつものように音を出し、働き、飯を食い、そして眠っていた。
 
 変わった点はただ一つ。あの子と連絡を取り合うようになっていたこと。下北沢でのライブ日、酔っ払いついでに連絡先を交換し、そこからずっとやり取りをしている。

 初めて彼女から来たメールは、「月が綺麗ですね」という言葉から始まっていた。深い意味はないかもしれないけど、なんだが彼女らしくてとてもいいなと思った。

 彼女の文章は、ライブのMCのように、ずっと聞いていたくなるような、全てを取りこぼしたくないような、心地の良いものだった。僕は必死に返信の文章を考え、勢い任せに送信ボタンを押した。

 好きな音楽のこと、好きな本のこと、日々の生活のこと、彼女が通っている大学のこと、家族のこと、生い立ち、死生観、自分の哲学。僕らは毎回、かなりの長文を送り合っていた。それにも関わらず、何故か一度も途切れることなくやりとりは続いていた。

 彼女は横浜に住んでいて、鶴見にある大学の一年生だった。日本文学科とかいう、なんだか頭の良さそうなところで、文学やら言葉やらの勉強をしているそうだ。

 音楽の趣味は、本当にほとんど同じと言っていいくらい似ていた。たぶん彼氏やヒデさんの影響なのだろう、年齢の割には少し古い音楽を好んで聴いているようだった。
 
 送られてきたメールを読めば読むほど、彼女への興味は増していった。会って話し合いたい、なんて、何度思ったかわからない。しかしお互いに忙しく、そんなことは全く言えずに日々は過ぎていった。
 
 僕は毎日、職場とヒノーズを行き来し、バンド活動に勤しんでいた。ライブや練習は順調ではあったけれど、売れる兆しなんかは一向に見えてはこなかった。相変わらず焦燥感や苛立ちは絶えなかったが、タマとメールをすることで、それらは解消されていたように思う。

 良いことなのか悪い事なのか、僕にはわからなかった。一般的に良しとされていることでも、僕にとってはそうじゃなかったりする。
 人々は皆、幸せになりたい、と常日頃から思っているだろうけれど、僕はそうではない。満たされたら終わりだ。幸せなんかいらない。そんなものは僕をダメにするだけだ。なんてことをいつもノートに書き殴っていた。


 十二月も終わりに差し掛かった、ある日の深夜。
 真っ暗な部屋の中、僕はひっそりと誕生日を迎えていた。タマにメールを打っていたので、なんとなくその旨を文末に記し、送信ボタンを押した。

 すると突然、彼女から短いメッセージが届いた。

「今電話できますか?」

 僕は驚いた。一瞬で鼓動が早くなったのがわかった。

「大丈夫っすよ」

 という返事に携帯の番号を添えると、すぐに未登録のナンバーから着信がきた。
 狼狽する自分をひた隠し、電話に出た。

「……もしもし?」

「あ、もしもし、タマです。お誕生日おめでうございます」 

 彼女の声はライブハウスで聞くそれと違い、とてもお淑やかなものだった。

「あー、ありがとうございます。……どうしたんすか、急に」

「ごめんなさい。迷惑でした?」

「いやいや、全然そんなことないけど。ずっとメールしかしてなかったのに、なんでかなーと思って」 

「今日誕生日だってことを聞いて、その……、なにかしなくちゃって思って。とりあえず電話しちゃえーってなって、……なにやってるんでしょうね、うち」

 彼女らしい理由を聞き、少し緊張が解けた。

「いや、全然大丈夫だよ、ありがとう。嬉しいっすよ。なんか声の感じがいつもよりめっちゃ女の子だね」 

 僕は布団に深く潜り込みながら言った。

「えー、なんですかそれ? いつもと違います?」

「うん、なんか可愛らしい声してる」

「いつも大きい声出してすみません」

「いや、そういうわけじゃないけど、なんか、うん。いい感じだよ」

「そうですか? それならとっても嬉しいです」

 そこで会話が途切れた。何か話さなきゃと思っているうちに、彼女が先に口火を切った。

「今日って、何か予定ありますか?」

「今日は夜から仕事だけど、その前は何もないよ。誕生日だから、自分になんか買いに行こうかなーって思ってたくらい」

「もし、迷惑じゃなかったら、会いませんか?」

「え?」

 一瞬何を言っているのかわからず、沈黙してしまった。

「……ダメですかね?」

「いや、ダメじゃないダメじゃない。全然大丈夫だけど……。そのー、いいの?」

「なにがですか?」

 彼氏の存在は僕の中では無いものというか、そこにはなるべく触れないようにやりとりをしていた。とりあえず今回もそうしてしまうことにした。

「いや、なんでもないよ。……今日、じゃあ会いましょっか。どうしますか? どこで会います?」

 僕は声が震そうになるのをなんとか我慢した。

「うーんと、今日うち池袋でライブなんですよ。だから、夕方くらいには出ないといけないんですけど、それまでなら平気です。どこか行きたいとか、これが欲しいとか、ありますか?」

