見出し画像

mRNAにかけた受賞者以外の功労社:ビオンテック

2023年ノーベル生理学・医学賞について以前にその応用が期待されている話をしました。

ビジネス系メディアでも、その日本企業に与える影響について触れています。

もちろんカリコ氏による長年の努力とそこに参画したドリュー・ワイスマンの功績は表彰にふさわしいのは言うまでもありません。

ワイスマン氏の出会いと同じぐらい重要なのが「ビオンテック」という企業との出会いです。
今回はそのサイドストーリーを書いてみます。(参考リソース)

企業、と書きましたが圧倒的な功労者は創業者であるウール・シャヒンとその妻のエズリム・テュレジです。

両者ともトルコ出身で西ドイツに移住し、医学を志す過程で職場を共にします。
そこは血液がんの末期患者へのケアを担当する場でした。
日々患者との死に向き合いながら、これからの医療の在り方(当時は放射線療法か化学療法が主)を考えるようになり、当時はまだ勃興期であった「免疫療法」に関心を寄せます。
1990年代初頭のころで、当時は免疫は外部からの異物除去だけでなく、体内に対しても攻撃出来るのでは?と一部のコミュニティでささやかれ始めていたころでした。

まだ二人とも駆け出しでしたが、その限られたコミュニティに属しており、その研究に専念する決意をします。当時としては相当勇気のいることだったと想像します。

そして免疫をつけるためにワクチンを届ける手段を様々な物質で試し、結論として「RNA」に目を付けます。RNA自体をもっと知りたい方は、過去の投稿をどうぞ。

当時、mRNAは安定性が低いため臨床に使うことはほぼ検討されておらず、「面倒な(messy)RNA」と揶揄されたこともあったそうです。

そして実際この夫妻も完全にRNA一本に絞ったわけではなく、2008年に設立したビオンテック以前に、がん細胞を正確に攻撃する抗原の開発を目指したガニメドという企業も設立し、当時はドイツで最高額の14億ドルでの売却に成功しています。

そんな時代背景のなか、ビオンテックは設立当初からmRNAワクチンに注目していました。目標は元々の志を貫く「がんの免疫療法」です。

2010年代後半までは全くの無名バイオベンチャーで、同じく新型コロナワクチンの開発に成功したモデルナが資金調達においては目立っていました。

これは資金提供元の理解もあったのでしょうが、ウールたちは元医者・科学者であったことからきちっとした成果へのこだわりを優先し、出来る限り外部との提携でなく自社での研究を優先していたようです。

そして徐々にmRNAを使った免疫療法での知見をたかめてじわじわとその存在がしられていきます。質実剛健というイメージを持ちました。

その過程で、2013年に今回のカリコ氏とイベントで知り合い、自社の研究に必要な発明を行っていた(mRNAの安定性を高める(攻撃されにくくする)ための遺伝子編集)ため、副社長(バイスプレジデント)として招き入れます。
2018年の国際的なバイオイベントでゲストで呼ばれた際には、WHO総長やビル・ゲイツからの関心も集め、実際に後者の財団支援も取り付けます。(講演後に本人と個別に、後に起こるパンデミックへの備えともとれるアドバイスを受けたという逸話も書籍では紹介)

ですので、この時点ではビオンテックは依然「がん」一本であり、会社の転機は2020年1月24日でした。

この日にウールは、ドイツで有名な雑誌「シュピーゲル」のサイエンス欄に、中国の武漢からの新型の呼吸器疾患が流行しているという報告を初めて目にします。
その後もあちこちで耳にするなかで、ある中国の研究者グループの報告で人から人への伝染報告から脅威を感じ自分なりに試算を行い(ある程度確からしい結果でした)、これを防ぐためのワクチンに自社の舵を大きく切ることを決断します。

その後も様々な技術的・経済的・政治的な課題に直面しますが、ぜひ興味を持った方は参考リソースに詳しく載っていますのでポチって見てください。

<参考リソース>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?