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42才、住所不定、無職

皆さま、こんにちは!(毎週火曜、土曜に更新予定)

カナダ・バンクーバーで子育て移住8年目、パラレルワーカーのクノコウジです。

前回まではボクが皆さんに40代は人生中休みをおススメする理由を書いてみましたが、次はボク自身のストーリーを交えつつ、さらに皆さんの背中を押したり、ちょっとしたヒントをお伝えできたらと思います。

さて、ボクがカナダへの子育て移住を決意してバンクーバー空港に降り立った時の肩書・・・「42才、住所不定、無職」でした。日本でこのフレーズを聞くのは、何か犯罪を犯して捕まった時の常套句のような肩書と一緒ですね(笑)

日本での仕事に一区切りして、日本からカナダに旅立った日は、2014年3月31日でした。この時、この先の人生で不安がないと言えばウソになるかもですが、不思議なほど新たな生活に対してワクワクした気分の方が強かったです。

カナダに到着時に決まっていたのは、まずエアーB&Bで予約した1週間の宿泊先だけでした。もちろん仕事のあては全くありませんし、その時はなんとなく本当に長い旅行にバケーションで出かけるような感覚でした。

そもそも考えてみれば、その先が不安で仕方ないような人は40歳を超えて海外に移住なんてすることは、まずないでしょうね(笑)簡単に言えば、ボクみたいな日本基準で考えれば、ちょっと変わった人しかそんな選択はしないのかなとも思います。

そんな変わり者のボクでしたが、当時まだ5歳と8歳であった小さな子ども達を連れて仕事のあてもなく海外に行くことに対して、もちろん100%不安がなかったわけではないです。でも、やはり前もって20~30代の社会人生活でやっていたことは、いろいろ心の準備となり大きかったと思います。

ボクの働いてきた経歴などに関しては、また別途で書かせてもらうつもりですが、少なからずボク自身がサラリーマンでありながら、音楽業界という仕事の環境もプラスに左右したと思います。

それは何かと言えば、音楽業界の仕事はまさに横のつながりの仕事だったからです。ありがたいことに、ボクは日本では誰もが知るような国民的アーティストなどをはじめ多くのアーティストやバンドを担当させてもらいました。

なので、必然的にそのほとんどが、常日頃から外部の人たちと一緒にやってきた仕事だったので、その間にも数多くの人脈が築けたことは大きかったと思います。

仮にもし海外生活がやはりダメだと思い日本に帰れば、約20年ほど自分なりに一生懸命にやってきた音楽業界の仕事(レコード会社のプロデューサー)という仕事には、また復帰できるかもと漠然とは思っていました。

よく社内では威張ってるような管理職や役職ある人が、定年後や途中で大手企業を辞めて独立しても、その会社の名刺がなければ、実際には仕事ができず失敗するなんて話もよく聞かされました。

ボクもサラリーマンでありつつも、やってきた仕事は毎日、自分の会社以外の外部の皆さんたちとの仕事でした。もちろん会社の看板はもちろんですが、一緒に仕事させてもらったアーティストの皆さんあってことです。会社員でありながら、そんな個人商店のように自由に働かせてもらえたのがとても良かったです。

なので、仮にカナダの生活が合わずに1-2年で日本に戻ることがあっても、まだ40代前半なら、誰かしらとまた仕事でご一緒させてもらえるのでは、または古巣の会社にも戻れるかもなんて・・・図々しいながら勝手ながら思っていました。でも、その勘違いこそが海外に向けて自分の背中を押してくれた要因であったのも事実です。

そんなこともあって、半分は日本にいる時からフリーのような存在だったので、カナダに来てからも非常に楽観的というか精神的には不安になることは少なかったのです。なので、今これを読んでくれている方も、会社に在籍している間にできる限り、外にたくさんの人脈を作っておくことをおススメします。

今ではSNSでもたくさんに人と仕事以外にもつながれますので、まずは仕事ありきでつながるのではなく、人としてもいざとなった時に誰かが応援してくれるような人脈を作っておくことが大事です。

やはり人脈は、無形でありながらも大きな財産や資産であるというのは、そろそろ10年経過する今もってもその考えは全く変わっていません。ぜひ自分の世界を広げて、会社た仕事以外の人と一人でも多くつながっておくことは、絶対に仕事に関わらず人生において本当におススメなことなのです!


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