「うーん、そうだなあ、今欲しい物って言ったら……、ギターかな?」

「あ、いいじゃないですか、ギター。弾けるんですよね」 

「うん、まぁちょろっとだけね。バンドでやったりしたことはないけど、楽器としては一番好きかなあ」

「へぇ、そうなんですね。じゃあ行きましょうか、ギター買いに。付き合いますよ」

「まじですか。……じゃあ、そうしますかね」

「はい。そうしましょう」

「わかった。時間とか場所とか、またメールするよ」

「そうですね、またメールで。今日はお話しできてよかったです」

「俺もよかったよ、声聞けて。楽しかった。ありがとう」 

「こちらこそ、ありがとうございました。うちもとっても楽しかったです。じゃあ、また明日ですね」

「はーい、また明日」

「おやすみなさい」

 電話が切れると、静寂が訪れた。

 しばらくの間、布団の中で放心していた。久しぶりに顔を出してみると、真っ暗で冷え切ったいつもの部屋がそこにあった。何故か僕は、宇宙空間の漂っているような感覚に陥っていた。
 明日は彼女と二人で会う。デート、みたいなものだろうか。

 僕は夢遊病患者のようにフラフラと風呂に入り、髪の毛を乾かし、アラームをセットし、再び布団に潜り込んだ。彼女と何件かメールのやり取りをし、十時に御茶ノ水で待ち合わせ、ということに決まった。

 
 朝。
 眠れたのか眠れなかったのか、よくわからなかった。布団の中で目を閉じながら、夢なのか想像なのかわからない映像を、ずーっと見続けていた気がする。

 時刻は九時過ぎ。歯を磨き、髭を剃り、冷蔵庫にある物をテキトーにつまみ、モジャモジャの頭にワックスなんぞを付け、デート用の服など持ち合わせていない僕は、いつも通りの服に着替えた。
 準備が整い部屋を出ると、容赦のない冷気が顔を襲った。ネックウォーマーを鼻まで上げて歩く。空は快晴で、冬のいい匂いがする。生まれ月だからか、この季節は好きだ。そういえば今日は誕生日だ。

 十五分ほど歩くと駅に着き、携帯で乗り換えを調べる。通勤ラッシュのピークは過ぎたものの、まだ座れないほど人は多い。スーツ姿のサラリーマンに紛れ、私服で都心へと進む。後ろめたさと優越感が混ざり合い溶けていく。

 新宿駅に着き、乗り換えをする。溢れんばかりの人々が、まるでパチンコ玉のように各路線へと吸い込まれていく。僕もなんとかその流れに加わった。都会でずっと暮らしていても、未だにこういう場所を上手く歩くことができない。階段を下り、改札を二つ抜け、別の階段を上がる。

 御茶ノ水まではあと二駅。時間は十時十分前。少しだけ遅れるかもしれない、とメールを送ると、すぐに返事が来た。向こうも少し遅れるとのこと。どうやら時間にうるさいタイプではないらしく、安堵する。仕事やバンド以外は、ルーズな方が気楽でいい。

 御茶ノ水駅で扉が開き、ポツポツと降りる人達に紛れ込む。なんだか急に緊張してきて、足取りが重くなる。なんとか会わずに帰れないものか、なんてアホな考えが頭に浮かぶ。
 
 改札を抜けるとそこはもう外だった。少し歩き周りを見渡すと、ピンクの革ジャンを着た彼女の姿が見えた。まだこちらには気づいていない様子。僕は少しだけ目を瞑り、深呼吸をした。
 
「こんちはーっす」

 コインロッカーに荷物を入れているタマに、後ろから話かけた。彼女は驚いた様子でこちらに振り向き、目を丸くさせながら口を開いた。

「びっくりしたー。知らない人かと思いました」

 そう言いながら、タマは目をパチクリとさせていた。

「あー、ごめんごめん。待ちました?」

 と僕が尋ねると、彼女は首を横に振った。

「うちも今来たところです。こんにちは。こうやって会うのは初めてですね。なんか、……すごく緊張します」

 ふと見ると、タマの右手には缶酎ハイが握られていた。

「もしかして、飲んでる?」

 タマは照れたように俯いた。

「だって、シラフじゃ話せるかわからないから……。コジさんが来る前に飲み切って、捨てようと思ってたんですけど」

 そう言うと残りを一気に飲み干し、コインロッカーに空き缶を入れ、くるりとこちらに身体を向けた。

「行きましょっか?」

 と、僕の目を見て少し首を傾けている彼女は、とても可愛いらしかった。シラフで来てしまったことを後悔した。

「何買うか決めました?」

「うーん、欲しいギターの種類と色は決まってるんだけど、どこに何があるか全然わからないから、一軒一軒回っていく感じでいいかな?」

「はい、わかりました。お供します」

 タマの言葉を合図に、僕らは揃って歩き出した。緊張して何を話そうとか考えていると、すぐさま一軒目にたどり着いたので、中に入った。

 御茶ノ水には楽器店が無数に溢れている。これを一つ一つ見て回るのはなかなか時間がかかる。つまり、バンドマン同士のデートにはもってこいってことだ。

「じゃあとりあえず、ここから見ていきますか」

「そうですね。うちもピックとか弦とか買わなきゃなあ」

 そう言いながら、財布の中身を確認するタマ。

「使うピックとか決まってるの?」

 と僕は歩きながら訊いた。

「はい。ピックのメーカーも硬さも弦の種類も全部決まってて、毎回同じものにしてます」

「そうなんだ。意外ときっちりしてるんだね」

「意外とは失礼ですね」

 少し目を細めてタマは言った。

「いや、ごめんごめん。変な意味とかじゃなくてさ、素直にそう思ったっていうか」

 僕は少し焦りながら挽回した。彼女は、ふふっ、と笑いながら言った。

「なんかうち、全部決めておかないと落ち着かないんですよね。ベースもずっと同じものを使ってて、変える気もないですし、ピックも弦もそう。学校で使うペンやルーズリーフなんかも、いつも同じものを使ってます」

