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|低山ハイク|汗だく3.5時間、文殊東尾根〜金剛山「転法輪寺」「葛木神社」〜伏見峠

2024年7月20日


近鉄富田林駅発の金剛バスは廃止されていた。

現在は、金剛ふるさとバスが運行しているが、
金剛山登山口までは、乗り継ぎが必要なようだ。

また葛城山との間の水越峠、葛城登山口の方向は
手前の東水分までしか通じていない。

なので、
河内長野からの南海バスを利用する。


近鉄、南海「河内長野」駅
9時15分頃、着
バス停には、先発の別行きのバスが停まっているが、
結構な数の金剛山行きを待つ人がいる。

気づくと、
後ろにも沢山の人が待っている。

9:30発、
金剛山ロープウェイ前行き
ICOCAカード使用可能。

結局、バスは満員、
立っている人もたくさん。

久しぶりなので
金剛山登山口から
ゆっくり千早本道を、
上ろうと思っていたので
最後に降りれば思って
一番奥に座ってしまった。

しかし登山口は終点ではなく
2停留所、手前だった。



駅を出て、バスから見える
街の温度計は30℃

千早大橋手前では
温度計は27℃


金剛山登山口、
7割位の人が降りるが
奥の席、
隣の人は降りない。
出にくいので
諦めて、終点
金剛山ロープウェイ前まで
乗る。

10時過ぎ、
金剛山ロープウェイ前バス停着、
550円
トイレや自販機もあり便利。
標高633m


車道を渡り、
伏見峠への入口
百ヶ辻に
広いコンクリート道、
前には数組のハイカー。

日陰に入り、
バカみたいな暑さはない。
ありがたい。

林道の
左右には水が流れ、
心地よい。

予定のコースを
逆行で
千早本道を帰りに使うと
階段の下りが
続くのはイヤなので
別コースを探す。

左手に
文珠中尾根への
登り口らしい場所あり。

降りてくる人、
それを待つ
上ろうとする人。

やはり、
人気の金剛山


千早のトチノキ


すぐに、
左手に水場

文殊東尾根の入口
去年、初めて上ったルート。
きついが
おもしろかった事を
思い出し、進む。

ハードな
木の根の道、
手足を使って
這うように
上る。

太ももが
きつくなる。

途中から眺め


まだまだ続く。

振り返ると
後ろから人影、
見え隠れして
焦る。

勾配が
少し緩くなる。

11時ごろ
なんとか
分岐に到着、
休憩。

汗だく、
少し風が吹き
心地よい。



すぐ
後ろからの人は、
ラクラク
止まらず
歩いて行った。

中尾根からと
合流する
Y字路。

ここから
文殊尾根へ。

中尾根からのは
2組のハイカー、

文殊尾根を下ってくる
ハイカー、

休憩の間にも
結構、
人通りが激しい。


上ってきたのは
ハードコース。

この道を
下るのは怖い、
危ない。

あとは
緩い勾配、
植栽も変わり
心地のよい道。

風が通る場所。

岩谷文殊の付近、

葛城家歴代
御廟所。


鳥居をくぐり、

気温、22℃

11:35
山頂広場到着。

看板の表示は
金剛山頂
海抜1125米

暑すぎず
曇天が、ありがたい。
遠くにPLの塔。

昼食、
コンビニ弁当+バナナ。

売店にて
ソフトクリーム
ソーダ味
450円
美味しい。


山頂広場から
売店を抜けると

金剛山 転法輪寺

今から1300年程昔、修験道の開祖、役行者様が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、祖神一言主大神を鎮守とし、法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立されました。

また行基、鑑真、最澄も当山で修行したとされています。
現在も修行が行われている山岳地帯として多くの修験者が訪れています。

転法輪寺HPより

正面に
お不動さん。

左手
弁天さん、ひさご池

右手には
役行者堂

階段上り
参拝。

ご本尊は、法起大菩薩
日本でお生まれになられた珍しい佛様だそうです。

御姿は、五眼(ごがん)六臂(ろっぴ)(眼は五つ、腕は六本)で忿怒の形相をされており、左手に鍬(くわ)、弓、鋤(すき)を執り、右手に蓮華、矢、五鈷杵(ごこしょ)を持されています。持物である鍬と鋤は、五穀豊穣、悪疫害虫退散を意味し、民衆の願いである「五穀は人を造り、家を守る」という心願を御姿で表現されたものだと思われます。

