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八十八面観音巡礼[西大寺]、近鉄平城駅発、小雨の歴史の道と秋篠寺
以前、法輪寺で見つけた「八十八面観音巡礼」
その中の一つ、西大寺の特別公開が2月4日までなので見に行こう。
2024年1月22日 9時半すぎ、近鉄平城駅着
大和西大寺駅から京都行きに乗って一駅。
今回は近鉄の「てくてくまっぷ」を参考に、歩き出す。
すぐに、山陵(みさぎ)八幡宮
長い階段を上り、
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参拝。
![](https://assets.st-note.com/img/1706008967527-P3XKLnbxi1.jpg?width=1200)
こちらのご祭神は
「気長足媛命(神功皇后)」
「品陀和気命(応仁天皇)」
「玉依媛命」
道なりにすぐ、宮内庁の案内あり「神功皇后」の御陵である。
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「神功皇后」とは
日本の第14代天皇・仲哀天皇の皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊で仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる(在位:神功皇后元年10月2日 - 神功皇后69年4月17日)。なお、実在したとすれば4世紀後半頃と見ることが出来る。
過去には学校教育の場で実在の人物として教えられていたが、
現在では実在説と非実在説が並存している。
また、架空の人物として卑弥呼という説もある。
明治時代には日本における最初の女性肖像紙幣となった。
そんな神功皇后の御陵が、こんな身近にある。
(非実在説ならば、ここには何があるのか?)
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小雨が続く中、もう止むかと思い、傘はささずに歩く。
インクジェットプリンターで出力した「てくてくまっぷ」は
雨にぬれてインクが滲んで、文字がわからない。
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途中、高校、競輪場、住宅地を抜ける、
観光客数名とすれ違う、こんな天気でも訪れる人はいる。
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結構、車が通っている。
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やがて、
秋吉寺の東門に、10:15頃着。
ここからは、別世界のよう
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秋篠寺
奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。奈良時代の法相宗の僧・善珠の創建とされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺ともいわれているが、創建の正確な時期や事情はわかっていない。
そして、HPもわからず見つからない。
東門を入ると香水閣の近く、すぐにあるのは十三社。
お供えがあるので、まだ神様は、ここにおられるのだろう。
中央の社は周囲より大きいが社名の記載がない。
シンプルな13の社はそれぞれにサイズが違い、
リズミカルな現在美術のオブジェのようだ。
緊張感のある景色が心地良い。
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雨に打たれてしっとりとした苔の庭を歩く。
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ここから境内は拝観料(500円)が必要。
すぐ左手には、有名な大元堂。
大元帥明王は秘仏、6月6日のみ公開、
蛇をクビに巻き付ける強い明王。
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大元帥明王はとても力があり
その力のひとつ大元帥法の「敵国降伏」で
アメリカ大統領ルーズベルトを
呪殺しようとするエピソードが、
荒俣宏の『帝都物語』でも紹介されている。
どこまでがオカルトなのだ?
大元帥法は本来は「外寇からの防衛」「敵国降伏」を祈願する性格のものであり、よってこの法は天皇がいる宮中のみで行われ、臣下がこの法を修めることは許されなかった。
右側には東家あり、ありがたい。小雨を避けて、一休み。
しばらく本堂を眺める。
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薄暗い本堂に入ると、一列に仏像が並んでいる。
本尊は薬師如来。
左端には有名な技芸天、
頭部は奈良時代に脱活乾漆法で、
体部は鎌倉時代に木造で作られているそうだが、違和感はない。
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伎芸天(ぎげいてん)とは、仏教守護の天部のひとり。
もとはシヴァ神 の髪の生え際から誕生した天女とされるという。
容姿端麗で器楽の技芸が群を抜いていたため、
技芸修達、福徳円満の護法善神だそうだ。
また、
五木寛之は百時巡礼(講談社)第一集「奈良」で、
秋篠寺を訪れ、
「作家と呼ばれることのうしろめたさ」に対して、伎芸天は
『「それでいいのよ」と言ってくださっている。
そんな気がしてならなない。』と書いている。
この職業に対するうしろめたさというのは、よくわかる。
田舎育ちの私は、子供の頃から職業の情報は少なく
目に見える大変そうな一次産業や、
必要な物を作る事、売る事以外の職業を知る術もなかった。
だから今、そうじゃない仕事をすることには、
うしろめたさも常にある。
不要不急の仕事は楽しく、
価値は、時代や環境によって変わることは
もちろん承知はしているが、
そう思ってしまうので仕方がない。
境内には、
大峰山 三十三度 先達の碑
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右の役行者像、
前鬼と後鬼を伴って、スネを出しユーモラスなポーズ。
見るだけで清々する。いいなあ。
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左も役行者だろうか?