「へぇー、しっかり者なんすね」

 ライブ中の彼女からは想像できない真面目さだった。大学も休まず通っているし、勉強も好きだという。家族も仲がいいらしく、うるさい音楽をやるようなタイプとは思えない。

「どういうギターを探してるんです?」

 ずらりと並ぶギターを眺めながら、タマは言った。

「うーん、とりあえず種類的にはテレキャスターがいいんだよね。わかる? テレキャスター」

「はい、たぶん。ああいう形ですよね?」

 タマは頭上に飾られているギターを指差して言った。

「そうそう、ああいうやつ。それで色は白がいいんだ。真っ白でもいいし、部分的に黒くてもいいんだけど、とにかく白のテレキャスターがいいと思ってて」

「そうなんですね。じゃあうちも頑張って探します。白いテレキャスター」

「うん、ありがとう。まぁでも好きなもの見てていいよ。ベースとかも見たいでしょ?」

 ギターもベースも、至るところに列を成している。

「うーん、ベースはなあ。うち楽器とか詳しくないし、そんなに興味もないんですよね。今のベース気に入ってるから、他の子にはあんまり目がいかないんですよ」

「他の子?」

 僕は少し吹き出しながら言った。

「もしかしてベースに名前とか付けたりしてる?」

「はい。もっくんって言います。茶色くて見た目が木って感じなんで、もっくんです。え、なんか変ですか?」

「いやいや、全然変じゃないよ。俺は名前とか付けたことないけど、まぁそういう人も普通にいるよね。全然引いたりとかはしないっすよ」

 と僕がまた弁解すると、彼女もまた目を細めた。

「あー、その言い方は馬鹿にしてますね? 名前付けるのいいですよ? 愛着湧くし、とっても可愛く見えますよ」

「うーん、じゃあ今回は付けてみようかなあ」

「絶対に付けないでしょう?」

「……うん、たぶん」

 二人で笑い合った。驚くほどの楽しい時間に、緊張もいつしか解けていた。共通の話題がたくさんあって、会話が尽きることもなさそうだった。

 一軒目の店を出て二軒目に入る。五メートルも歩けば次の店に辿り着いてしまう。さっきとは違い狭い店舗で、スピーカーからはヘビーメタルが流れている。

「こういう音楽って聴くんですか?」

 とタマが僕に訊いた。

「うーん、まぁなんとなくは聴いたりもするけど、ハマったことはないね。俺色んなバンド聴いたりするけど、本当に好きなバンドって、両手で数えられるくらいしかいないかなあ」

「うちも同じです。色んな音楽聴くし、対バンもたくさん観てきたし、みんないいなとは思うんですけど、特別なのってそんなに多くはないですよね。うちは片手で収まっちゃうかも」

「誰かの片手に収まるようなバンドになりたいな、俺は」

「なれますよ、きっと。っていうか、もうなってるんじゃないですか?」

 タマが僕の方を見て笑う。僕はすぐさま目を逸らし、飾られたギターに目をやった。やっぱりアルコールを入れるべきだった。

「ここにもなさそうですね。次行きましょ、次」

 タマの提案に従い、また次の店へと歩を進めた。僕らは色んな話をしながら長い時間を歩いた。僕は既に浮かれ過ぎて現実感がなかった。そのせいでカッコつけたようなことでも、なんの恥ずかしげもなく言っていた気がする。
 彼女は僕の話を真剣に聞いてくれていた。全てを肯定し、共感してくれるような、そんなやわらかくやさしい物腰だった。