転法輪寺HPより
おん ばざらけん ばざらや
たらまや めいしゃら ていそわか
ぎゃて ぎゃて  はらぎゃて  はらそうぎゃて

明治時代には廃寺となり、

明治元年の神仏判然令(神仏分離)によって一言主大神を祭神とする葛木神社のみが残されて、廃仏毀釈によって金剛山寺(転法輪寺)は廃寺となった

Wikipediaより

その後、
昭和25年(1950年)役行者1250年御遠忌を
契機として金剛山古来の伝統、
神仏混淆の旧態に復して、
真言宗醍醐派に属する
葛城修験道大本山として
転法輪寺が再興されたそうだ。


少し上り道
葛木神社の
手前には

十三仏、
どこで見たかは
覚えていないが
この木の案内は
ハイキング道の
どこかで
見かけている。

葛木神社

神社の創始は約二千年前、古事記・日本書紀によると、葛木一言主神が、「善きことも一言、悪しき事も一言、只一言のたまえばかなう神一言主である」と宣言されたことより、「一言だけ願いをすれば叶う神」として有名になった。

また、日本で初めて手を拍って物を受け渡しさた故事により、拍手の元祖、「一言恵比寿」商売繁盛の福の神とも称せられている。

葛木神社由緒

日本の名峰金剛山は、大阪、奈良、和歌山に跨る
金剛生駒紀泉国定公園の最高峰であって、
海抜1,125メートルあります。
古来高天(たかま)山とも呼ばれ、神武天皇大和平定の際、
葛(くず)の網をきせて土賊を掩殺せられてから
葛城という名がついたと言われています。

「人皇第十代崇神天皇戌寅七年 御造営神戸祠を
附し給う。」とあり、神社の創始は約二千年前の
崇神天皇の御代で事代主を奉祀していました。

後の古事記・日本書紀に人皇第二十一代雄略天皇が金剛山に
御狩に登山された時、葛木一言主神が御出現され、
「善きことも一言、悪しき事も一言、只一言のたまえばかなう
神一言主である」と宣言され、葛木一言主を奉祀し、
一言だけ願いをすれば叶う神として有名になりました。
又、日本で初めて手を拍って物を受け渡しされた
故事により、拍手の元祖、一言恵比須とも言われ、
商売繁盛の福の神とも称せられます。

 主祭神 葛木一言主大神
 副祭神 大楠公、後醍醐天皇その他
 社 殿 関西では珍しい大社造

由緒案内板より

郵便道を下り
奈良県側、
麓の御所には、
高天彦神社や
土蜘蛛塚のある葛城一言主神社がある。

奈良県の葛城山にある葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡であるといわれる

Wikipediaより




参拝、
拝殿内に神馬

右手奥には
十三社、手前は祓戸社。

関西では珍しい大社造



裏参道を降りる、

葛城山の眺め。

さて、
主祭神の一言主については、
いろんな記録がある。


古事記(712年)では、

460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見つけた。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。

Wikipediaより

と、天皇を恐れ入らせるが
日本書紀(720年)では

雄略天皇が一事主神(一言主神)に出会う所までは同じだが、自ら「現人の神」だと名乗り、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。

Wikipediaより

対等の立場となる。

その後、
日本霊異記(822年)では

一語主(一言主)は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである

Wikipediaより

この後、孔雀明王の呪法を習得した役行者は、鬼神達に、「金峯山(きんぷせん)と葛城山(かつらぎさん)の間に橋を架けろ」と、(途方もない無理難題を)言いつけます。鬼神達はそんなことは到底出来ない、と悩み、困り果てます。そこで、葛城山の一言主(ひとことぬし)という神は、(役行者の無理難題から逃れるため、人にとりついて)「役行者が、文武(もんむ)天皇を抹殺しようとしている」という託宣をさせます。

役行者霊蹟札所会HPより

役行者に使役され、裏切るという
不思議な存在である。



伏見峠へ
向かう。

出迎え不動さん

道の反対側を上ると
第21経塚。



左側、
奈良県の風景が開ける。

着ているのは
モンベルの
ウィックロンTシャツ、
速乾性があり良い。
ただ、
洗濯後に脱水してない位の
汗だくでは、
許容量を超えている。

いつまでも
シャツは乾かないので
着替えて、快適。



左折すれば、
風の森バス停、
北宇賀駅。

伏見峠を
右へ曲がり、
今朝、降りたバス停へ

念仏坂を下る。

祠あり
不明

コンクリートの
広い林道

右手には
心地よい
流れあり。


やがて、
上った
文殊東尾根の
入口に
戻ってくる。

時計を見ると
1:24
0分と30分に
バスが出ると思い込み
少し走るが、
バスは
45分発。

もう待っている
グループあり。

しばらく待って
定刻に
バスが来る。

バスは
エアコンで快適、
心地良い疲れで
ウトウト。
ありがとうございました。






この後、2週続けてルートを変えて上った、
2024年7月27日の金剛山の記事です

2024年8月3日の金剛山の記事です



2023年9月24日の金剛山の記事です








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