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人間のような汎用知能は実現できるか2

前日のトピックをもう少し引っ張ります。

ソフトウェア(プログラム)だけだと原理的に難しいとみなし、身体性を伴うロボットの相互作用(自律調整)を重視した研究者の例を挙げました。

そしてもう一人、我々の脳による知能原理を解明しようとしている注目の研究者がいます。

その名も「ジェフ・ホーキンス」です。(以下ホーキンスと呼称)。

ガジェット好きの方には、今のスマートフォンの原型、携帯情報端末「Palm」の生みの親といったほうがピンとくるかもしれません。


ホーキンスによれば、知能探究がライフワークで、そのための資金獲得の一環で一時期ICT業界に所属していたそうです。(当時は重鎮級の方でしたのでこの背景だけでもびっくりです)

Palmで成功をおさめたあと産業界を離れて改めて脳研究に没頭しており、最近その最新研究成果を一般読者向けに説明した書籍が和訳されています。

この本、専門用語を最小限にしていて読みやすいだけでなく、ミステリーとしてもうまく構成されていて、とても面白いです。

以下ではこの内容も含めて届けますので、もしがっつり知りたい方は下記に進まずに自身で購入することをお勧めします。

まず、フランシス・クリックが冒頭に登場します。
この方は二重らせん構造を発見した一人ですが、実は1960年代に生命原理(セントラルドグマ)の構造をある程度解明した後に、生命科学の分野飽きて神経(脳)科学の研究に転向しています。

クリック(&ワトソン)がDNA発見者として成功した1つの要因は、1つの仮説に基づいて、それに沿う方法論と検証結果を求めていました。
一方それまでの生物学者はその逆で、解剖した結果を元に何か普遍的なことがいえないか(よく帰納法と呼ばれます)を求めがちです。

そしてクリックが脳研究で残した有名な言葉を下記の通り書籍では引用しています。

「とくに足りないのは、こうした結果を解釈するための考え方の大まかな枠組みである」

出所:上記書籍内

まさにホーキンスがまず求めたのも、まさにこの枠組みでした。

そもそも、我々人類の脳が他の種と最も違う構造は何かご存じでしょうか?

それはもっとも外縁(頭蓋骨に近い)にある「新皮質」という領域です。

ここが人類は極端に発達しており(全体の7割!)、言語・思考などそれぞれでの機能を果たす場所が解剖の結果で分かってきています。
ただし、どの部位も究極的にはニューロン(神経細胞)が電気(&化学)信号をやりとりしています。
それら部位をまたがる共通の原理が謎なまま今に至るわけです。(DNA発見前夜と似ていますね)

そんな中ホーキンスは、枠組みを考えるうえで、先達のマウントキャッスルの研究にヒントを見出しています。
マウントキャッスルは、「新皮質のどの部位でも共通の機能がある」と提唱しました。

ホーキンスは、その理論を発展させて、新皮質を縦に貫くコラムを最小単位とし、「座標把握」とそれに基づく「活動」を行うと提唱します。
ここが今回の仮説の鍵です。

座標把握というのは、五感のように感覚細胞が現実世界から受けた刺激を元にそれを表すモデルを情報として常にチューニングするイメージだと思ってください。
自動運転車が外部を把握するセンサーのイメージに近いですが、もちろん内的な行為(頭の中だけで想像)でも同様です。

ニューロンは電気信号に還元され、一定の閾値を超えたらネットワークで結びついた次のニューロンにバケツリレーのごとく電気を渡します(厳密には間に化学反応で媒介)
今までそのリレーに使われない無駄に見える微弱な電気反応が見つかっていたのですが、まさにこれが世界をモデリングする行為なのではないかと提唱します。

もう一度書きますが、脳は外部刺激をもらって受動的に処理をするのではなく「予測するマシン」としてみなしています。
その最小単位が上記で触れた新皮質内を縦に貫くコラムというわけです。

これらのコラム間での連携で、モデル(これは単に物の位置だけでなく、触感といったあらゆる情報を表現)を連動させて活動させる行為を「思考」としています。

これは従来の個別理論とは異なる概念です。例えば、比較的早期に解明された「視覚」は、階層ごとに「大きさ」「色」といったように要素分解されて最後に統合される現象、というのが定説です。
皮肉なことに、今のAIで主流になった深層学習もこの階層型学習モデルを参考にしています。

今回はそれを「階層ではなく」コラムという単位で全体をモデルとして学習するとし、しかもそれは視覚だけでなく新皮質で起こっている共通の枠組みとして提唱しているのが面白いところです。

さらには、各コラムでUpdateした全体モデル情報を、コラム間で持ち寄って投票して脳にとって安心出来る最終イメージを現出する、それが我々の「意識」や「知覚」だといいます。

この発想は確かにと思うところがあり、本当に素晴らしいと思います。

ただ、本人も認めているように、まだ粗削りな理論ですので、これからもう少し肉付けや検証が進むと思います。

いずれにせよ、汎用知能かどうかという不毛な論争より、その唯一の解答にあたる我々脳の知能解明に向かって、こういった野心的な研究があることはぜひ多くの方に知ってもらいたいと思います。

またこの研究での差分があったら投稿していきたいと思います。

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