「そろそろ休憩しよっか。結構歩いて疲れたでしょ?」

 信号待ちをしながら、横にいるタマに言った。大体半分の店を回っても、気になるものはまだ見つからなかった。

「そうですねー、なかなか見つからないもんですね。どこか入ります?」

 そう言いながら、キョロキョロと辺りを見回していた。

「そうします? お腹空いてたりする?」

 僕がそう訊くと、彼女は首を横に振った。

「うち、ライブの日は何も食べないようにしてるんです。その方が調子いいんですよね」

「わかるわかる、俺なんてドラムだから特にそうだよ。飯食っちゃうと気持ち悪くなって、ライブどころじゃないって感じ」

「うんうん、そうですよね。じゃあ、どうしましょっか? なんかカフェみたいなところ入りましょっか」

 信号が青に変わり、人混みに紛れながらゾロゾロと進んだ。

「そうしますかー。俺カフェとか全く行かないから、よくわからないけどさ」

「うちもそうですよ。そんな洒落たところ行かないです。コジさんリードしてくださいね?」

「うわー、厳しいなあ。俺知らない店とか入るの苦手なんだよなあ」

「大丈夫ですよ。あっ、あそこなんかいいんじゃないですか?」

 彼女の視線の先にそれらしいカフェがあった。普段なら絶対に入らないようなお洒落な外観。入り口を前にすると、足がすくんでしまった。

「ほら、行きましょ」

 タマは僕を置いて中に入ってしまった。肝が据わってる。後を追うように店内に入る。

「うち席取っとくんで、コジさん注文お願いします」

「わかった。何がいい?」

「んー、あったかいココアで」

 そう言うとタマは、奥の方へと進んで行った。動揺した様子は全くない。慣れてるのかな? なんて思いつつ、カウンターでアイスコーヒーとココアを注文した。

 飲み物を持って奥に進み、あたりを見回すと、タマが小さく手を振っているのが見えた。

「ここでいいですかね?」

 彼女は奥の席にちょこんと座っていた。

「うん、大丈夫だよ」

 僕はテーブルの上にトレイを置き.腰を下ろした。

「お金いくらでした?」

 彼女は財布を手に持ち、それを小さく振った。

「あー、いいよいいよ。今日は付き合ってもらってるしさ」

 僕がそう言うと、タマはニコッと笑った。

「ふふ、じゃあお言葉に甘えまーす」

 アイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れる。かき混ぜながら次の会話を考えた。こんなにしっかり向かい合って話すのは初めてだった。僕は彼女が持っているココアを眺めながら口を開いた。

「今日のライブはどこでやるの?」

「池袋です。うちらそこでやることが多いんですよね。ギターのシノさんが働いてるとこなんですよ」

 とタマは答えた。

「へぇー、そうなんだ。ライブハウスで働くってどうなんだろうね」

「うちは絶対無理ですね。しかもブッキングですよ? あーもう、考えただけで嫌になっちゃう」

 彼女は本当に嫌そうに肩を落とした。

「俺も無理だなあ。ライブハウスで働いたらその場所嫌いになっちゃいそうだし、ブッキングなんてやってもバンド集めらんなくて、たぶん即クビだろうなあ」

「本当ですよ。たまにしか行かないから好きでいられるけど、毎日いたらたぶんおかしくなっちゃいます。ライブって楽しいですけど、うちはそれ以上に怖いんですよね。革ジャンでも着てスイッチ切り替えないと、耐えられないですよ。だからこんな派手なの着てるんです」

 彼女は両手を広げてみせた。ライブハウスでも滅多に見ることのない、強めのピンク色。

「へぇー、そうなんだ。確かにステージにいる時と今って、全然違うよね。ギャップがすごいっていうかさ」

「そうですか?」

「うん、違うと思う。今は普通の優しい女子大生って感じで、ステージ上だとヤンチャな男の子みたいな。なんでそうなるのか不思議に思ったんだよね。いい環境で育ってきた真面目な子なのに、なんでああいうステージになるんだろうって。実は何かあった人のかなーって」

 前から気になっていた疑問を投げかけてみた。

「うーん、そうですね……」

 彼女はそう言いながら、ゆっくりとココアを飲み、カップをコトンと置いた。

「レイプされたんですよ。中学生の時、従弟に」

「え?」

 何を言っているのか、一瞬理解できなかった。彼女はそのまま言葉を続けた。

「親戚の集まりがあって、子供たちはみんな同じ部屋で雑魚寝してたんです。最初は普通に寝てたんですけど、気付いたら裸にされてて、抵抗する暇もなくって。その時の記憶、ほとんどないんですよね。気付いたら終わってて、何事もなかったかのように従弟は寝てました。避妊もしてなかったから、下手したら危なかったんですよ。で、次の日うち、言ったんです。昨日はなんだったんだよーって軽い感じで。そしたら彼に知らん顔されちゃって、何もなかったことにされてたんです」

「……そうなんだ」 

 何と言葉をかけてあればいいのか、わからなかった。

「ライブ中もあんまり記憶ないんですけど、その時と同じなんです。別の自分がステージに立ってる感覚っていうか。だから全然違って見えるのかもしれませんね。うちはいい家庭で育ってきたし、周りの人もいい人ばかりで、本当に恵まれてるんですよ。だからグレるようなことなんて一つもないんです。ただ、その従弟の件に関しては、うーん、って感じで。本当にそれだけです。何かあったといえば」 

「そうだったんすね……。なんか、嫌なこと訊いちゃったかな」

 タマはニコっと笑い、答えた。

「全然気にしないでください。そのことがあったから、うちはたぶん音楽を始めたんだと思うし、今こうしてコジさんと話せてるのも、それがあったからなんです。全部繋がってるんですよ。だからうちは後悔することも、やり直したいことも一つもないです。今もすごい楽しいし、毎日幸せです」

「そっか、それならよかった」

 僕はそう言い終えると、彼女の言葉を反芻しながら、かけてあげるべき言葉を探した。

「ちょっとお手洗い行ってきますね」

 彼女はそんな雰囲気を察したのか、すっと立ち上がり、通路の奥へと消えていった。

 僕はタマが座っていた椅子を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせた。

 彼女の核心部分に触れてしまったのかもしれない。何かを抱えている彼女に、すごく惹かれると同時に嫉妬心のようなものを覚えた。よくわからない感情だった。
 レイプされた人の気持ちなんて、男の僕にはわからない。ただそういう行為に対しては、演技の映像だとしても見たくないほど嫌悪感があった。だからといって、なんて声を掛けてあげればいいのかはわからない。

