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コトバは伝達のための記号、か。

糞を食らう。なんて、汚いコトバなんだ。こうして入力し、文字におこしてみるとわかる。入力している途中でその汚さを感じる、変換後に臭いまで想像してしまう…。見るも、聞くも、酷いコトバの存在に辟易する。

先日、とある団体の受付担当者に愛さんという方がいて、仕事の関係で返信メールをもらった。ある意味よくある名前で、目にしたくらいでは特に思うこともなかったのだが、返信メールの宛名に「愛さま」と入力&変換した途端、ほのかな幸福感を得たのだった。

「あい」という平仮名が「愛」という漢字に変化した瞬間、音に内包された真の意味を雄弁に語り出し、脳内で咀嚼するように反芻された。反芻される間に、「愛」という意味に紐づく過去が蘇りだす。その映像に触発された心は、朧げに浮かぶイメージとともに時間の壁を越えた境地に、ぽとん、と降り立ったのだ。

さっきまで淡々と殺伐と仕事をしていただけにもかかわらず、刹那的の時間、幸福な気持ちにさせてもらったことに感動した。この見知らぬ愛さんへ感動と感謝の一文を添えて返信メールを送ってしまったのだが…。ナンパが目的の変人がメールをしてきたと、不快な気分にさせてしまったのではないかと、後で少しだけ後悔した。

かつて僧侶の修行として、学問として、行われた写経。今でも写経を趣味として行なう人がいると聞く。美しい音、美しい意味のコトバを、複数の受容器官を経由し脳内に送り込むことで、人の理性(機能)と感情(情緒)を鍛えるだけでなく、この愛さんのときと同じような、幸福感を味わうことまでできるのだろう。いつか、長い時間ができた時にでも、挑戦してみたい。

こういうことを考えていると、コトバは伝達のための記号という使命以上の何かがありそうな気がしてくる。その探求の先に答えはあるのか、ないのか? 全くもってわかりませんが、そこがわからないということが、今は愉しいと思える。この愉しいが心にある限り、コトバを仕事とする職業を、まだまだやっていけそうだ。


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