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庭の木々には、堅そうな蕾。
陰極まって陽生ず、季節は少しづつ変わる。
良くも悪くも、同じ事は続かない。
そして、永遠でもないことも知っている。
だから堅そうな蕾の、希望しかない今が羨ましい。
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南口から出ると、
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八所御霊神社
神仏分離令が出るまでは、秋篠寺の鎮守とのこと。
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●暗殺の罪で淡路島に移送時に自殺した皇子
●暗殺の罪で淡路島に移送時に自殺した皇子の母
●陰謀により幽閉され自殺した人
●変の首謀者として伊豆に流される途中死亡した人
●謀殺の罪で伊豆に流刑された人
●挙兵して破れた人
●徴用されたが左遷された人
●天満自在天神になった人
自然災害や人間がコントールできない禍は
この人々の祟りと理解され、
八柱の神々として慰霊することで
禍を防ぐと信じられた。
とても綺麗にされている
参拝。
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ここから南東すぐには、大和西大寺駅だ。
元首相が亡くなった場所。
何が本当かわからないが、
今は、どう理解すれば良いのだろうか?
真っ直ぐ南に歩く。
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歴史の道は、こんなクランクがあり
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アスファルト道にも表示されている。
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ただし、途中で「てくてくまっぷ」を参考に脇道へ
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西大寺奥の院(法界躰性院)到着
総高342cmの日本最大級の大きさの石塔、五輪塔がある。
五輪塔とは、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五つの要素を表すという。
バランスの良いオブジェ、
知育玩具のようにシンプルで誠実だ。
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ここは鎌倉時代に、西大寺に入って復興した叡尊の五輪塔、
叡尊は後に興正菩薩となったという。
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戻り大和西大寺の駅のほうへ、長い土壁、右に曲がると
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西大寺石落社
石落(しゃくらく)神とは少彦名命と同一とのこと
石落神から叡尊は薬の作り方を授かり、
多くの病人を救ったそうだ。
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通行止め?
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向かいには、
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西大寺
父君の聖武天皇が平城京の東郊に東大寺を創建されたのに対し、その娘に当る称徳女帝の勅願によって宮西の地に本格的に当寺の伽藍が開創されたのです。
西大寺は東の東大寺に対する、
西の大寺にふさわしい官大寺であったが、
平安時代に再三の災害に遭い、衰退した。
しかし鎌倉時代半ば、興正菩薩の叡尊(1201~1290)が
この寺に入って復興に当たり、
新たに真言律宗の根本道場として伽藍を整備されたという。
活動は概ね二点に集約されます。すなわち第一に、当時遵守されなくなっていた戒律を重視し釈尊本来の仏教に立ち戻ろうとした戒律復興の活動であり、第二に、当時非人と呼ばれ社会的に疎外された階層の人々を中心に救済の手を差しのべてゆく救貧施療の活動でした。特に後者から叡尊上人は日本の仏教福祉史上の最高峰と評価されることも少なくありません。
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拝観料(本堂・四王堂・愛染堂 三堂共通拝観)は800円
入ってすぐ右手には四王堂。
西大寺創建の元となった称徳天皇誓願の四天王像をまつる。
孝謙上皇は称徳天皇と呼ばれる。
淳仁天皇の廃位によって孝謙上皇は事実上、皇位に復帰した。後世では孝謙上皇が重祚したとして、これ以降は称徳天皇と呼ばれる。日本史上唯一の、出家のままで即位した天皇である。以降、称徳天皇と道鏡による政権運営が6年間にわたって続く事になるが、皇太子はふさわしい人物が現れるまで決められない事とした。
後に京都白河十一面堂院の本尊の十一面観音立像が
客仏本尊として移されてからは、観音堂とも称するという。
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右手に錫杖(しゃくじょう)を執る長谷寺式の十一面観音像で、
高さは約6mの巨像で、大きさに見惚れ、ただただ眺める。
その十一面観音立像「八十八面観音巡礼」の御朱印をいただく。
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聚宝館(年間に3回開館)特別開館 入館料300円
寺内の什宝物を保管収蔵している。
たくさん宝物、西大寺の歴史のビデオが流れる、わかりやすい。
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護摩堂
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正面に愛染堂
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右手に本堂
仏師らを京都・清涼寺に派遣して、
平安時代に三国伝来の生身(しょうじん)釈迦像として名高い釈迦像を
摸刻させた釈迦如来立像(清涼寺式)がご本尊
文殊菩薩騎獅像と、善財童子を含む四侍者像も並ぶ。
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愛染堂
秘仏・愛染明王坐像(本日は年二回の特別開扉)
13世紀後半に起こった蒙古襲来の時
叡尊が愛染尊勝法を行い、その祈願の最終日の夜には、
愛染明王が持つ鏑矢が妙音を発して西に飛び、
敵を敗退させたそうだ。
すごい!
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近鉄「大和西大寺」駅はすぐ、12:00過ぎ着。
死後の世界や靈魂の存在、
これらについて質問されたお釈迦様は「無記」
何も答えなかったそうです。
神功皇后、称徳天皇、
女性初めての事、不明な事、
神様になって名前が変わる事、
菩薩になって名前が変わる事、
有るのか、無いのか、わからない事。
物語があれば、納得はしやすくなる。
雨は止み、静かな観光、見物。
歴史を知る、わからないことを楽しむ。
ありがとうございました。
八十八観音巡礼記はこちらに
●法輪寺
●大安寺
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