 彼女のことはすごく気になる。ステージ上の彼女も、メールの文章の彼女も、こうして一緒に会っている彼女も、とても魅力的だ。おそらく、いや間違いなく僕はあの子を好きになっている。それは初めて見た瞬間からわかっていた。
 しかし彼女には相手がいて、僕は恋愛にうつつを抜かしてる場合ではない。バンド活動の邪魔になってしまうものは、全て無くしてしまいたい。じゃあ一体何故、僕は今この場所にいるのだろうか?
 考えたところで現状は変わらない。自分ではどうすることもできない流れがあった。僕はただこの場に身を任せるしかない。どうせなら楽しんでしまった方がいいに決まってる。深く考える必要はない。

「お待たせしました」

 彼女が席に戻ってきた。僕は気になっていたことを聞いてみることにした。

「あのさ、こんな風に二人で会ったりして、大丈夫なの?」

 タマはキョトンとした顔になった。

「え、どういう意味ですか?」

「まぁ、その、つまり」

 僕が口を濁すと、彼女は感付いたようだった。

「ああ、大丈夫ですよ。マコトさん、会ったことありましたっけ? こんなことくらいじゃ怒られませんよ。しかっりした人ですから」

「ふーん、そっかそっか。会ったことはなかったかなあ」

 厚木で会いそうにはなったが、僕は一人で酔い潰れてしまっていた。

「そんなこと気にせず楽しみましょ? ね?」

 僕らはそこから色んな話をした。メールでやりとりするよりも実際に会って話した方が、やはり何倍も楽しく感じられた。
 彼女は言葉や仕草の節々に品があり、育ちの良さを伺えた。時には少女のように無邪気で、少し間の抜けたところもある。そして彼女は、とてもやさしかった。暖かく包み込んでくれるような、そんな空気感を持っていた。

「大学で勉強してるの、すごく楽しいんですよ。知らないことを知るって、一番の喜びだと思うんです」

 彼女は嬉しそうに言った。

「うんうん、わかる気がする。俺、勉強はあれだけど、本は中学生の頃から結構読んでてさ、人の話を聞いてるみたいで好きなんだよね。会話も基本的にはずっと聞いていたいし。自分とはいつでも話せるからね」

「どういう風に話すんですか?」 

「俺はノートに文字を書いてるよ。日記みたいなやつ」

「あ、うちもそれやってる」

「そうなんだ? なんかさ、そういう風にしないとわからないんだよね。言葉にして形にしてみないと、自分の感情が。頭の中にあるままじゃフワフワし過ぎてるというか。だから書いて読んで理解して、へー、俺ってこんな風に思ってるんだー、みたいな。それが自分と会話してる感覚っていうか」

「すっごいわかります。うちも自分のこと話すの苦手で、悩み事とかも誰にも話さないから、ひたすら書いてますね。書くの大好きなんです。だからコジさんと長文のメールしてるのもすごく楽しかったです。なんか交換日記してるみたいで」

「交換日記かあ、確かにそうかも。昔付き合ってた人とやったことあるけど、全く続かなかったなあ」

「そうなんですね。うちは小学校の高学年くらいの時かな、友達と三人でずーっとやってました。今日はこんなことがあったよとか、誰々が付き合ってるだのカッコいいだの。なんでもないような普通の女子の会話ばかりでしたけど、うちはそういう話題に付いていくのに必死でしたね」

「必死だったんだ?」

「そうなんです。うち女の子の気持ちっていうのがわからなかったんですよ。女の子らしくしなさい、っていうのが本当に嫌いで。親戚も男ばっかりだったんで、女の子の遊びも知らなくて、口も悪かったし、スカートなんかも穿いたことなかったです」

「今は穿いてるよね、スカート」

「頑張って穿けるようになったんですよ。少しずつ慣れていって。本当にひどい時は自分のこと、俺って言ってましたから」

「そうなの? すごいなあ、それ。性同一性障害とかとは違うの?」

 僕がそう訊くと。タマは少し目線を上げ、考えいる様子だった。

「んー、違うと思います。自分が女だってことはわかってるんですよ。でもその、女の子らしくっていうのがどうしても苦手で。やっぱり思春期になってくると感じざるを得ないんですよね。ほら、身体も変わってくるじゃないですか」

「うんうん、そうだよね」 

「で、うわーブラジャーとか付けたくねー、なんで生理なんてくるんだよーとか思ってたんです。その頃に交換日記が始まって、なんとか女の子らしいこと書かなきゃって思ってました。少しずつ少しずつそういう風に慣れていって、格好も女の子が着るようなもの着られるようになって。でも、今でもほんの少し違和感はあるんです。なんでスカートなんか穿いてるんだろうって」

「へぇー、おもしろいなあ」

「それで、なんだろう、決定的に変わったのは、中学二年の時に、転校生が来たんですよね。うち、その人に恋をしたんです。初恋だったんですけど」

「中二が初恋って、結構遅いんだね」

「そうなんです。恋愛感情っていうものが理解できなくて、愛情っていうのはわかるけど、恋愛ってなんなんだ? とか思ってて。でもその転校生と仲良くしてるうちに、だんだんわかってきて、やばい、こういうことなのかもしれない、って。そこから二週間くらい、苦しくて苦しくて堪らなくて、やばいもうダメだーって限界がきちゃって。そしたら次の日、向こうから告白してくれたんです」

「すごいな。なんかドラマみたい」

「本当に苦しみから解放された気分でした。こんなに辛い想い、もう二度としたくないっ思いました。それで初めて付き合って、そこから男っぼさは完全に抜けたんですけど、……っていうかごめんなさい、うちばっかり喋っちゃってる」

「いいよいいよ全然、おもしろいよ。さっきも言ったけど、俺、人の話し聞くの好きだからさ」

「コジさん話しやすいから、余計なことまで話しちゃいそうで怖いです」

 僕はその言葉の意味少し考え、訊いた。

「隠すようなことあるの?」

 彼女は、ふふっ、と含みのある笑みを浮かべた。

「ありますよ。たくさん」

 僕はドキッとしてしまった。


 それからしばらく話を続けた。運良く話が尽きることはなかった。一時間ほど経ち、僕らはまた外に出ることにした。

 適当に出た道を歩いていると、階段を見つけたので、なんとなく下りてみた。そこには大きな広場のようなスペースがあり、飲食店が立ち並んでいた。僕らは辺りを眺めながら歩いた。

「バンドはどうですか? 最近」

 とタマが言った。

「うーん、まぁ悪くないけど、まだまだかなあ。ギターが変わって、ようやく落ち着いてきたって感じ」

「いいメンバーですもんね、皆さん。ホシさんとか特に」

「うーん、ホシくんが実力的には一番あれだけどね」

「いいと思いますよ、あの人。うちは好きです。コジさんメンバーに恵まれてますよ」

「そうかな?」

「ええ」

 地下の通路を進んでいく。

「早く上に行きたいんだけどね。やっぱもっと頑張んないと厳しいかなあ」

「売れたいんですか?」

「そりゃ売れたいっすよ。売れなきゃやってる意味ないもん」

「うちはそういうの、考えたことないです」

「そうなんだ。でもうちらもいい年になってきてるからさ、このまま三十になったりしたら笑えないし」

「三十才で売れてなくても、別にいいと思いますよ?」

「うーん、その年まで売れてなかったら、俺は辞めてるだろうなあ。惰性でやっててもしょうがないし」

「惰性になるまで続けるのってすごいことですよ。そういうのって、奇跡みたいなもんですから」  

「そうかな?」

「そうですよ、だからあなたは恵まれてます」

 この子は僕に無いものを持っている。何故この年で、こんなにも物事を理解しているのだろう。もしかしたら全ての答えを知っているのかもしれない。もっと色んなことを教えてほしい——。
 僕は彼女の横顔を眺めながら、そんなことを思った。


 地下を通り抜け、地上に上がると、楽器店が並ぶ道に戻ることができた。ギター探しの再開だ。

 もう既に半分見て回ったので、残りはあと半分。これで見つからなかったらつまらない。口にこそ出さなかったが、僕らはそんな共通認識を持っていたと思う。さっきまでよりも集中し、会話もそこそこに探し回り、更に一時間が経過した。

 しかし、どこをどれだけ探してみても、目当ての物は見つかる気配すらなかった。


「なかなかないですね。何かピンと来るものありました?」

 少しいじけた様子で、タマが口を開く。

「うーん、なんとなくいいなっていうのはいっぱいあるんだけど、これだ! ってのは無いかなあ」

「少しでもいいなと思ったものを、試奏するのはどうですか?」 

「……そう思える物すら今のところないかも」

「それは厳しいですなあ」
 
「うーん……」

 段々と雲行きが怪しくなってきた。

「ベース選んだ時はどうだった?」

 と質問をしてみた。

「もっくんですか? えーっと、中学三年の時に高校の合格祝いで買ってもらったんですよ、おじいちゃんに」

「へえー、なんでもっくんに決めたの?」

「一目惚れみたいな感じですね。結構大きな楽器屋に行って、たくさんあるベースの中で一つだけ気に入ったのがあったんですよ。なんか他と違って木みたいな見た目で、少し小さくて可愛くて。ベース自体弾いたこともなかったんで、試奏なんか怖くてできなくて、もうこれでいいやって決めました。そこからもう四年くらい使ってますね。軽いし弾きやすいし音も気に入ってるので、他の子に浮気する気にならないんです」

「へー、そうなんだ。いい買い物だった?」

「ええ、とっても」

「俺もそういうの、見つけられたらいいんだけどなあ」

「まー、焦らずゆっくり探しましょ」

 彼女はニコッと笑った。


 ひたすらに歩いて、全ての店を見て回ったが、ピンとくる物は一つとして見つからなかった。時刻は十六時過ぎ。辺りはもう暗くなり始めていた。

「全然ダメだぁー、ってかそろそろ時間まずいよね? リハ何時から?」

「うーん、うちのドラムが仕事でリハ出れないから、オープンの時間までに着いておけばいいんですけど、一応もうそろそろ行こうかなとは思ってます」

「そっかそっか。じゃあとりあえず、駅の方まで戻ろうか」

 僕らは横に並び、駅の方向へと歩き出した。

「残念ですね。せっかくの誕生日だし、今日見つけられたらよかったんですけど……。あ、っていうかごめんなさい。うち、プレゼントとか何も買ってないや」

「ああ、いいよいいよ。これがプレゼントみたいなもんだから」

「どういう意味ですか?」

「いや、なんでもないよ」

 少しの沈黙。

「……そんなこと言っていいんですか?」

「……ダメっすかね?」

 彼女はやさしく微笑む。

「嬉しいです。とっても」

 少しずつ暗闇が増していく。僕らは静々と来た道を歩いた。


「あ、ここ二階もあったんだ」

 一番最初に入った店に辿り着いた。

「入ってみます? まだ時間は大丈夫ですよ」

「そう? じゃあ最後にここだけ見て終わろうか」

「そうしましょうか」

 僕らは店に入り、階段を上った。
 高級なギターやビンテージ品が売っているフロアだった。貧乏なバンドマンには縁のないエリアだ。

「うわー、すごいですね、ここ。ほら、六十万ですって」

 有名ブランドの七十年代物らしい。更に目ん玉が飛び出すような値札も、チラホラ目に入った。

「来るとこ間違えたかもしれないね。まー、少しくらい高めでもいいんだけど……」

 そんな時だった。
 
 店の奥に飾ってある、一本のギターが目に付いた。周りに他の楽器がなく、特別感があり、見るからに高そうなディスプレイだった。

 見た目はボロボロ。タイプはテレキャスター。ピックガードは黒。ボディの色は白。

「んー?」

 僕は吸い込まれるように、そのギターに近付いていった。いつの時代に作られたかわからないくらいボロボロで、聞いたことのないメーカーの物。明らかにこの一本だけが、異様な雰囲気を纏っていた。

「気になります?」

 タマが隣に来たことに気が付かないくらい、僕は見入ってしまっていた。

「うーん、なんだろうこれ。なんか、すげー変な感じ。なんでこんなボロいんだろう」

「うちは好きですよ、こういうボロボロの子。色も白だし、テレキャスターですよね? いいじゃないですか、これ。値段は?」

 値札を見ると、僕のバイト代の約二ヶ月分だった。実家暮らしの甘ったれには、手の届かない値段ではない。

「弾いてみたらいいんじゃないですか?」

「うーん、そうだなあ」

 僕はその場から動けなくなった。このギターが放っている、メッセージみたいなものを読み取ろうとしていた。
 なんなんだろうコイツは? 理由はわからないが、不思議な魅力がある。目を離すことができない。見た目も悪くない。まるで隣にいるタマのようなギターだ。自分の意志ではなく、何かに導かれたような感覚があった。

 ふと気が付くと、隣りにいたはずのタマがいない。周りを見渡すと、向こうから戻って来るところだった。

「試奏していいか聞いてきましたよ。弾いてみましょ、折角ですし。こんなに気になるってことは何かあるんですよ」

 タマの優しさを感じつつ、僕は少しトランス状態のようになっていた。決して側から離れてはいけない、そう誰かに言われているような気がした。それはギターのことのなのか、別のことなのか、僕にはわからなかった。

「このギターで大丈夫ですか? ちょっと待ってくださいね」

 長髪のバンドマン風の店員が、ギターを取り外してくれている。試奏はあんまり好きじゃない。そもそもそんなにギターが弾けるわけではない。
 
 はいどうぞ、とギターを手渡され、椅子を用意してもらった。僕は恐る恐るギターを抱え、椅子に座って弾いてみた。生音なのに大きな音がした。一番好きなAコードを鳴らしてみる。悪くない音だ。

「アンプ適当にいじってくださいね」

 そう言い残し、店員は去って行った。
 アンプに繋がれたギター。僕は音量のツマミを極力絞り、店内に響かないような微かな音量でコードを弾いた。下手くそなソロなんて、恥ずかしくて弾けるわけがない。

 タマは自然と遠くに離れてくれていた。察しがいい子だ。僕はギターと会話をするように、静かに弦を鳴らしてみた。不思議な感覚だった。音の良し悪しなんてわからない。でももうこれしかないと思っている自分がいる。買うなら絶対これだ。しかし、こんな高い物を買って大丈夫なのか? という不安も少し芽生えていた。

「どうです? いい感じですか?」

 タマが近付いてきた。

「うーん、かなりいいよ。もうこれしかないって感じ。だけど、うーん……」

 僕はギターを細かいところまで観察した。やっぱりボロボロだった。めちゃくちゃ古いビンテージなのかもしれない。裏にも何かないかとギターを反対にして、ネックの裏を調べてみた。
 すると、ヘッドのあたりに何か書いてあるのが見えた。
 
 〝1223〟

 ――なんだろうこの数字?

 黒いマジックで書かれたような、横並びの数字。

「なんだろう、これ」

 タマに数字が書いてある部分を見せた。

「1223? なんですかね」

「今日の日付なんて、ギターに書くかな?」

「店員さんに聞いてみたらいいんじゃないですか?」

 しばらくすると、店員が様子を伺いに来た。

「どうです? いい感じですか?」

「そうですね、悪くないんですけど、……あのー、この数字ってなんですかね?」

 店員が目を細め覗きこむ。

「うーん、なんですかねえ。マジックで書いてありますね。少々お待ちください」

 彼はそう言うと、足速に階段の方へ向かい、どこかへ消えてしまった。僕は弦をやさしく撫でながら、ぼんやりとギターを眺めていた。

 少しして、店員が小走りで戻ってきた。 

「えっと、このギターなんですけど、ハンドメイドの一点物みたいです。普段はエフェクターを専門に作っている会社が、実験的に作ったものらしくて。結構いい値段しますけど、この値段でこのクオリティは、普通出せないですね」

「なるほど、そうなんですね」

「なぜかと言いますと、ブランド料がないんですよ。ご覧になればわかると思うんですけど、おそらく見たことのないメーカーですよね?」

 僕は改めて、ネック記されたロゴを見た。確かに見たことのないものだった。

「こんなにボロボロなのも、全てデザインなんですよ。新品のギターを意図的に汚く加工してるんです。海外の有名なギタリストの物をモチーフにしたらしいです」

 へぇー、と心の中で呟いた。

「なるほどなるほど。で、この数字はなんなんですかね?」

 僕はギターを裏返し、再び数字を見せた。

「あ、忘れてました。それなんですけど、シリアルナンバーですね。なんでもこのギターが完成した日付らしいです」

「え? ……1223って、今日の日付じゃないんですか?」

 店員は少し考え、ハッとした表情を浮かべた。

「あ、そういえばそうですね、今日の日付です。すごいですね、これはたまたま偶然ですよ。ただのシリアルナンバーですもん」

 ——うーん? っていうか。

「……今日僕の、誕生日なんですよね」

 店員は驚いた様子で少し身を引いた。

「えっ? すごいですね! 同じってことですよ、このギターと」

「……はあ」

 目の前で起きている現実を、うまく理解することができなかった。今日は十二月二十三日で、僕の二十四歳の誕生日で、たまたまここにギターを見に来ていて、しかも気になっている子との初デートみたいなもんで、散々歩き回って最後に唯一気になるギターを見つけて、弾いてみたらシリアルナンバーが書いてあって、それが1223で、今日の日付かと思ったらこいつが完成した日で、それはつまり僕と同じ誕生日ということで……。

「なんか、よくわからないですけど……、買います。このギター」

 頭が回らなくなって、そんな言葉しか出てこなかった。タマを見ると、ニコニコと笑っている。

「よかったですね、お目当ての物が見つかって。この子しかないですよ、絶対」

「うん、そうだよね……」

 わけがわからなかった。
 こんな奇跡が起こるのだろうか? 運命としか思えない出来事だ。これは僕の力なのか、タマの力なのか、どっちもなのか、はたまたただの偶然なのか。人は奇跡を目の当たりにすると、言葉もなくただただ呆然としてしまうらしい。絶対に交わることがないと思っていた人と二人きりで、更にまた別の奇跡が目の前で起こってしまった。本当にわけがわからない。頭が回らない。

 受付であれこれやりとりをし、ギターを高そうなケースに入れてくれた。それを持った店員に出口までエスコートされ、店の外へと出た。僕はずっとふわふわと浮遊しているような感覚だった。
 タマと一緒にいると、何故か不思議なことばかり起こる。本当になんなんだろうこの子は。そんな僕の気を知ってか知らずか、彼女は静かに側にいてくれた。


 すっかり真っ暗になっている大通りを、駅に向かって二人で歩く。僕はまた先程の余韻に浸っていた。そろそろお別れの時間が近い。

「よかったですね、ギター」
 
 とタマは言った。

「うん。今日はありがとう。なんか、すげーいい物見つけられた気がするよ」

「うちもそう思います。少し鳥肌立っちゃいましたもん」

「俺はもう、全部夢なんじゃないかって思い始めてるよ。何がなんだかよくわからなくて」

「ほっぺた抓ってあげましょうか?」

 そう言いながら、悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女にドキドキした。本当にこれは夢なのかもしれない。

「……あのー、なんていうか」

「なんですか?」

 僕らは立ち止まった。辺りは疎らな人通り。駅からの光がこちらまで届いていた。

「今日は本当にありがとう。楽しかったよ」

 彼女の目をしっかりと見て伝えた。

「こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。またどこかで会いましょうね。ライブハウスとかで」

「うん、そうだね」

 このまま別れるのがとても寂しく感じた。

「じゃあ、行きますね」

 タマは、さようなら、と言いながら反対を向き、改札口へと歩を進めようとした。

 何かを言わなければいけない気がした。

「あ、あのさ!」

 彼女はこちらを振り向き、首をかしげ、不思議そうに僕をを見つめた。

「俺は、その……」

 彼女に想いを告げるなら、流れを変えるなら、今しかない。

「あなたのことを表現者として好きだとは伝えてたけど、今日一日一緒にいて、さっきあんなことがあってわかったっていうか。俺はあなたを、一人の女性として、……たぶん」
 
「……たぶん?」

 彼女は小さく呟き、そのまま僕をじっと見つめた。

「たぶん、好きです」

 つい口に出してしまい、僕は慌てて予防線を張った。

「いや、でも別に、どうこうなりたいとかいうわけじゃなくて、ただ事実だけでも伝えておきたかったっていうか……」

 それ以上、言葉が出てこなかった。

「じゃあ、……また」

「うちもたぶん、同じ気持ちですよ」

 彼女ははっきりとそう言った。

「いいギター見つかってよかったです。また会いましょう」

 そう言い終えると、彼女は再び歩き出した。振り返ることなく、真っ直ぐに。堂々と胸を張る彼女を見ていると、なんだか自分が恥ずかしくなってくる。

 彼女がいなくなってからも、僕はしばらくそこに居続けた。行き交う人の中で、まるで僕の時間だけが止まっているように思えた。

 背中に背負っている、ギターの重さだけがリアルだった。


 止まった時を進める為に、僕は再び歩き出した。


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小島良介
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